俳句deしりとりの結果発表

第48回 俳句deしりとり〈序〉|「こう」①

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俳句deしりとり〈序〉結果発表!

始めに

皆さんこんにちは。俳句deしりとり〈序〉のお時間です。

出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。
“良き”

第48回の出題

兼題俳句

ぱくぱくとひかりに醒めゆけるきちかう 佐藤儒艮

兼題俳句の最後の二音「こう」の音で始まる俳句を作りましょう。

 


※「こう」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。

 

こうこうと街の灯残る雪の夜

あさり丸

こうこうと輝く月の満ち満ちて

閏星

コウコウと照らす暗闇雪の白

北川茜月

こうこうと明るき夜は雪化粧

へばらぎ

々とぶら下がる月中也の詩

戸村友美

々と外灯吸い込まれる雪

みえこ

々と赤ちょうちんの誘う短夜

えみり

煌とコンビナートの年流る

わおち

煌とジャラリフィーバー煙草の香

ヨシキ浜

煌と黄菊闇より生まれ出づ

佐々木棗

々と点灯のまま寝入る受験子

スマイリィ

々と夜間中学外は雪

森ともよ

々と隣家の窓や大晦日

宙ほのか

々と恋人照らすクリスマス

浅田香歌

々と国府高校の窓や月

栗田すずさん

耿といろはにほへとぼたんゆき

内藤羊皐

今回は単語のバリエーションが豊富です。最多数派は「こうこう」。きらきら輝くさまを意味します。表記違いの「耿耿」も意味は同じですね。輝くものといえば真っ先にイメージされるのは灯りの類い。外灯、月、赤ちょうちん、などなど恋しくなる灯りが並んでおります。《ヨシキ浜》さんの句はパチンコ? 季語はないけどなんだか妙にリアリティを感じますなあ。《栗田すずさん》さんの句は夜間高校? それとも居残ってる先生達の灯りかしら。
“良き”

かうかうと校門閉じて寒椿

木ぼこやしき

かうかうと雨後いちめんの雉蓆

西野誓光

かうかうと夢注ぎ合ふ鳥の冬

那乃コタス

かうかうと夕日の奏で鵠かな

金魚

ちょっと迷うのがこちらのグループ。先に紹介した《栗田すずさん》さんの句と同じように《木ぼこやしき》さんも学校の灯りを句材にしてると読みました。……が、仮名遣いの問題が立ちはだかります。辞書によると「煌煌」の歴史的仮名遣いは「くわうくわう」となっています。あちゃ~仮名遣いミスちゃったか~……と思いきや、古語辞典をみると「皓皓」なら「かうかう」と書かれているではありませんか! 意味は「白々と光り輝くさま」で、句意は通るのです。

その他にも「かうかう」には、「これこれしかじか」を意味する「斯斯」、「横行、悪行をはたらく」を意味する「衡行」、「水がみなぎり広がる」「果てしなく広々としている」を意味する「浩浩」など、様々な用法が出てきました。うーん、日本語って奥深い! 句意からすると《西野誓光》さんと《那乃コタス》さんは「浩浩」なのかもしれませんなあ。《金魚》さんの場合はひょっとしたらオノマトペの可能性もあるかも?
“ポイント”

こうこうと丹頂つがい首絡め

平岡梅

コウコウと啼きて白鳥着水す

おちがうな

オノマトペの「こうこう」。音の響きが丹頂鶴、白鳥、どちらにも似合いますね。季語のことだけで一句を作る一物仕立ての型です。描写力が求められる難しい技だけど、挑んでこそ力は鍛えられるもの。これからも俳筋力鍛錬していきましょう。

“とてもいい“

宙吊りされた疑問符

井村 壽々

コウノトリ減りて子の無しお正月

夕暮派れもんさわー

コウノトリ黒き嘴なり冬の池

天音閑

こうのとりの羽搏きすなり初霞

キャロット えり

こうのとり挿す初春のみづかがみ

沼野大統領

帝ペンギンの動かぬ瞳元日

苫野とまや

鳥繋がり。丹頂鶴、白鳥、ときてお次はコウノトリです。「鸛」の一文字でこうのとりって読むって初めて知りました。《苫野とまや》さんの「皇帝ペンギン」が最後に混じってくるの可愛いね。

