ドリルde俳句の結果発表

【第6回 ドリルde俳句】②

ドリルde俳句結果発表!

始めに

皆さんこんにちは。ドリルde俳句のお時間です。
出題の空白に入る言葉を考えるドリルde俳句。出題の空白を埋めてどんな一句が仕上がったのか、皆さんからの回答を紹介していきます。
“良き”

第6回の出題

□□□□や今□□□□の声す也

今回の出題には元ネタになった句があります。

春菊や今豆腐屋の声す也 正岡子規

YouTube「夏井いつきの俳句チャンネル」【3月の正岡子規 上五の「や」について学びましょう】を観て、「あっ!」と反応した方もいらっしゃったのではないでしょうか。

思うに、正岡子規の原句には三つのポイントがあります。
 

その一. 瞬間を表す「今」の必然性
その二. 「声」の正体の意外性あるいは納得感
その三. 上五「春菊」と中七下五の距離感

“激励”
 

その二.  「声」の正体の意外性あるいは納得感

前回【第6回 結果発表①】では、《その一. 「今」の必然性》について述べてきました。
次は、一度「」から離れて他の要素について考えてみましょう。

先に掲げたポイント、《その二. 「」の正体の意外性あるいは納得感》についてです。

原句〈春菊や今豆腐屋の声す也 正岡子規〉では「」の正体は「豆腐屋」でした。これは豆腐屋の到来を呼ばわる声でもあるでしょうし、あるいは豆腐屋の吹くラッパでもあるでしょう。「パ~プ~(あるいはト~フ~)」と聞こえる金属質の音に豆腐屋の到来を察知した記憶のある人も多いのではないでしょうか。「人物の声」と「物の出す音」、この両方の要素を含んでいるからこそ「」は無駄な言葉に終わっていないのが原句の面白いところですね。

一般的に「」というと、人間あるいは動物が主に声帯から発する音を思うはずです。当然、そういう回答が多く寄せられました。
“激励”

春めくや今子どもらの声す也

おケイちゃん

最も類想が多かったのは子ども関係。〈あたたかや今乳呑み児の声す也 央泉〉の新生児、〈あたたかや今みどり児の声す也 前田冬水〉〈うららかや今園児らの声す也 梵庸子〉といった幼児、〈若草や今子供らの声す也 花弘〉の少年少女まで、0歳から幅広く子どもの声が連想されていました。

人間の子ども以外にも、声を発する生き物はもちろんいます。次に多かったのは鳥。中でも多かったのはうぐいす。〈そよ風や今うぐいすの声す也 吉岡 まち〉〈どこからや今うぐいすの声す也 隔離迷人〉など、どんな場所でうぐいすが鳴いている、どこからか聞こえてくる、そんな発想が多かったです。
“ポイント”
他にも〈春雨や今せきれいの声す也 浮舟薫子〉〈春暁や今アイガモの声す也 摩耶〉など、他の種類の鳥も登場しましたが、鳴き声の印象ではうぐいすに一歩劣る模様。〈春暁や今ひな鳥声す也 那須のお漬物〉は鳥に子どもの要素がミックスされ「ひな鳥」に。「ひな鳥」のあとに助詞「の」が抜け落ちてる? 全体で十六音となり、韻律がぎくしゃくしているのがもったいないか。

声をあげるのが「子ども」なのは人も鳥もおなじ。他の生き物にも「子」はいます。

古民家や今猫の子の声す也 未茶歩〉、みんな大好き「猫の子」は春の季語。〈廃校や今は子猫の声す也 あなぐま家の母〉は「今は」とすることで産まれる前の静かさとの対比を狙った構造。〈裏門や今恋猫の声す也 里山まさを〉は早春の発情期。争いの声だと考えた方が「」の臨場感は活きるか。
“良き”
これら紹介したケースはいずれも率直に「声の正体」=「生き物」としています。生き物の種類(人・鳥・猫)や生育段階(ひな鳥・子猫・成猫)は違えど、みんな共通して生き物です。

同じように生き物の声を意味してはいるのですが、人間に対象を絞り込むと、こんなケースが登場します。
春めくや今子どもらの声す也

春愁や今教頭の声す也

鷹栖句会まつこ

指導熱心な教頭先生に呼び止められる学生時代? 春愁が思わせぶり。過去にやんちゃしてたりしたのかしら。

当然、役職「教頭」についてらっしゃるのは人間でしょう。つまり声の正体は「人間という生き物の声」なんだけど、その「人間」を特定の役職の名前で表現しているわけですね。〈雪解けや今キャプテンの声す也 ペトロア〉も同様の手法。春先の溌剌とした練習。

