【第5回 ドリルde俳句】①

始めに
出題の空白に入る言葉を考えるドリルde俳句。出題の空白を埋めてどんな一句が仕上がったのか、皆さんからの回答を紹介していきます。


第5回の出題
子育て世代まっただ中のワタクシ、日々こどもの言語能力の発達には驚かされております。日常のなかで自然に複数のものの関係性や対比を見つけ出したりしているのですね。「犬は白、猫は茶色」みたいな感じで。動物という括りは同じだけど、違う生き物。さらに、それぞれが違った色という属性をもって差別化されている、という具合です。
この対比の仕掛けは俳句の型にも利用できます。「馬」と「牛」、種類は違うけど、どちらも農耕に関係した動物であるという共通点。それぞれに区別の助詞「は」をつけてどんな差別化を行っていくか。発想のパターンを見ていきましょう。


……が、その前に。陥りがちな落とし穴にハマった人々をご紹介ッ!
馬は駆け牛は春田を耕しぬ
岡本かも女
馬は駆け牛は春田を耕しぬ
すぴか
馬は駆け牛は春田を耕しぬ
はなみずき
馬は野へ牛は春田を耕しぬ
れんこん
馬は昊を牛は春田を耕しぬ
丹波らる
馬はしり牛はみ春田耕しぬ
山羊座の千賀子
馬妊む牛は春田を耕しぬ
雨子
馬はずみ牛は春田を耕しぬ
香亜沙
馬は空牛は春田耕しぬ
鳴滝いたち
馬は天牛は春の田耕しぬ
ミセウ愛
実はですね、今回の出題にはあらかじめ季語が含まれているのです。「馬」でも「牛」でもなければ……そう、「耕し」です。一般動詞が季語だなんてそんなバカな⁉︎ と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、「耕し」は春の人事の季語なのです。傍題には「春耕」「耕人」「耕牛」「耕馬」などが含まれます。まだ「春耕」であれば「おや、季語かな?」と感知しやすかったのでしょうが……残念、痛恨の季重なり!
季重なりの例として「春田」が最も多かったわけですが、それは下五「耕しぬ」に続く「どんな場所か」を考えた結果でもあるのでしょう。




馬は畑牛は田んぼを耕しぬ
二見歌蓮(フタミカレン)
馬は畑牛は田んぼを耕しぬ
喜多輝女
馬は畑牛は田んぼを耕しぬ
初老のスナフキン
馬は畑牛はたんぼを耕しぬ
風早 杏
他にも、具体的な場所を描こうとした方々、いっぱいいらっしゃいます。


具体性を持たせるために地名を採用する人も。「馬は阿波牛は讃岐を耕しぬ 露草うづら」「馬は甲斐牛は越後を耕しぬ 泉楽人」「馬は陸奥牛は日向を耕しぬ おこそとの」「馬は伊達牛は南部を耕しぬ 伊藤 蝦女」、各土地が持つ歴史や関係性が味わいに。やはりというか現代の大都市圏とは違う場所がピックアップされるのは、農耕がキーワードになっているためか。


馬は無く牛は無く現代耕しぬ
たぬき
「馬は死に牛は痩せ地を耕しぬ 信茶」「馬は死に牛は瀕死で耕しぬ 真」、どちらも馬が死んでしまっております。牛の息があるうちに休ませてやってほしい。
「馬は逃げ牛は亡くとも耕しぬ ノアノア」、亡くなった牛も気の毒だけど、野良馬が発生してることの方が大問題。「馬は野に牛は飼はれて耕しぬ はれまふよう」も一瞬逃げたのかと思ったけど、これは野への放牧か。「馬は戦牛は我らと耕しぬ 海羽美食」は馬の不在の理由を端的に語って上手い。共にある存在への感謝と敬意が中七に滲む。




馬は?牛は?一人の鍬で耕しぬ
登りびと
ドリルde俳句の恒例と化しつつあるんですが、文節を違った区切り方したり、違った単語に意味変換して遊ぶケース。今回はわりと出来が良かったのでいくつかご紹介していきましょう。(じゃあ今までは??)
「馬はなち牛はなたれて耕しぬ あすなろ子」はひらがな表記にすることで動詞「放つ」へと置き換えを成立させてます。「馬はてて牛はてしなく耕しぬ 飯村祐知子」は「果て」。「馬はっとう牛はっとうで耕しぬ けーい〇」は数詞「八頭」。ひらがな表記の妙味です。頭数が見えることで光景の広さも描けているあたり、上手い。
「馬はずれても牛は食いたし耕しぬ 楽剛」は……「ずれる」? あ、「外れる」か⁉︎ となると、競馬ネタか! ええい、真剣に考えて損したぢゃないか~!(笑)




「田」「畑」「路」、あるいは地名など、具体的な場所を述べた人がいた一方、抽象的な方法で場所を描いた人も。その筆頭がこんなパターン。
馬は北牛は南を耕しぬ
多喰身・デラックス
馬は北牛は南を耕しぬ
大橋あずき
馬は北牛は南を耕しぬ
びんごおもて
馬は北牛は南を耕しぬ
あずま陽太郎
馬は北牛は南を耕しぬ
チョコ秋桜
馬は北牛は南を耕しぬ
紅梅
馬は北牛は南を耕しぬ
夢めも
以下を対比で考えると面白い。


馬は西牛は東を耕しぬ
お天気娘
馬は西牛は東を耕しぬ
よしざね弓
馬は西牛は東を耕しぬ
でんでん琴女
馬は西牛は東へ耕しぬ
利根の春
馬は東を牛は西を耕しぬ
大本千恵子
馬は東方牛は西方耕しぬ
はぐれ杤餅
馬は「東」牛は「西」をば耕しぬ
山川腎茶
馬はひがし牛はにしの地耕しぬ
魚返みりん
いずれにしても、東西南北の例で考えると、回答者が明確に対比の構図を作り上げようという意思を持って回答しているのがよくわかります。
珍しいケースですが、方角とそれ以外を対比に用いた例が「馬は蝦夷牛は西方耕しぬ うに子」。片方を具体的な地方名にすることで、「西方」が漠然とした方角に留まらない読みの可能性を得ます。「東」「西」を含みつつ、別の意味を実現しているのは「馬は関東牛は関西耕しぬ ゆすらご」。先述の阿波、讃岐、甲斐、越後、etc.とは違い、大きな括りでの地方名。ここまで括りが大きくなってくると、具体と抽象の半々、といった位置づけでしょうか。




馬はここ牛は遠くを耕しぬ
野良古
「馬は裏を牛は表を耕しぬ 綱長井ハツオ」も位置の対比の例としてわかりやすい。《野良古》さんの場合は句中に「ここ」という基点を明確に配置しますが、《綱長井ハツオ》さんの場合は両極である「裏」「表」を配置することで、中間点に存在する「自分」という位置の基点が表現できているのが面白い。


馬は此処牛は彼岸を耕しぬ
仁和田 永
「馬は夢牛は現を耕しぬ 喜祝音」「馬は夢牛は現世を耕しぬ 洒落神戸」はわかりやすく抽象・概念に属すると言えます。「現」は「現実」を意味するのに対し、「現世」は仏教用語。「現在の世」を意味します。把握が広く大きな内容になっていくのが抽象・概念ジャンルの特徴でしょうか。




次回は、耕す側である馬牛に注目した回答群から紹介していきます。