写真de俳句の結果発表

【第11回 写真de俳句】《地》

評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

第十一回写真de俳句 地
秋の波ひかりはほんたうにくらい  広瀬 康

「秋の波」という季語を「ひかり」という言葉で表現する句はいくらでもあるのでしょうが、秋の波をじっと観察していると、なんと昏いひかりであることかと、ふと感じ入ったのです。

「ひかり」にはさまざまな明度や色や波長がありますが、「秋の波」という季語の本質は、昏いひかりでできあがっているのだと感知する。そこに詩があります。作者の抱く心のくらがりが、そんな光景を見せているのかもしれないと、思ったりもしました。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

瞬膜のまばたく澱のやうな夏よ  としなり

「瞬膜」とは、目の角膜と瞼の間にある薄膜です。一読、私は鳥の瞬膜が閉じる瞬間の映像を思いました。調べてみると、〈脊椎動物のうち、サメ類、無尾両生類、爬虫類、鳥類にみられる〉とのことですから、サメやトカゲを思う人がいてもよいでしょう。

前半の「瞬膜のまばたく」を終止形と読むのか、「瞬膜のまばたく澱の~」と連体形で読むかによって、一句のニュアンスは変わっていきます。が、この抽象的な把握はすべて「夏」という季語へと収斂していくのです。

私は終止形で読みました。瞬膜がまばたく瞬間の映像に、澱のような夏をどんよりと過ごす懈怠がかさなっていく。そんな感覚として捉えました。「夏よ」の「よ」という詠嘆は、昏い青春の溜息のようにも思えます。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

明日には邪魔な貝殻拾う夏  帝菜

浜辺に行くとついつい貝殻を拾います。あらキレイだとか、カワイイだとかついつい拾うのです。

拾っているのは誰でしょう。明日になれば邪魔になるものだと知って拾う自分を、客観的に眺めている私でしょうか。子どもたちが貝殻を拾うさまを可愛く見つめつつ、苦笑いをしている親たちでしょうか。はたまた、恋人に対する醒めた視線かもしれません。

最後の「夏」という季語が、「明日には邪魔な貝殻拾う」さまざまな人物やその表情を全て受けとめて、そこにある。そんな感覚の作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

刺青の龍へライター貸す炎暑  ツナ好

「刺青の龍」を彫り込んでいる人物へ、自分のライターを貸す。それだけの描写ですが、映画のワンシーンのような映像が浮かんできます。ライターを貸すのですから、お互いに煙草を吸おうとしているのでしょう。

刺青の絵柄が「龍」ですから、腕とかではなく、背中か? と想像し始めると、最後に「炎暑」という季語が出てきます。その炎えるような暑さに、ライターの火の熱が重なり、さらに刺青の肌の熱へと、映像と皮膚感がフラッシュしていくような効果もあります。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

四輪車柩のごとくボート曳く  丹波らる

四輪車の後ろに「ボート」を繋いで走っているのを、時折見かけます。単純に考えれば、アウトドアを楽しむ人たちなんだろうな、で終わってしまう光景ですが、その曳かれるボートが「柩」に見えたという感知そのものが詩です。

棺の中には、晩夏という季節そのものや、この夏のさまざまな出来事、作者自身の心情なども葬られているかのようだと感じるのは、少々深読みが過ぎるでしょうか。「曳く」の一語の余韻が、深く心に残る作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

サーファーのラスト一本から二時間  山本先生

「サーファー」は波を待ちます。「ラスト一本」の波を待ち、波に乗れば、今日は終わりにしようと言いつつ、波を待ち続けているのです。サーフボードの上に腹這い、後ろに生まれる波を凝視し続ける。そんな光景もありありと見えます。

この「二時間」を、サーファー自身の視線と読んでもいいし、それを見守る仲間やコーチなどを思ってもいいでしょう。あるいは、ぼんやりと眺めている第三者の「二時間」と読んでみると、その人物の時間の使い方や心情にも興味が湧いてきたりもします。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

チャリ通のアイツとばつくれて夏へ  ぐ

ばっくれる、なんて言葉は俳句に馴染まないと思う人もいるでしょうが、生な言葉としてある年代の若者の生態がリアルに立ち上がります。そのような効果を意図して、こういう言葉もどんどん使ってよいと(私は)考えます。

「チャリ通」は自転車通学。自転車の荷台に乗って、学校をサボっている。あるいは放課後の補習授業を抜け出している、という感じでしょうか。「アイツ」との関係をどのように想像するかによって、「夏へ」のあとの光景が様々に変化していく。そこも楽しめる作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

女生徒の投げし槍より夕焼は  磐田小

陸上競技の槍投げ。ヤアーッ! という声とともに投げる槍。やがて迫ってくる夕暮。投げる槍から、夕焼が広がっていくかのような印象を抱きつつ、いつまでもいつまでもそれを眺めているのです。

恋とかそういうのではなく、女生徒が槍を投げる姿に、一種崇高な印象を感じとったのかもしれません。「槍より夕焼は」という余韻の美しさが、読み手の心を打ちます。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

風に音割れて遊泳禁止告ぐ  玉響雷子

「風に音割れて」は聴覚だけの情報ですが、後半の「遊泳禁止告ぐ」によって、場面がありありと立ち上がってきます。この浜そのものが遊泳禁止の場所というよりは、台風が近づいているとか、海水浴場がコロナで閉鎖されているなど、特別な事情によるものかと読みました。

「遊泳禁止告ぐ」の後に、晩夏の砂浜、高い波、強い風の音、泳ごうとしている数人の若者などが見えてくる。それらの映像喚起力を誉めたい一句です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

ママチャリ早し夕焼けのゴングかな  七瀬ゆきこ

母はいつも全力で生きています。仕事が終われば一目散にママチャリを漕ぎ、夕焼けの道をぶっとばすのです。「夕焼けのゴング」とは……。夕飯の買い出しでしょうか、保育園にお迎えにいく時間との競争でしょうか。塾へ行く子を送り出すまでのゴングでしょうか。

いつも全力でママチャリを漕ぐ。夕焼けはそんなママたちを全力で応援するから、あんなに真っ赤なのかもしれません。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき