ドリルde俳句の結果発表

【第7回 ドリルde俳句】③

ドリルde俳句結果発表!

始めに

皆さんこんにちは。ドリルde俳句のお時間です。
出題の空白に入る言葉を考えるドリルde俳句。出題の空白を埋めてどんな一句が仕上がったのか、【第7回 結果発表①】【第7回 結果発表②】に引き続き、皆さんからの回答を紹介していきます。
“良き”

第7回の出題

○○○○や汝とならば○○○○も

春昼や汝とならばどこまで

白湯気

「春昼」は一日のうちの時間帯を明確にします。明るい春の日中の場面。【第7回 結果発表②】で紹介した《ぱんだ社長》さんの〈春空や汝とならばどこまでも〉の「春空」や、《横浜月子》さんの〈夏空や汝とならばどこまでも〉の「夏空」が明確な空の映像を含んでいたのに対し、「春昼」は様々な状況を許容します。外にいるかもしれないし、リビングで穏やかに「汝」との時間を共有しているのかもしれない。

陽春や汝とならばどこまでも ひで世〉の「陽春」は「春」の傍題。季語の範囲が春全体に及ぶため、より想像の許容の幅が広い。〈行く春や汝とならばどこまでも 齋藤歩る手〉は春の終わり頃に絞られる。終わりゆく春を共に過ごす寂しさと満足と。
“ポイント”
遠足や汝とならば何処までも びんごおもて〉は具体的な状況を描きます。何人もこどもを引き連れての光景を思うと「汝」の単数形が似合うかどうか?

同じように野山を歩き楽しむ光景でも〈青踏や汝とならば何処までも 片野瑞木〉は季語の選び方が上手い。どこまでも歩く、そのたびに萌え出た草を踏む喜びがある。古代中国の風習から伝わったという季語の背景と、風格ある「汝」も似合う。

楽園や汝とならばどこまでも かのママ〉の「楽園」は感慨としての楽園? 具体的な場所とも、抽象的な概念とも読めるのが判断に迷う。〈薄氷や汝とならばどこまでも きなこもち〉は薄氷を無心に踏み割りながらどこまでも歩いていく楽しさか。薄氷のようなギリギリの人間関係……とかではないと思いたい。
“参った”
正直に告白しますと、今回の記事を書くにあたってはじめて「汝」について調べました。今まで「汝」という言葉はむしろ厳かで、緊迫していて、儀式などでの呼びかけに使われるようなイメージを持っていました。

それがまさか【親しい者、目下の者、動物などに用いる】言葉だとは。僕と同じようなイメージを抱いていた方もいらっしゃったんじゃないかなあ……というのも、劇画調な迫力のある回答が一定数来ているのです。
“良き”

極月や汝とならば心中

玉井令子

 

春雷や汝とならば心中

蜻蛉子

 

惜春や汝とならば心中

秋桜

 

朧夜や汝とならば心中

玉井令子

 

や汝とならば心中

蜻蛉子

 

共に自ら命を絶つという、ある意味究極の儀式である心中。この下五に辿り着く方は「汝」に対して僕と同じように重く強烈なイメージを持っていたのでは……と思うのですが、いかがでしょう。それぞれ季語によってイメージが変わってくるのが面白いですね。

「極月」は時期を示す。十二月の寒さと気忙しさに追い詰められる心地には共感があります。「春雷」は激しさだけでなく春の優しさもある。予期せぬ死と、それを追いたくなるような心とも。

「惜春」は「行く春」と似ているけど、「惜」の一字によって感情が色濃く出る。心中するくらいなのに惜しむか? と一瞬思うけど、「心中も」を「心中してもよい」「心中も辞さない」というようなニュアンスで読めば「惜春」の微妙な心の動きは正当性を持つか。

「朧夜」は朧のしっとりとした湿度がムードを作り出す。情事の睦言なんて読みも成立するかもしれない。源氏物語の世界にもありそうな男女の情。

「薇」は不思議な季語の置き所。山菜摘みに行って遭難してる……? そんな状況で「おまえとなら心中も……」なんて言われても、相手からしたら「ふざけんな」と怒り狂うんじゃないか?? 助かっても関係は無事に済むまい。
“難しい”
朧夜や汝とならば心中も
〈④へ続く〉