ドリルde俳句の結果発表

【第11回 ドリルde俳句】①

ドリルde俳句結果発表!

始めに

皆さんこんにちは。ドリルde俳句のお時間です。

出題の空白に入る言葉を考えるドリルde俳句。出題の空白を埋めてどんな一句が仕上がったのか、皆さんからの回答を紹介していきます。
“良き”

第11回の出題

第11回の出題「揺れやみて○○の○○○○○○知りぬ」

今回の出題を作成するにあたって、意識していた句があります。

白藤の揺りやみしかばうすみどり 芝不器男

歳時記にもよく採録されている、一物仕立ての名句です。綺麗ですね。春に咲く藤の花。風に揺れている間は白く見えていたけれど、動きを止めた「白藤」をよく見てみれば、うっすらと緑がかっているではないか、という発見の一句です。たった十七音で、時間の移り変わりやささやかな映像の変化を見事に描ききっています。

翻って見てみると、自分で作成した出題の粗に気づかされて情けない気持ちになりますね……。

「揺れやみて」の時間の要素を含んだ語りや、下五「知りぬ」の知覚の驚きなど、芝不器男の句の要素こそ含んではいるものの、完成度が段違いです。芝不器男の句は「白藤の」と、揺れている対象物から一句が始まっている効果も大きいなとあらためて実感しますね。
“ポイント”
さて、一人反省会もそこそこに回答をみていきましょう。
先行句に大きく後れを取ってしまっている出題句、少しは良い方向に浮かび上がることができるのか⁉︎

揺れやみて心は春知りぬ

不二自然

先ほど、芝不器男の句は白藤から始まっている効果が大きい、と書きました。

その効果とは、一句に映像をもたらしてくれること。比較対象として《不二自然》さんの回答を見てみましょう。

動詞「知る」に完了の助動詞「ぬ」がくっついた「知りぬ」は、口語訳すると「知りました」の意になります。

文脈から想像して、揺れやんだのは「僕の心」であろうと解釈します。揺れていた僕の心が止まった。その心が「春」を知った……恋でしょうかねえ。自覚する恋心、的な? うーん、甘酸っぱい。

状況としては理解できるのですが、この回答の中には明確な映像が登場しません。あくまで句の主人公の心の揺れ動く様が描かれているに過ぎないのです。また、「春」も心理を表す言葉として使われているため、季語の力を発揮しているとは言い難い。
“良き”
揺れやみて僕の心は春知りぬ 不二自然
とはいえ、季語をいれようとしてくださっている努力は讃えたいのです。 なぜか今回は季語が入ってない回答が大変多く寄せられまして……例えば

揺れやみて微笑み恋知りぬ

こちらも恋ネタ。いかに爽やかな「彼」であろうと、彼の姿だけでは季語にならないんだなあ。

揺れやみてかれの弱点われ知りぬ 波流よし〉はなにが揺れている? 地震が怖い? 人間誰しも怖いものはあるけど、こんな冷静に判断されたら今後の主従関係が決定づけられてしまうんぢゃないだろうか。
“難しい”

揺れやみて筋肉袖知りぬ

熊縫まゆベア

筋肉でパンパンに張り裂けそうになった袖、いいよね! 大好物です‼︎
が、そんな個人の嗜好はともかくとして季語をいれましょう、季語を。
“ポイント”

揺れやみて風呂海月を屁と知りぬ

吉野川

季語らしきものは入ってきたけど……明らかに生き物の「海月」じゃない。屁だろ⁉︎
“参った”

揺れやみて殿カツラを皆知りぬ

しみずこころ

言いにくい系のやつ。戦国の世にもカツラってあったのかしら、と疑問に思いネット検索したところ、カツラは紀元前から既に存在していたようです。貴人の装身具だったのですね。それなら殿がつけててもおかしくない?
“良き”
揺れやみて風呂の海月を屁と知りぬ 吉野川

