【第4回 ドリルde俳句】②

始めに
出題の空白に入る言葉を考えるドリルde俳句。出題の空白を埋めてどんな一句が仕上がったのか、【第4回 結果発表①】に続き、皆さんからの回答を紹介していきます。


第4回の出題
今回の出題意図はずばり「類想」!
寄せられた回答を見ていくと、複数のジャンルに渡って共通する頻出ワードがあるのです。
該当する句を【第4回 結果発表①】で紹介したものも含めて、再度並べてご紹介しましょう。
春夕焼頬にひとつの傷のあり
喜祝音
春夕焼ひざにひとつの擦り傷あり
白兎
春夕焼夫にひとつの秘密あり
小倉あんこ
春夕焼夫にひとつの秘密あり
みづちみわ
春夕焼恋にひとつの秘密あり
毒林檎
春夕焼夫にひとつの嘘ありて
飯村祐知子
実は全体の頻出ワード一位はこの「ある」なのです。前回ご紹介し、特に類想の多かった「嘘」ですが、「ある」の出現数はその比ではありません。
下五に「ある」が登場する作品を一気に並べてみましょう。(※活用形も含みます。)


春夕焼ここにひとつの地球あり
文女
春夕焼ここにひとつの分岐あり
岡本かも女
春夕焼影にひとつの凹みあり
潮
春夕焼影にひとつの動きあり
不二自然
春夕焼屋根にひとつの乳歯あり
うからうから
春夕焼胸にひとつのしこりあり
吉村よし生
春夕焼胸にひとつの泉あり
小池令香
春夕焼我にひとつの病あり
土井あくび
春夕焼吾にひとつの仮説あり
雅茶
春夕焼吾にひとつの希望あり
ゆすらご
春夕焼花にひとつの記憶あり
橘明月子
春夕焼口にひとつの刃あり
風早 杏
春夕焼幸にひとつのとがめ有り
笑姫天臼
春夕焼皿にひとつの決意あり
ありあり
春夕焼姉にひとつの別れあり
東京堕天使
春夕焼指にひとつの輝きあり
白百合
春夕焼西にひとつのきぼうあり
中嶋 倶子
春夕焼奈良にひとつの盧遮那あり
笑休
春夕焼猫にひとつの序列あり
季凛
春夕焼判にひとつの遺恨あり
ツカビッチ
春夕焼壁にひとつの笑窪あり
シュロバッタ
春夕焼母にひとつの策ありて
梓弓
春夕焼法螺にひとつの礫あり
月青草青
春夕焼万にひとつの真実あり
北斗八星
春夕焼頬にひとつのほくろある
つき あかり
春夕焼裸婦にひとつのほくろあり
あみま
春夕焼恋にひとつの峠あり
花屋英利
春夕焼腕にひとつのいのちあり
平井伸明
事前に紹介した六句も含めると、下五に「ある」が含まれている句は実に三十四句にも及びます。
では、動詞「ある」とはナニモノなのでしょうか。なぜこうも頻出するのでしょうか。手元の『広辞苑 第六版』〔岩波書店、2011年〕で「ある」の意味を確認してみます。
あ・る【有る・在る】
〔自五〕
文 あ・り(ラ変)
(ものごとの存在が認識される。もともとは、人・動物も含めてその存在を表したが、現代語では、動きを意識しないものの存在に用い、動きを意識しての「いる」と使い分ける。人でも、存在だけをいう時には「多くの賛成者がある」のように「ある」ともいう。対義語:無い)
① そこに存在する。
② この世に存在する。生きている。
(……以降略)
しかし、上記の三十四句をあらためて見てみると、動詞「あり」をいれる必要があるのか、疑問に思えるケースもあります。
たとえば「傷」の類想でも紹介した「春夕焼頬にひとつの傷のあり 喜祝音」。ゆっくりと上五から映像を思い浮かべつつ読んでみましょう。


「春夕焼頬にひとつの傷」
……仮にここまで読んだとして、大多数の人は、「傷があるんだな」と読み取るはずです。 続くラスト三音も読んでみましょう。
「春夕焼頬にひとつの傷のあり」
その点、同じ「傷」ジャンルの「春夕焼指にひとつの浅き傷 おこそとの」で登場するように、「浅き」と情報を追加するだけで二音分のオリジナリティとリアリティが句に盛り込めるわけです。
それでもなお多くの人が「あり」を選択してしまう原因の一つには、「読み手がわかりやすいように」という、優しさと生真面目さからくる配慮があるのかもしれないなあ、と個人的には推測しています。慣れてくると段々「省いても良い言葉」の分量がわかってくるのですが、最初は難しい。
また、「他人の句には指摘ができるけど、自分で作る場合にはわからなくなる」ケースもある。いつき組長出演のTV番組『プレバト‼︎』を長く見続けている人には経験があるのではないでしょうか? 出演者の句をみて「この言葉が余計だな」と事前に察知できてしまうことが。でも自分の句に反映するのは難しい……と。これも一種のプレバト俳人あるあるじゃないかしら。


他にもたとえば「春夕焼屋根にひとつの乳歯あり うからうから」。下五の二音に入る語を変えてみると、様々な状況に変化させることができそうです。仮に「落つ」にすれば、投げ上げた乳歯が屋根に落ちた瞬間を。「照る」にすれば、より高い位置から屋根の上の乳歯を見下ろしている光景に。詠嘆「かな」にすれば、ああ乳歯があるのだなあ……としみじみとした感慨に。「濡れ」にすれば、雨が降った翌日だろうか、などなど……。ご本人の作句意図はともかく、やろうと思えばこんな風に句意をいくらでも変化させられるわけです。「あり」=「存在している」以上の情報を入れようと思えば、作者の意図を達成できる可能性が二音や三音にはあるのです。


もちろん、「あり」を有効に使ったケースもあります。
真っ先に思いつくのは「白梅や父に未完の日暮あり 櫂未知子」の有名句。「そのモノが存在しているのだ」あるいは「存在していたのだ」と強く言い切ることによって、作者の心情を痛切に表現する場合に、下五の「あり」を採用する手はありそうです。上記三十四句の中にもいくつか、そういった意図で使用している句が見受けられますね。季語とフレーズのバランスなど難しい点も多い作り方ですが、バッチリ決まれば格好いい句ができそうです。
ですが、工夫ひとつで差別化はいくらでもできる。そのためのあの手この手を、皆様からの回答をもとにこれからも一緒に学んで参りましょう。
ドリルde俳句がみなさんの明日の句作のお役に立てれば幸いです。ごきげんよう!