学校に限らず、職業的な意味を帯びて〈春光や今棟梁の声す也 神保一二三〉なんてやり方もあります。温かな春の中で発される棟梁の号令。

俳句仮面や今家藤の声す也 大西どもは〉……ん? ちょっとなにいってるか霧がこくてあまり画面が見えないですね……。
“難しい”
春愁や今教頭の声す也
人間が行う行動や、置かれた状況も「人間」の代名詞のように扱えそうです。

花道や今卒業の声す也 黄色いくじら〉は卒業という過程を今まさに遂行している場面。式辞や答辞、進行の呼びかけで幾度も「卒業」という単語そのものも飛び出すでしょう。〈リモートや今卒業の声す也 ちえ〉は依然続くコロナウィルスとの戦いの中で生れた、時事句でもあります。

ふらここや今青春の声す也 はれまふよう〉はやや抽象性を増して「青春」。学生に限らず〈還暦やいま青春の声す也 門司区ビリケン〉といった使い方も。後者の使い方になると、実際の音声に限らず、追憶のような意味が濃くなってくるか。

春暁や今大漁の声す也 たぬき〉は「大漁」に対する判定が難しい。大漁に湧く歓喜や怒号を想像すれば「状況」に分類できそうだけど、文字通り「大漁!」と叫んでいる「台詞の表現」の可能性もあり。
“激励”
花道や今卒業の声す也
ともあれ、生き物や、その生き物が置かれた状況によって、「」という要素は当然発生してくるものなのです。

さて、その「当然」発生してくるものに対して、わざわざ十七音中「」の二音を割くべきなのか? あまつさえ「す也」と強く言い切るほどの補強までして。

結局下五は、五音全てを使って「その声がした」事実だけを言っているにすぎないのです。言葉の経済効率で考えれば、実にもったいない気分にさせられます。無駄感が漂う。
“難しい”
この一見無駄にすら見える下五を生き返らせるには、二つの方法があるように思います。

ひとつは、「」の効果をとびきりに活かして、下五を「」の印象の補強とすること。先述の〈ダービーや今怒と歓の声す也 宇佐〉などは最たる例ですね。

もうひとつは、本来「」を発するはずのないものを中七に配置し、聞こえないはずの声が聞こえる、という詩的把握へと下五の効果を発揮させること。

たとえば〈春空や今紺碧の声す也 小澤ほのか〉。中七に配されたのは「紺碧」という色です。声を発しないはずの「色」というものから「今、声がするのです」と言い切る。この言い切り=詩的断定によって詩を生んでいるのです。
“激励”
まったく音がしないわけではないけれど〈清明や今湧き水の声す也 うに子〉も感知が繊細で綺麗。水が湧く様を「滾々と」と形容することがあるけれど、水の湧く勢いの程度によっては、ただ水が静かに押し上げられるような映像だけがあり、無音の場合もあるでしょう。その無音に「」を感知すればこんな表現になるのかも、と思わされます。

普通に考えたら声を発しそうなものを中七に置きたくなるところですが、その「当然」へと踏み入らないやり方もあるよ、ということなのですね。
“良き”

その三.  上五「春菊」と中七下五の距離感

冒頭に掲げた正岡子規の原句の三つのポイント、その三に参りましょう。

上五「春菊」と中七下五の距離感について。原句「春菊や今豆腐屋の声す也 正岡子規」は季語「春菊」と中七下五の関係が割と緩やかといいますか。少なくとも、二物衝撃というほどガツンと火花を散らすような取り合わせではない。

かといって、あまりにも中七下五が異物なわけでもない。春菊を摘んでいたり調理していたりといった光景の中に、自然に入り込んでくるような。そういう距離感です。(YouTube「夏井いつきの俳句チャンネル」【2月の正岡子規 季重なりの句でみなさんの疑問にお答えします】動画内でも、この句について解説しているくだりがあります。)
“良き”
俳句を始めた頃、この「取り合わせの距離感」という概念には大いに悩まされるんじゃないかなあ、と自分の記憶を振り返ってみても思います。

