ドリルde俳句の結果発表

【第8回 ドリルde俳句】②

ドリルde俳句結果発表!

始めに

皆さんこんにちは。ドリルde俳句のお時間です。
出題の空白に入る言葉を考えるドリルde俳句。出題の空白を埋めてどんな一句が仕上がったのか、皆さんからの回答を紹介していきます。
“良き”

第8回の出題

夏嵐○○○○○○○飛び尽す



【第8回 ドリルde俳句】①に続き、皆様から寄せられた回答をみていきましょう。
“ポイント”
 
 

夏嵐彼の日の写真飛び尽す

彩翠

より強く「飛び尽す」が心理的な意味を帯びてくるケースのご紹介。

映像としては、夏の嵐に「写真」がざぁっと飛ぶだけの光景なのですが、読み手の解釈に大きな影響を与えるのが「彼の日の」という「写真」への特徴付けです。「あの日」ではなく「彼の」という古語にも用いられる言い方によって、込められたひとかたならぬ想いを読者は感じ取るわけです。

幸せだった時代か、今は失われてしまったものか。〈夏嵐君との写真飛び尽す 秘星種(ピスターシュ)〉はより対象が具体的なものに絞られます。特に詩歌の世界では「君」という言葉を使って想い人を指す場合があります。

いずれのケースも強い想いがあるが故に、「飛び尽す」の下五まで読み切った時、強い風のように喪失感が吹き寄せてきます。
“良き”
夏嵐君との写真飛び尽す

夏嵐私の愁い飛び尽す

かずりん

「写真」などの物に託さず、直接心理を表す言葉を使った例もありました。

「私」が抱えている負の感情は「愁い」だけではありません。〈夏嵐吾の悩みも飛び尽す 星月さやか〉は「吾(われ)」、〈夏嵐吾の憂鬱も飛び尽す みづちみわ〉は「吾(あ)」となっていますが、いずれも「私」を意味します。

強い夏嵐の真中にいる「私」を強調するという意図は汲めますが、欲をいえばより具体的な心理の手触りのような情報が欲しくなりますね。どんなタイプの愁いなのか。なにがその愁いをもたらしたのか。愁いを持つ人は世界中にたくさんいますが、「私」が感じた生の感情の感触が欲しい。
“激励”
他の方の回答からヒントになりそうな例をみてみましょう。

たとえば〈夏嵐湿った心飛び尽す 咲八〉。先述の回答と同じように、具体的な物は登場せず、心理だけを述べています。「湿った心」とはいったいどんな心理なのでしょうか。悲しみ? 憂鬱? 涙の出るような感動?

《咲八》さんにとっての「湿った心」が、本当はなにを意味するのかは、作者の胸の内を直接覗いてみなければわかりませんが、読み手は提示された十七音から想像することはできるわけです。
“良き”
夏嵐小さき迷ひも飛び尽す 紅ル-ジュ〉〈夏嵐小さな不満飛び尽す 小鳥ひすい〉は「小さい」という大きさ・規模の情報を加えることで、具体的な感情の手触りへと近づけます。「小さい」からこそ「飛び尽す」にも説得力が生れてくる。巨大だと飛んでくれないですから。

夏嵐小粒なる鬱飛び尽す 光吾子〉は、さらに「小粒」と指先でつまめるような感触まで落とし込めているのが上手い。本来形を持たない「感情」というモノにあえて形を与えることで詩を発生させるテクニック。
“とてもいい”
夏嵐湿った心飛び尽す

夏嵐水切りの石飛び尽す

沢田千賀子

心理の要素へはゆかず、映像の描写に徹した人たちもいます。回答を分類し、原稿を作成していると、今回の出題に関しては実はこのやり方が一番難しいんじゃないだろうか……という気がしております。「夏嵐」の明るい激しさもさることながら、難しくしている最大の原因はやはり下五の「飛び尽す」。

「飛ぶ」なら物の運動や状態を表すだけの言葉です。しかし「飛び尽す」になると話が違います。「飛ぶ」という行為を「尽す」。すっかりその運動を果たした。そのために力の全てを使い終えた。そういうニュアンスになります。

ただ「飛んでいる」「飛んだ」ことを表現したいなら、ふつうに「飛ぶ」で良い。しかし今回はわざわざ「飛び尽す」と言っている。ならば、そのニュアンスを必要とした映像の描写が求められているのです。む、むずかしぃー。
“難しい”
《沢田千賀子》さんの回答は、以上の条件を満たして見事に映像化に成功しています。心の動きや願望などの匂いもなく、ただ淡々と運動の開始から完遂までを目に捉える作者。

夏嵐ゴムプロペラ機飛び尽す 中島裕貴〉も物の設定が上手い。ゴムを巻いて飛ばすプロペラ飛行機の玩具、ありましたよね。強い夏の嵐に乗るか、流されるか。やがて力を失って、はたと地に落ちる「ゴムプロペラ機」。水切りの石もそうですが、観察に科学の目線が効いています。

夏嵐田毎の月ぞ飛び尽す 重来〉は映像を思い浮かべるまでに時間がかかりますが、像を結ぶと面白い。最初は田の一枚一枚が凪いで、月が映っている。夜の嵐がくる。強さを増す風に水面が乱れ、やがて映っていた月は一枚残らず田の面から飛び尽してしまう。飛び尽した瞬間が、「夏嵐」が最も力強く一句を支配する瞬間でもあり、季語が際立ちます。
“良き”
夏嵐田毎の月ぞ飛び尽す

夏嵐ツナ缶の灰飛び尽す

英曙

矛盾を抱えているようでもあるのですが……「飛び尽す」と言いつつ、果たされきってはいない、そんな内容が心を捉えた句もありました。

吸い終えた煙草をねじり消す場所の設定として、「ツナ缶」はとても生活感が出ています(かくいう自分は非喫煙者ですが)。ひょっとしたら油を洗い落とす前の、まだベタついたツナ缶かもしれない。いくつも吸ってこんもりと積もった煙草の「灰」。開けた窓から吹き込む嵐か、ちょっと外に缶を持ちだして吸っているのか。

強風が層になった灰を飛ばすけど、油に濡れたほんの少しの灰が黒々と缶にこびりついている。子規が原句を作ったのは明治29年。青年期の子規のエネルギッシュで明るい原句とはまるで違っているけれど、燻りを抱えたようなこの句も、現代の光景としてとてもリアルな質感で立っている気がするのです。
“激励”
夏嵐ツナ缶の灰飛び尽す
故きを温ねて新しきを知るドリルde俳句。皆さんの明日の句作のお役に立てれば幸いです。ごきげんよう!
“とてもいい”