ドリルde俳句の結果発表

【第6回 ドリルde俳句】①

ドリルde俳句結果発表!

始めに

皆さんこんにちは。ドリルde俳句のお時間です。
出題の空白に入る言葉を考えるドリルde俳句。出題の空白を埋めてどんな一句が仕上がったのか、皆さんからの回答を紹介していきます。
“良き”

第6回の出題

□□□□や今□□□□の声す也

今回の出題には元ネタになった句があります。

春菊や今豆腐屋の声す也 正岡子規

YouTube「夏井いつきの俳句チャンネル」【3月の正岡子規 上五の「や」について学びましょう】を観て、「あっ!」と反応した方もいらっしゃったのではないでしょうか。

思うに、正岡子規の原句には三つのポイントがあります。
 

その一. 瞬間を表す「今」の必然性
その二. 「声」の正体の意外性あるいは納得感
その三. 上五「春菊」と中七下五の距離感

“激励”
今回、この第6回 ドリルde俳句の筆をとるにあたって、改めて正岡子規の原句についてつくづくと考えておりました。
さらりと作っているようでいて、案外絶妙なバランスの上に成立しているのだな、と妙に感動してしまった次第です。

その一. 瞬間を表す「今」の必然性

まずはその一、「」の必然性について。

古今の名句を見て、同じ型を自分も使ってみよう! と思う場合もあるかと思いますが、いざ使おうとすると「」は難しい。感知の鮮度、とでも言いましょうか。「今はじめて五感がそれを捉えた」。その鮮度を活かすのが難しいのです。

……が、ある意味で、その難度へ真っ向から反逆している人たちがいらっしゃいました。「」を熟語へと変換していった人たち。「」が使いにくいなら変化させてしまえばいいのだ、というコロンブスの卵的発想。
“参った”

恋猫や今宵修羅場の声す也

喜祝音

 

恋猫や今田耕司の声す也

凪太

奇しくも両方上五は「恋猫や」。「今宵」は単語に上手く変換してきましたね。人名「今田耕司」は想像の斜め上。あまり、今田耕司さん(お笑いタレント)のコントとか拝見したことないので、フレーズに似合うかわからない……恋猫ネタとかあるのか?

その他にもいくつかパターンがあります。〈金縷梅や今日そろそろの声す也 五十雀鷽〉〈啓蟄や「今日行きます」の声す也 通翁〉は「今日」、〈夏草や今年も腰の声す也 秋乃さくら〉〈花咲くや今年こそはの声す也 とり〉は「今年」と日常よく耳にする言い回し。〈うぐひすや今季初啼き声す也 みや〉はシーズンを表す「今季」。
“良き”
鴨川や今昔を蚊の声す也 山本先生〉は「今昔(こんじゃく)」。時間の奥行きを貫いて在り続ける「蚊」の存在。変化球の中ではかなりの手練れ。わびさびの世界ですね。

静けさや今宵は紙魚の声す也 あま健次郎〉は最初に紹介した喜祝音さんと同じく「今宵」ですが続く助詞「は」が上手い。紙を蝕む「紙魚」がモノ食う音すら聞こえてきそうな今宵の静けさであるよ、ということですね。よくもまあ変化球投げた上でこれだけ上手い決着をつけるものよ! 脱帽!
恋猫や今宵修羅場の声す也
春苑や今上帝の声す也 洒落神戸〉は源氏物語の世界へ。時間の範囲ではなく、人物を表す言葉「今上帝(きんじょうてい)」です。人物という意味では「今田耕司」とジャンルは同じ(時代とスケールこそ違いますが)。

朧夜や今際の際の声す也 山川腎茶〉は熟語「今際の際」。どなたかの臨終の場面でしょうか。取り合わせの季語によって、今際の際の対象が変化します。中七下五が同じでも〈壺焼や今際の際の声す也 川越羽流〉では人物でなく、「壺焼」の焼ける音であろうとわかります。壺焼の光景としてリアル。

