第4回 俳句ラボ テーマ×季語で一句|ペットボトル×二百十日③
俳句ラボへようこそ
皆さんようこそ、俳句ラボへ。
各回に提示されるテーマと季語の発想をかけ算して俳句を生み出す研究所です。
組み合わせからどんな化学反応が起こるかは、あなた次第。
さぁ、実験を始めましょう。
第4回のお題
珍奇なる「謎」のフラスコ
蓋の独楽二百十日を逸れゆけり
お~いお茶に「枯れた」だの「飢え」だの厄日
ペットボトルといえば俳人的には「お~いお茶」。腕試し&賞品ゲットを目指す場として好意的に捉えてくれてる人が多いんじゃないかなあと思うんですが、並んでる文言が殺伐としてて落差に心がざわざわしますねえ……。世相的に「枯れた」だの「飢え」だの、マイナスの方向に振れた句が実際に多かったのか、それとも作者の目が妙にその言葉に惹きつけられてしまうのか。そしてこの句に惹きつけられるワタクシもまた病んでいるのでせうか。

コーラ飲み過ぎて厄日のプレゼンは
辞職願二百十日のコーラ飲む
一読者として俳句を読み解く楽しみのひとつに、「なんでこの人こんな取り合わせにしたんだろう? 取り合わせの接点ってどこにあるんだろう?」と謎を解きほぐしていく楽しみがあります。その際に、似た取り合わせの句を複数の作者が作っていると楽しみが増しますね。バラバラに見える複数の事件から共通する根っこを推理するミステリー小説のような楽しみです。
《深山むらさき》さんと《碧西里》さん、どちらにも共通しているのは、①ペットボトルから連想した「コーラ」、②「飲む」という動詞、③「プレゼン」と「辞職願」、ビジネスに関連した言葉が入っていること。
句の骨格になる共通点が三つも重なってはいるのですが、描き方や察せられる人物の心理状態には違いがあります。《深山むらさき》さんが逃れがたい現場と対峙しているのに対し、《碧西里》さんはビジネスからの退避、あるいは退避への願望が軸になっています。
どちらの感情に対しても、①②が詩を発生させる装置として働いているのが興味深い。コーラの強い炭酸と、「飲む」という動作を明確にすること。喉を通っていった炭酸は時には緊張と共に胃からせりあがり、時にはなにかを切り出す勇気と恐怖がせめぎあう胸を落ち着かせたりもするのです。

「謎」の試験管
二百十日ペットボトルの給餌穴
広島じょーかーず
二百十日やしなやかにへこみたい
頭痛餅
面接の水の苦しやまた厄日
桐山はなもも
B寝台二百十日のトラベルミン
高橋寅次
猫よけを二百十日の妖怪へ
苔間きい
収れん発火二百十日の欠伸
柑青夕理
二百十日人類みな可塑性かな
東雲文丹
ポリ以前以後の世界や二百十日
春那ぬくみ
転校や二百十日に再生す
志氣乃里己
二百十日浄閑寺にて水供ふ
都築減斎
浮沈子の釣り合ふ二百十日かな
石塚壜太呂
二百十日過ぎて路傍のこゑとなる
小野りす
この水も二百十日の対流圏
山元残香
二百十日マイクロプラスチックの雨雲
甘陀
二百十日備蓄品まで分与して
日永田陽光
箱買いの水に時代のつく厄日
ぷるうと
二百十日のペットボトルに蟻無数
けーい〇
二百十日いま耳石へとベコッの音
あすかきょうか
あめつちに開闢ひとの世に厄日
みづちみわ
嘘ごと潰す二百十日の空ボトル
泉楽人
備蓄水二百十日の夜のえいゑん
鈴白菜実
二百十日子宮のくじに外れたか
幸田梓弓
二百十日ペットボトルに凹む街
仁和田 永
キャップは遠く転べる二百十日
宇野翔月
二百十日ハイドレーションブレイクの円陣
まこと七夕
二百十日ペットボトルの減容率
湯屋ゆうや
二百十日魚群途絶へし村の朝
ふうみん2号
ペットボトルに積めたる二百十日の葉
青屋黄緑
プラ風車の空回り嫉妬の二百十日かな
るはちか
"中"切れば二百十日の親役満
俊恵ほぼ爺
ホルムズのますます狭くなる厄日
志村肇
希釈して二百十日の除草剤
白猫のあくび
二百十日天と地を継ぐ水の旅
青井季節
自販機からなにも出ない二百十日
たきるか
二百十日やペットボトルに埋まる風呂
峠の泉
コンバイン二百十日の轢死事故
孤寂
プラゴミや二百十日のデスノート
水鏡新
二百十日ナフサ運びし海暗し
日月見 大
土竜蠢き二百十日の地中楼
朗子
リサイクルの軍手真白し二百十日
多数野麻仁男
い・ろ・は・すを握る二百十日のチ・カ・ラかな
ガリゾー
二百十日狐の嫁の合わせ水
翡翠工房
ギア上げろ二百十日のhydration break
氷雪
二百十日削がれし耳へ囁く詩
馬場めばる
ラベルはぐ二百十日の又三郎
草深みずほ
リサイクルマークくるくる二百十日
二城ひかる
町会の「無事ですカード」二百十日
はっしん
二百十日孫・子の水へ混じる毒
夜汽車
差し歯取れた二百十日のコーラグミ
内田ゆの
備蓄水のお粥しとしと二百十日
空から豆本
《④に続く》


不思議な味わいだなあ。実際に起きてる出来事は、ペットボトルの蓋で作った独楽、または蓋そのものを独楽のように回すと、その場で回り続けるのではなく、ゆる~っと逸れていく……作者はそれを見送っている……というだけの些細なもの。出来事自体に謎はないんだけど、あえていうなら「二百十日を」という把握が謎、でしょうか。独楽を眺めている時間はそう長くないはずなのに、「二百十日」という季語の字面の効果もあり、スローモーションのように現実の時間が引き延ばされてるような面白さがありました。
蛇足ではありますが、回転する独楽の姿に台風を重ねている、という読みもできるでしょうね。でも、そこの因果関係を強く意識すると理屈っぽさが魅力を阻害しちゃう気がしています。不思議な味は不思議な味のまま楽しみたい派。