揺れやみて齲歯抜けるをいま知りぬ

宝居照子

「齲歯(うし)」は虫歯のこと。もう抜くしかない段階の虫歯の治療。麻酔に感覚のなくなった口のなかで、もごもご治療が続いていたのがようやく止まって、ついに問題の虫歯が抜き去られたことを知る……季語こそないけれど、ホッとする解放感がリアルです。

他にも季語が入っていない回答は多数寄せられておりました。
際限がありませんので、映像の話に戻りましょう。

上記の回答例には「なにが揺れやんだのか」が映像的にわかりにくいものが多い。《不二自然》さんの例のような心理の「揺れ」だけではなく、《熊縫まゆベア》さんや《しみずこころ》さんの例をみても「なにが揺れやんでこういう状況になったのか」がわかるようでわからない。
“ポイント”

揺れやみてしなやかさを知りぬ

うさぎさん

その点、「藤」などの具体的な対象が登場すると読みがハッキリします。

芝不器男の「白藤」の句はその色彩に注目していましたが、《うさぎさん》さんの場合は「藤」の性質に注目しています。藤棚から垂れ下がる蔓の揺れ動くしなやかさ。

揺れやみて藤の花房丈知りぬ 三保鶴〉は形状を観察して描写を試みています。〈揺れやみて藤の長きを今知りぬ 浜 けい〉も内容は似ていますが、「今」の一語によって作者のハッとした心の動きが切り取られています。「長さを」ではなく「長きを」となっていることも工夫のポイント。連体形「長き」のあとには本来体言が入るはずですが、「長き(こと)を」のように括弧内が省略された形と理解できます。
“良き”

揺れやみてかそけき花知りぬ

竹田むべ

こちらも同様に、何が揺れていたのかハッキリ述べたタイプの回答です。穂先にちまっと咲く白い稲の花に対して「かそけき」はぴったりな形容。風に吹かれて揺れている間には見えづらいですが、揺れやんだ後ならばこのように描写もできるでしょう。上五の必然性も生まれてきます。

この「動きと停止と観察」の組み合わせは植物に適用しやすいようです。

揺れやみてつゆ草の濃き青知りぬ 径〉も構造は《竹田むべ》さんの回答と似ています。動いていた小さな花、その動きが止まって観察したらどんな表情であるか。カメラで動画を撮影していると思ってください。ぐぐっと対象物にカメラを寄せて、大写しにするイメージです。この手法を成功させるためには丁寧な描写が求められます。
“ポイント”
例えば同じ花への描写でも〈揺れやみて花の美しさを知りぬ 花星大福〉は「美しさ」という大きなイメージで形容されています。また、美しいと形容される植物は花=桜に限らず、様々な種類があるでしょう。季語を活かすためにはより詳細な描写、あるいはオリジナリティある形容が必要になるわけです。

揺れやみて蓮の真中の色知りぬ 彩汀〉は大きな「蓮」を素材にしていますが、その中心部分に焦点を絞ります。〈揺れやみて百合の雄蕊の色知りぬ 立田鯊夢〉も同様ですが、具体的な器官名が登場します。蓮は大きな花の中心にこれまた大きくどかっと「真中」が据えられていますが、百合は白い花弁の中心をすーっと「蕊」が立ち上がっています。

花の形状によって選ばれる言葉も変わってくるわけですね。「雄蕊」には対となる「雌蕊」もあるはず。その二つがある中で、特に雄蕊へと焦点を絞る効果も活きています。

揺れやみて薔薇の花弁の翳知りぬ 中岡秀次〉は陰影の描写。「翳」を描くことで、その翳の落ちている花弁、また翳を生んでいる花弁、両方の質感が見えてきます。厚みのある「薔薇の花弁」だからこそ翳が濃く生まれる。
“良き”
揺れやみて稲のかそけき花知りぬ 竹田むべ

