【第5回 写真de俳句】《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
3月23日発表直後の【第5回 写真de俳句】《人①》に、一部、《地》の句も掲載してしまうという誤りがございました。ご利用される皆様、関係者の方にはご迷惑をお掛けしましたことをお詫びするとともに、ここに訂正させていただきます。現在発表のものが正しい内容です。



吊り雛の一物仕立てとして、よく目が利いています。「つるさるる」「それぞれ」とありがちな描写で足固めをしておいて、最後の「良きゆがみ」で映像を確かなものにする。十七音の分量をわきまえていてこそできる技です。一語一語がゆったりと配されている点も巧いですね。


吊り雛が沢山吊られている様子を描こうと悪戦苦闘した句もありました。この句が教えてくれるのは、遠近感の作り方です。「吊り雛の影綾なせり」と言い切った後に「太柱」を配することで、吊り雛の影がゆらゆら映っている磨き上げられた大きな柱が見えてきます。背景には他のものもあるはずですが、「太柱」のみを取り出すことで奥行きが明確になり、結果的に「吊り雛」が鮮やかに見えるのです。


雛を飾る日。箱から一つ一つ取りだし、覆っている薄紙をとり、お顔を確かめながら、並べていきます。このお人形は? 三人官女よ。こっちのお爺さんが左大臣で、この若者は右大臣。小さな冠を載せ、扇や銚子や三方や矢羽や剣などの小道具を持たせていく。そんな心おどる作業もまた、花の名前を一つ一つ知るような小さな喜びに満ちています。
「ならべゆく」「ひいな」「はなのな」とナ音の韻の踏み方、表記や仮名遣いの配慮も内容にふさわしく、心の行き届いた作品になりました。


雛を立派に飾り終えて、雛の間として整えて、よし、これで明日は心置きなく『源氏物語』を読む会に参加できるぞ、という一句でしょう。「源氏を読む会」と取り合わせた点に、雛の句としての独自性がありますし、子どものための雛というよりは、大人が楽しむ雛飾りだと思わせる格調もあります。


兼題写真の廊下に面した座敷に、「風邪の子」が寝ているに違いないと想像したのですね。風邪を引いている子の傍らに猫が寝ている、という光景を詠んだ句はいくらでもありますが、下五「光の間」という措辞がいいですね。少しでも温かい部屋に寝かせておきたいという親心も感じられ、ただの映像に終わらない味わいのある下五です。


病人を喜ばせようと、吊り雛を飾ってあげたのに、その赤が嫌だと拒まれたのでしょうか。赤という色の明るさや目出度さが癇に障るのか、血の色を思わせるから忌まれるのか。下五「赤を忌む」という表現に、胸を衝かれるような思いがしました。「雛」という季語の現場には、こんな現実もあるということです。


難しい言葉は一つもありません。「友の雛」はきっと豪華な飾りなのでしょうね。「見上げ」でそれが分かります。うちのお雛さまとは全然違うな~と見上げつつ、友の家の雛あられを遠慮なくつまんでいるのです。淡々と語りつつ、現場の様子や心情が手に取るように分かる。俳句は、これでよいのです。


いつもは二階の自分の部屋で宿題するくせに、お雛さまが奇麗に飾られている「雛の間」で過ごしたがるのですね。いつもの我が家とは違う表情の「雛の間」。中七「~も」によって、「宿題の子」以外もあれこれいるに違いないと思わせる。この助詞は効果的です。


五七五を逸脱していますが、この正直な口語が愉快です。「おまえんち」は、中庭あたりに大きな桜が咲いているお屋敷なのでしょう。「桜はあるし」と対句の形で、「カルピスは濃いし」とくるのが、実にリアル。うちのカルピスは貧乏くさいほど薄いんだよな~と思いながら、「おまえんち」でのささやかな贅沢を楽しんでいるのです。


この句の面白いのは、季語「雛の間」を「経路」扱いしているにもかかわらず、読み終わってみると「雛の間」が主役に立っていることです。この「庭」は、お雛さまが見える中庭なのでしょう。運んでいる「馳走」は、雛の日のちらし寿司でしょうか。雛の日の賑わいが、一句の向こうに広がっていく楽しい作品です。


雛の箱の中に、なぜか入っている「壺」なのだろうと思います。いつ頃、誰が買ってきたのか、もらい受けたのか、どんな由来があるのか。毎年、雛壇の横に置いて桃の花を生けたりしているが、「価値も分からぬ壺」なのです。今年も無事に「雛納め」する、その箱の中の所定の位置にこの壺もまた仕舞われるのですね。