俳句deしりとりの結果発表

第45回 俳句deしりとり〈序〉|「がや」④

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俳句deしりとり〈序〉結果発表!

始めに

皆さんこんにちは。俳句deしりとり〈序〉のお時間です。

出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。
“良き”

第45回の出題

兼題俳句

軒下の紫陽花あがれない我が家  けーい〇

兼題俳句の最後の二音「がや」の音で始まる俳句を作りましょう。

 


※「がや」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。

ガヤ探し地球儀回す夜学かな

オカメのキイ

ガヤーにて乳粥すする夜半の月

桐山はなもも

ガヤ向かう巡礼の列秋暑し

三日月なな子

ガヤー日盛巡礼の親子連れ

清瀬朱磨

ガヤの寺の女神のくびれ夕焼けて

森野みつき

ガヤの大仏螺髪で休む燕かな

平岡梅

ガヤの菩提樹金風に揺れる陰

尾長玲佳

ガヤの菩提樹片陰の修行僧

末永真唯

ガヤ駅の乗合リクシャ夏未明

茂木 りん

ガヤ駅は五時間待ちや菩提樹の花

藻玖珠

ガヤ空港やチャンダンの香とすれ違う

織部なつめ

伽耶へ行く道の遠きや大西日

留辺蘂子

伽耶聖地腹痛も晩秋の川辺

金魚

土地名の「ガヤ」のバリエーション。「大仏」「螺髪」など、仏教関係の単語がセットになるとインド北東部の古都「ガヤ」だろう、と強く推測ができますね。《桐山はなもも》さんの句のとおり「ガヤー」とも呼ぶみたい。ヒンズー教の重要な巡礼地らしく、《三日月なな子》さんや《清瀬朱磨》さんの句はこの情報が発想の出発点かしら。漢字表記の《留辺蘂子》さんの「行く道の遠きや」も巡礼を思わせるフレーズで、「大西日」が実景として据えられています。
“良き”

ガヤトリー・マントラ唱ふ冬の朝

糸圭しけ

ガヤトリーマントラ後の月仄か

山羊座の千賀子

ガヤ神の身投げ清夜の落椿

ノセミコ

インドに関する耳慣れない単語が並んでおります。マントラって漠然と唱えるもの、くらいの知識しかないワタクシ。ある意味、《糸圭しけ》さんの句はそんな人間にもわかる内容で助かります。《ノセミコ》さんの「ガヤ神」はインド神話に登場するようです。オタク知識としていろんな神話や伝説に登場する神様の名前は見聞きしますが「ガヤ神」は初耳でした。句のとおり、物語の一節に身投げのエピソードがあるようです。「清夜の落椿」はガヤ神の純粋さと同時に、落椿の生々しい実在感を見せてくれます。取り合わせの感覚がグッド。しかしまあ……さらっと調べてみたけど、インドは独特の世界観というか、ぶっ飛んだ話が多くて面白いですねえ。投身自殺したあとも動いたり、さらに棍棒で殴っても生きてたり、ガヤ神ハンパねえ。
“ポイント”

伽耶院に宮廷の風一位の実

爪太郎

伽耶院に集ふ法螺の音秋澄めり

翡翠工房

伽耶院の法螺の音響き降る紅葉

虞天勒

こちらは日本。兵庫県三木市のお寺で、インドの仏陀伽耶に因んでの寺号だそうです。山伏のお寺であり、現在でも10月のスポーツの日には大規模な護摩、採燈大護摩が行われているとのこと。山伏といえば法螺貝のイメージ。一回でいいから吹いてみたくなるよね、法螺貝。ちなみに伽耶院のホームページを覗いてみると、「入山料 草引き10本」って書いててほんわかしちゃった。

“とてもいい“

我や過去もくべる焚火や夕まぐれ

とひの花穂

我や己内を覗けば読毒茸

玉簾

我や欲は丸めゆやけへ捨てつちまえ

江口朔太郎

我や欲は要らぬ村鄙や榾を積む

唯野音景楽

これもある意味仏教的なグループ。考え方には個人的に共感しますが、句としては「我」「過去」「欲」など、具体的な映像を持たない概念の主張が強くなってしまうため難易度は高そう。あえてこういう作句の難しいお題に挑戦する! て兼題を句会とかでやってみるのも面白いかもしれませんなあ。

“とてもいい“

画や写真のピン留めの壁アマリリス

はなぶさあきら

画や書をば買ひ漁りての獺祭魚

霜川このみ

画や月の塗り残された白のまま

ちょうさん

「蛾」のグループを紹介する時にもありましたが、最初の一音「が」の単語を見つけ、続く二音目に助詞「や」を続けた形。「AやB」となり、必然的にAとBが並列の関係で扱われるわけですが、そうなると両者は比較的性質の似通ったモノになりがちです。「画」と「写真」、「画」と「書」、どちらも紙に描かれたモノですね。一方で《ちょうさん》さんは少し発想を変化させ、両者の共通点を「白」という色彩に見出しています。人の手によるものではない「月」に対して、色が塗り残されたままだから白いのだ、と断定してしまえるのが詩人の心でありますなあ。その詩的着想と同居することによって、画がなぜ塗り残されたままであるのか、読者の想像も詩の世界へと誘われていくのです。

