第63回「十数年ぶりの大阪」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

地
第63回
冬晴やずつと日本一の店
ひでやん
大阪には、「日本一」を掲げた色んな店があるようで、この句の「店」を特定することはできませんが、いかにも商売の街・大阪らしいフレーズです。看板に偽りあり(?)とは言いませんが、それを掲げたところで一つの笑いとして、ネタとして許容されるお土地柄。上五「冬晴や」というあっけらかんとした詠嘆が似合う一句です。

朝酒は大阪場所の予想より
る・こんと
「朝酒」は、やはり新世界界隈でしょうか。早速始まっているのが「大阪場所」の話。三月の大阪場所の優勝の行方をあれこれ予想しつつ、朝酒は更にすすんでいくのでしょう。「~より」という最後の助詞によって更に賑やかになっていく感じも、作者の狙い通りの効果です。

致死量の「おおきに」浴びる年の市
あなぐまはる
「年の市」に買い物に出てみると、どの店からも「おおきに!」の連呼があがっています。その声の熱量はまるで「致死量」であるかのようだという比喩が、「おおきに」という関西弁と絶妙に釣り合っています。「浴びる」という動詞も、実感を追体験させる佳き選択でした。

電柱へ怒号なんばの冬ぬくし
丹波らる
「電柱へ」向けた「怒号」とは何でしょう。まさか、誰かが電柱に上っているのでしょうか? あるいは、烈しい怒号が頭上へ飛ばされる感じをこう表現したのかもしれません。前半の激しさに対して、後半の「なんばの冬ぬくし」という内容と調べのなんと暢気げなこと。「なんば」という固有名詞ならではの俳諧味のある一句です。

枯野ゆく夢は難波にあるものか
如月頭花
「枯野ゆく夢」とは、〈旅に病で夢は枯野をかけ廻る〉という芭蕉がその生涯の最後に詠んだ句を指しているのでしょう。芭蕉は、大阪の旅で病の床につき、五十一歳の生涯を閉じました。
芭蕉の句を本歌取りしつつ、「難波(なにわ)」に夢なんかあるものかと嘯く。あるいは、罵る。あるいは、呟く。芭蕉句を土台として、作者の心情をずっしりと乗せた秀句です。

もろびとこぞりて懐炉を貰ふ列にゐる
ぞんぬ
「もろびとこぞりて」は、聖歌の一節。全ての人々が、主の降臨を待つクリスマスの季節に、己は「懐炉を貰ふ列」に並んでいるというのです。聖歌の歌詞の意味を本歌取りしつつ、その諸人はみな、今夜の寒さを凌ぐための一つの「懐炉」を必要としているという皮肉。映像と歌と心情とが、一句の奥に滲み出してくるかのようです。

未踏の通天閣今夜は雪らしい
戸村友美
「通天閣」はいつもそこにあるものだから、ずっと見ているのだけれど、上ったことはない。そんな意味での「未踏」を想像しました。通天閣のあるこの街に生まれ、生きている自分にとっては未踏である通天閣の向こうの空。その奥の方には暗い雪雲が育ち始めています。「雪らしい」という口語の呟きに静かなリアリティがあります。

花月で笑ろて夕焼けみたなぁお母ちゃん
おりざ
この「お母ちゃん」は存命なのでしょうか。生きておられたとしても、掛けられた言葉の意味も理解できなくなっている「お母ちゃん」かもしれません。「花月」で落語や漫才を観て「笑ろて」、劇場を出た時の「夕焼け」がきれいやなあと頷き合って。そんな「お母ちゃん」との思い出。思い出への感慨が台詞となって、そのまま俳句となった一句です。

泣き止んだらおでん食わせて送ったれ
江口朔太郎
台詞がそのまま俳句になる例として、正岡子規の〈毎年よ彼岸の入りに寒いのは〉はよく知られています。母八重の言葉が俳句になっていることに気づいて、子規が書き留めたものです。
掲出句の台詞の面白いのは、三人の人物がそこにいることです。泣いている人物、「おでん食わせて送ったれ」と言っている人と、言われている人。たったこれだけの音数で、短編小説が描かれているような読後感です。

こゝろとはたこ焼きである漱石忌
弥栄弐庫
夏目漱石の小説『こゝろ』をイメージさせつつ、「こゝろとはたこ焼きである」と謎の定義を投げかけてくる発想の面白さ。小説に描かれる友情と恋と裏切りと罪悪感と後悔と死が、「たこ焼き」という俗な食べ物とイコールで定義づけられるナンセンス。下五「漱石忌」との絶妙な取り合わせには、唸るしかありません。