揺れやみて薔薇五つもある知りぬ

山河穂香

どれくらいの数があるか。具体的な数を数えてみるのも描写の手のひとつです。揺れているうちはそれぞれの姿を見分けることができないけど、止まったあとなら数えられる。

揺れやみて赤のまんまの数知りぬ 斎乃雪〉も同様の発想ですね。派手な「薔薇」は具体的な数で描かれていますが、対する「赤のまんま」は「数知りぬ」とやや大雑把な語り。「赤のまんま」の地味な生えぶりを思えば、この大雑把さが逆に真実味を持ちます。

揺れ動く複数の存在を観察するには生物も良い句材です。「揺れ」の必然性を持つ場所といえばやはり水場でしょうか。〈揺れやみて池の緋鯉の数知りぬ 春海 凌〉はどれくらいの規模の池だろう。たくさんの鯉がひしめいて飼われている池か、大きな池にゆったりと棲む緋鯉か。鯉同士が水音をたてて騒いだしばし後の光景。水が落ち着くまでの時間の経過も思われます。
“ポイント”
揺れやみて池の金魚の数知りぬ 紙風船〉は魚のスケールがぐっと小さく。金魚の小ささに対して「池」が適切かは少し疑問も残りますが。〈揺れやみて居間の金魚の数知りぬ わんだー〉は自分の家の「居間」だろうか。誰か他所様のお宅に伺って観察しているのを想像するとそれはそれで可笑しい。

「池」の留まる水に対して、動きの絶えない「川」の水だと視界に常に光の波がかかったような光景になります。〈揺れやみて川の流れに鮎知りぬ メグ〉は歪む「鮎」の輪郭への知覚。その揺らぎをじっと見つめながら竿を放とうとする集中力を追体験します。

その後には〈揺れやみて鮎の引き寄せ時知りぬ 紅梅〉なんて場面も訪れるでしょう。「揺れ」が映像ではなく、肉体感覚としての「揺れ」であることも特徴的。
“良き”
揺れやみて川の流れに鮎知りぬ メグ

揺れやみて踊子草老ひ知りぬ

季凛

表現の独特さではこれも面白い。植物にとっての「老ひ」は衰え枯れゆくこと。笠をかぶった踊り子のように見える「踊子草」だからこそ、「老ひ」の擬人化が効いてくる。元気がなくなってくったりと萎れる花弁が侘しい。

一方〈揺れやみて鷺草の哀しみを知りぬ 巴里乃嬬〉は擬人化ではなく、作者の感傷が小さな白い鷺草の姿に託されます。純白の鷺が飛ぶ形をしている「鷺草」は勢いよく揺れても、どこにも飛んでいくことはできない。自由な鳥をモチーフにした「鷺草」だからこそ「哀しみ」という直接的な感情語が活きます。

揺れやみて蒲の穂さぼること知りぬ 碧西里〉のように愉快な擬人化もあります。長い穂先を風にあくせく揺らす「蒲の穂」。その姿が忙しないほど、風がやんで動きをとめた姿は落差でさぼっているように見えるわけですね。

ちょっとくらい休ませてやろうよ、蒲の穂だって。水辺に群生する性質をもつため、一本の「蒲の穂」だけではなく、その周囲や画面の奥の方向へと光景が広がっていくのも素材のよろしさ。中にはまだ揺れてる真面目な蒲の穂もいるに違いない。
“ポイント”

揺れやみてあはひに夕知りぬ

駒村タクト

揺れる対象物を明確にしつつ、映像に奥行きを持たせた回答。「夕」の一字が一句全体にオレンジがかった色彩を与えてくれます。

「揺れやみて藤の」までは映像の焦点が「藤」に合っているのですが、中七の途中からカメラのピントをずらすようにして夕陽が登場します。〈揺れやみて木々のむこうの秋知りぬ きのこオムレツ〉も似た作りにはなっていますが、「あはひ」と「むこう」の空間の限定具合の差や、奥行きに見えてくる存在の具体性の差でひと味落ちる。