“とてもいい“

「『『は』ガウマクツカエマセン」十字架祭

おりざ

「は」より「の」を助詞に選る初句会

芦幸

「ぐ」や「ご」鼻濁音は秋の装い

慈庵風

助詞そのものを句材にする手も。助詞って面白い反面、難しいよねえ。海外の日本語学習者にとってはなおのことでしょうとも。《慈庵風》さんも助詞の句かと思いきや、鼻濁音全般の音の印象を句材にしております。鼻にかかる音の微妙にもたっとした感じを言語化すると「秋の装い」になっていったのかな。独特の感覚が面白い。

“とてもいい“

がやっぱし結婚するわ夜這星

若宮 鈴音

がやがていとまの刻や盆帰省

佐々木棗

っぱり上五に置きたい曼珠沙華

有川句楽

っぱり譲れぬエース雲の峰

稲垣加代子

るだけやつた身に入みる声援

小川都雪

がて骸は雪の贄となり

にゃん

がて鬼は泣きたり星月夜

常磐はぜ

がて太陽は逝く月もまた

三尺 玉子

がて朝になりたる桔梗かな

古都 鈴

がて癒されるはず金木犀

おかだ卯月

がてすべてつまびらかに秋思

実相院爽花

直前の音が省略されてるシリーズ。多くは英語でいう「but」の「が」だと解釈して問題なさそうです。興味深いのが音数の使い方。それぞれの句を声に出してみると、《若宮 鈴音》さんはストレートに十七音ですが、《佐々木棗》さんは「が」のあとに一音分の空白を挟んだリズムになっていることがわかります。「、」をつけている他の句も空白を挟まない派と挟む派に分かれているので、みなさん声に出して比較してみると面白いですよ。《古都 鈴》さんや《実相院爽花》さんの句は特に空白のあるなしで読み比べてみると、一拍の静けさが時間や思考をタイムラプスさせるかのごとく効いております。一般的に俳句では句読点や空白を使うのは特殊なケースだとは思いますが、せっかくしりとりなんてイロモノ企画に挑んでくださってるわけですしね。なんでもトライ&エラーしてまいりましょう。

“とてもいい“

がやめくぬりえ月光まじりあふ

どゞこ

次回兼題に選ぼうか迷っていた一句。「がやめく」って言い回し、初めてお目にかかった気がします。意味としては単純に「さわがしい音を立てる。がやがやいう。」となるのですが、やかましげなこの言葉が「ぬりえ」に接続されたために詩が発生しています。月光の射しかかっている時間ですから、ぬりえをしていた人物はもうその場を離れて眠っているんじゃないかしら。ぬりえの絵柄と、そこに踊る色彩はまるでさわがしくがやめいているかのようで。さらに月光の月色が加われば、生きて動き出すのではないか……なんてファンタジーな想像を楽しませていただきました。

“とてもいい“
第47回の出題として選んだ句はこちら。

第47回の出題

ガヤ島のホテル部屋より泳ぎ出づ

伊藤 恵美

う~ん、憧れるぅこのリゾート感! 「ガヤ島」はマレーシアにある島の名前。アジア屈指のビーチリゾートと言われるボルネオ島の北東部に浮かぶ島で、周辺の大小5つの島と周辺海域がトゥンクアブドゥルラーマン国立公園に指定されているそうです。「部屋より泳ぎ出づ」ってどういう仕組み? と一瞬首を傾げましたが、調べて納得。滞在のための水上コテージ、あるいは水上ヴィラと呼ばれるものなんですね。起きた瞬間から海に泳ぎにいけるなんて最高じゃん! とまあ、とってもステキなシチュエーションに心惹かれるのも事実ですが、季語「泳ぎ」が際立っているのがこの句のなにより素晴らしいところ。安閑とくつろぐ高級な「部屋」から海水へと足先をつける瞬間の、空気から水へと身を包むものが変わるハッとする鮮度。僕自身が海辺の村で生れたせいか、その喜びが自らの肉体に甦ってくるような感覚を覚えます。そのまま全身を水に浸し、水中の人となって泳ぎ出すのです。詠嘆をするでもなく、「泳ぎ出づ」と自然な複合動詞で下五を収めることによって、その行為がいかにも自然な喜びに満ちているのだと伝わってきます。お見事!

ということで、最後の二音は「いづ(いず)」でございます。 

しりとりで遊びながら俳句の筋肉鍛えていきましょう! 
みなさんの明日の句作が楽しいものでありますように! ごきげんよう!
 

“とてもいい“