手元の歳時記だとコウノトリを季語にしているものは確認できませんでした。体格も大きく目立つ存在を詠み込みつつ、季語も際立てるとなると難易度は高そう。こうのとりの羽が打つ空間へと意識を向けた《キャロット えり》さんの「初霞」、佇むこうのとりを舞台装置のように扱うことで「初春のみづかがみ」を一枚の絵画のように仕上げる《沼野大統領》さん、それぞれ工夫が活きております。
“良き”
 

蝠やみそ汁新香飯のゆげ

百瀬はな

蝠や八分の六拍子のタクト

鳥乎

蝠のミイラ掻き出し長箒

うーみん

蝠の張り付く窓に立ち尽くす

こきん

蝠の部活終わりを告げる闇

はしま

蝠の落つ道端の陰りゆき

狐狸乃

蝠やアルフ・レイラ・ワ・レイラ(千夜一夜)の響く夜

万里の森

かうもりや隠るるならば鼻の穴

津々うらら

蝙蝠は空を飛ぶけど哺乳類。子どもの頃、夕方になると家の田んぼを飛び回るシルエットをずっと眺めていた記憶が甦ります。納屋とかに棲み着くんだよね。それにしても《うーみん》さんの句の迫力すごいなあ……。カピカピに乾燥した死体がころっと出てきたりするやつ……。これもある意味季語の現場に立って取材したからこそのリアリティってやつでしょう。
“良き”

かういへばああいふ口の根深汁

瓦 森羅(もりら)

かう言ふとあゝ言ふ七変化

どゞこ

かう言へばああ返す友とおでん酒

ケンケン

こう言えばあゝ言うにょうぼ除夜の鐘

氷雪

こう」言えば「ああ」言うだらう寒鴉

山内彩月

こうこうと蘊蓄語る花畑

老黒猫

こうしてああして師走のひねもすや

いちの

こうしてもああしてもボツ暦果つ

紫すみれ

かうすれば幸せさうなクリスマス

梵庸子

こうすればよいと決めつけない冬

平本文

こうすれば良いという全部クリスマス

だいやま

こうだからダメと言われて冬に入る

シラハマナオコ

こう見えてカイロを五枚貼っている

多数野麻仁男

こう見えてシャイなんですと冬満月

ほうちゃん

こう見えてとはどう見える初鏡

一生のふさく

こうだよ」と言われても無理ショール巻く

瀬央ありさ

かうとしか生きやうのない吾と蟻と

白猫のあくび

副詞の「こう」。こそあど言葉と言われるものの一種ですね。《瓦 森羅》さんをはじめ、言葉のやり合いの場面を思わせる「こう言えばああ言う」はあるあるですねえ。子どもの口げんかしかり、親や先生とのやりとりしかり、多くの人に共通体験があるんじゃないかしら。《紫すみれ》さんは俳人的には悲しくも共感を覚えてしまう~(笑)。 一年の締めくくりをくさくさした精神状態で迎える「暦果つ」が切ないねえ。《白猫のあくび》さんの諦観と自負が入り混じる目線も個人的には結構好き。価値のない芥のように一見思えても、「蟻」という季語とその生態まで深く考えると、諦めない底力のようなものが感じ取れます。
“良き”

乞う御期待と言われても愛の羽根

葛西のぶ子

乞う雪をクリスマスには雪だよね

夏村波瑠

乞う人の木枯らしに座す黒き足

山本八角

なにかをお願いする「乞う」。軽い句と重い句の落差で脳がバグりそう。《山本八角》さんの句は現代の路上生活者を想像しても、江戸時代とかずっと昔を想像しても味わいがあります。個人的には時代劇に出てくるような、土と垢に汚れた足裏を想像しました。「黒き足」に焦点を絞ってるのが上手い。

《②に続く》
“ポイント”