鰻屋や今際の腹の声す也 鯖水煮〉は「今際の」から「腹」へと切り口を変えたのが秀逸。鰻の白い腹を刃が裂く、鋭い手つきと音が生々しく立ち上がります。(「お腹いっぱいまで食べました」という意味でないことを祈るばかり。)
“ポイント”
春苑や今上帝の声す也
」以外の使い方をした変化球を紹介するだけで結構な文字数になってしまいました。次は正面から「」に挑んでいる句を紹介しましょう。

うぐいすや今はつなきの声す也

紙風船

「はつなき」はその生き物の声を今年初めて聞くこと。その喜びを示すための「」にはちゃんと感動の鮮度が保証されていると言えるでしょう。

が、そもそも「はつなき」という単語には既に「」という瞬間の感慨は含まれているので、このケースではわざわざ「」を入れずとも成立すると考えられます。むしろ「」の二音を削ることで他の情報を盛り込んで推敲していけるはず(「ドリルde俳句」としての趣旨からはズレていくので割愛します)。
“ポイント”

春愁や今終電の声す也

タミ

 

荒梅雨や今川堕つとの声す也

池之端モルト

「終電でーす」と声があがる。「川が堕ちた!」と叫ぶ。これらのケースにも「」の持つ瞬間的な力というか、瞬発力というか、感知した「」がもたらす衝撃の強さはちゃんと意味を持ってきますね。(……《池之端モルト》さんの句、個人的には川の決壊をイメージしたのですが、「今川氏の敗北」だったらどうしよう……と若干冷や汗)。

逆にささやかな声を感知した瞬間の、小さな「あっ」という心の動きも「」で表現することができます。〈潮風や今壺焼の声す也 板柿せっか〉は先述の〈壺焼や今際の際の声す也 川越羽流〉とあわせて鑑賞したくなる一句。上五を「潮風や」にすることで海の背景が見えてきます。

味噌おじや今春の灯の声す也 多喰身・デラックス〉も愉快。まさか上五の「や」を切字ではない形で利用するとは! アイディア賞あげちゃう‼︎  昔風の裸電球が「じじっ」と唸るような、しみったれた温かみのある光景(褒め言葉です)。
“参った”
薄氷や今水の死ぬ声す也 ギル〉はささやかだけどしっかりと耳に届いてくる声。「薄氷」の割れる音と読んでもいいし、水が凝結して氷へと変じようとする瞬間かもしれない。無生物の発する音も「」として俳人のセンサーはキャッチします。

」には瞬間の感知以外にも使い方があります。

例えば〈号砲や今静寂の声す也 直〉。大きな音を発する「号砲」が消え去り、今は静寂という無音の状態がある。その「静寂」の静けさを「」と捉えています。この場合、静寂が訪れるのは音の余韻がゆっくりと消え去ってからのはず。となると、「」が示すのは瞬間のニュアンスではなく、号砲から静寂へと移り変わった「今は」というニュアンスだと読み取れます。
より明確に瞬間以外のニュアンスを表したのは〈すずむしや今でも祖母の声す也 佳路利成〉。大切な人の声が今も耳に残っていたり、その声が蘇る瞬間は誰しもあるもの。「でも」と言葉を付け加えることによって、「」の意味を「瞬間」から「継続」へと変化させました。

あくまでドリルはドリルですから、出題の元となった句を踏襲しなければいけないわけではありません。熟語として活用したり、「」のニュアンスを変更した回答ももちろんOKです。

しかし、それでもあえて原句の「」の鮮度を活かした句を紹介するとすれば、個人的な一推しはこちら。
“ポイント”

正人の一推し!

ダービーや今怒と歓の声す也

宇佐

ダービーの弾けるような歓声と怒号。「怒と歓」の省略の仕方はやや強引ながらも、ある意味で「怒声」「歓声」とする以上にストレートに感情が伝わります。上五「や」の強調から中七「」の瞬間への切り替えも鮮やかです。

最終コーナーを間近に、怒りも歓びも悲鳴も一緒くたにした声がぐわっ‼︎ とうねって湧き上がる、瞬間の迫力。お見事。

〈②へ続く〉

 

ダービーや今怒と歓の声す也