画一的な答えが出せない問いなのですが、こと今回のドリル出題においては「距離感近めの方がよりヤバい」と言えるのではないかと思います(随分雑な言い方ですが……)。

ここまで述べてきたように、今回の出題は、

1.  中七には当然「声」を出すものを配置しがち
2.  下五を全部使ってわざわざ「声」を補強している


……と、中七下五で十分「やりすぎ」な要素、「当然」を選択しがちになる罠、そういったものが満ちているのです。ここにさらに上五まで当たり前な範囲のものを配してしまうと、言葉がお互いをべたべたと絡め取ってしまう。
“良き”
例えば序盤に紹介した〈うぐいすや今はつなきの声す也 紙風船〉を例にとって考えてみましょう。「うぐいす」と「はつなき」は非常に近いフィールドにある言葉だと納得できるはずです。同じ鳥に関連した言葉。上五と中七下五の接点、イメージのフックのようなものが意識できるでしょうか。

では〈春愁や今終電の声す也 タミ〉はどうか。これは中七下五の出来事によって上五の心理が引き起こされた、と理解できそうです。「あ~あ、終電いっちゃったよ……どうしよう……。」……というガッカリ感。憂い。BによってAが引き起こされた、という因果関係の構図にもなってきます。
“ポイント”

サイダーや今出航の声す也

泉楽人

ではこちらはいかがでしょう。

「出航」を回答した方は他にもいらっしゃったのですが、《泉楽人》さんの回答は「サイダー」がつかず離れず、良い具合に効いています。「サイダー」の持つ清涼感、弾ける泡、爽やかさ。そういったものが「出航」の明るさと響き合います。

「出航の声」は汽笛かもしれないし、文字通りの台詞を乗組員が発したのかもしれない。その「」の想定の範囲も元句の「豆腐屋の声」と共通します。
“ポイント”
サイダーの季語の世界に「常に」出航の声があるわけではない。しかし、季語の世界の周辺にはこんな場面が「あってもよさそう」だ。そんな気がしてきませんか?

薫風や今船頭の声す也 衷子〉も船に関する言葉という意味では近いジャンル。近代的な船というよりは、小さな舟。かつて日々の生活や交通に使われた舟と船頭の関係を思わせます。季語「薫風」がよりその印象を強めます。
“良き”
サイダーや今出航の声す也
バイパスや今木蓮の声す也 世良日守〉は陸上交通。運転中、視界の端に留まった大ぶりな「木蓮」の花は、まるでなにか声を発しているかのようだ。日常で働く俳人の詩的センサー。

春月や今発酵の声す也 雪音〉はパン種? ヨーグルト? お漬物? 器に耳を近づけて発酵の小さな小さな音に耳を傾ける春の夜。頭上の月も豊かな色合いに輝いていそう。

星飛ぶや今星砂の声す也 新開ちえ〉は個人的には夜の海岸を想像した。星の形の粒子からなる堆積物、通称星の砂。その上を歩くかすかに湿った足音。夜空を流れた星もいつかこの星の砂の一部になるのかも……なんてメルヘンに考えてみるのも楽しい。
“良き”
朝の野や今春駒の声す也 鈴白菜実〉は「野」と「春駒」が一瞬近いように思わせるが、「朝の野」である点が秀逸。「朝」という時間情報が加わることで、「春駒」の喜びの鮮度が上がる。野に放たれる声にも喜びの響きがあるに違いない。

春風や今えんぴつの声す也 颯萬〉は気持ちいい春の教室。「えんぴつの声」は教室中でみんなが勉強する筆記音か、あるいはえんぴつを床に落とした音かもしれない。

「春風や」がつかず離れず気持ち良い距離感である証拠に、仮に季語を変えたらどうなるか? もし〈大試験今えんぴつの声す也〉なんてしたら台無しだ。そりゃえんぴつの音だって聞こえるでしょうよ、って話だ。季語の距離感ひとつで、フレーズが輝きを得るか失うか。選択の大切さがよくわかります。
“ポイント”
星飛ぶや今星砂の声す也
今回はドリルde俳句初の「元となった句が存在する」出題でした。

あくまでドリルはドリル。元の句に寄せる必要はなく、どんな回答をするのかは参加する皆様の自由。

ですが、その回答の良し悪しを判断するにあたって、元となった句についての理解はやはり深めておかないといけないな、と個人的に大変勉強になった回でした。考えれば考えるほど、正岡子規の懐の広さといいますか、構えの自在さというか、見事であるな、と。日々、勉強であります。自戒。

僕自身が学びながらのドリルde俳句。みなさんの明日の句作のお役に立てれば幸いです。ごきげんよう!
“とてもいい”