揺らめきの後に映像がくっきり結ぶ展開を水上で繰り広げたのは〈揺れやみて海の黒さを月知りぬ 水間澱凡〉と〈揺れやみて月の輪郭水知りぬ 優雅〉。

前者は「月」に比重を置き、後者は「水」に比重を置いています。いずれも水が揺れやむ光景から始まり、片や暗黒の海に映る孤独な月を、片や異物のように月を映してひたひたと凪ぐ水とに言葉をフォーカスして終わります。着眼点は近くても違うものができあがる対比が面白い。
“良き”
揺れやみて月の輪郭水知りぬ 優雅

揺れやみて戻らぬこと知りぬ

渡辺鬼

風や波だけではなく、生き物がもたらす「揺れ」もあります。「蝶」が飛び立つ瞬間に起きる、花の微かな揺れ。その動きが止まっても、蝶が戻って来ることはないと知る寂しさと諦め。季語「蝶」の存在を、蝶の不在によって描きます。

揺れやみて萩のてふ宿すを知りぬ パンの木〉は逆に蝶が存在するケースですが、「宿す」が少し読みに迷います。たった今「萩」に辿り着いて宿りを始めたのか、以前から「てふ」がいたことに今気づいたのか。濃い紫の「萩」が塒として華やか。

同じく「蝶」が登場しますが〈揺れやみてその秋蝶の死を知りぬ 凪太〉の「揺れ」は蝶そのものの動きになります。弱々しく最後の羽ばたきを残したのか、あるいは地に落ちたまま気流に翅が震えたのか。「揺れやみて」の時間を含んだ語りに、死にゆく「秋蝶」から目を離せず見つめ続ける哀れみの心が見て取れます。春の元気な「蝶」ではなく弱々しい「秋蝶」であることも必然性があります。
“ポイント”

揺れやみて生死を熊知りぬ

けーい〇

秋蝶の死とはうってかわって、ただ事ではない「生死」が登場しました。

何が揺れやんでいるのか微妙にわからない……けど、そこがこわい。果たして作者は死んだふりを続けているのか、熊に喰われながら遺言のように一句をつぶやくシチュエーションの妄想なのか……。

自分の肉体に意識を向けると〈揺れやみて汗の肺腑の音知りぬ 安溶二〉のように、自分自身の内側に反響する音も知覚することができます。激しい運動の直後でしょうか。ドリルの出題によるものだから仕方ないけれど、状況に対して「揺れやみて」が最適の上五になるかはやや疑問。

その点、〈揺れやみて肩や神輿の痕知りぬ 衷子〉には上五の必然性があります。ようやく神輿を下ろせた時の安堵感と痛みといったら! 触れただけでわかる「痕」の残った感触。「肩や」の強調も一工夫が成功しています。
“良き”
揺れやみて胸の兎の爪知りぬ 宇佐〉も抱っこした「兎」の動きとしてリアル。落ち着かない間は腕の中でブルブルと揺れ動くんだけど、しっくりくる態勢が整うとおとなしくしてくれます。胸に食い込む爪の鋭さに、獣らしさを実感します。「爪が痛い」のようにストレートに自身の皮膚感覚を押し出すのではなく、「爪知りぬ」と一歩引いた冷静さで己の肉体を観察する目線が俳人根性。

突き刺さる肉感をさらに押し進めた〈揺れやみて鵙の贄ある枝知りぬ あみま〉も秀逸でした。茶色に乾ききった「鵙の贄」を思ってもいいし、今まさに枝に突き刺されたばかりの生々しい「鵙の贄」を思ってもいい。鳥が枝を蹴って飛び去る。足場の枝は反動で激しく揺れる。その振動が止まって初めて、鵙の贄がはっきりと像を結び始める。

説明的になりがちな上五「~て」の形を映像の効果・演出のように使いたいなあ、という発想の元に出題を考えたのですが、この回答は見事僕の狙いどおりの効果を発揮して下さいました。感謝感激!!
“とてもいい”
揺れやみて我の生死を熊知りぬ	 けーい〇
〈②へ続く〉