写真de俳句の結果発表

【第12回 写真de俳句】《地》

評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

第十二回写真de俳句 地
切味のなんとも鈍さうな蜻蛉  広瀬 康

兼題写真の蜻蛉を眺めての、感想めいた一物仕立て。オニヤンマとか、ギンヤンマの類いは、切れ味が良さそうですが、なんだか鈍そうな飛び方、色合いの蜻蛉に目がいったのです。

この句の工夫は語順。「切味」から始まるので、読み手はまず刃物類を思います。「なんとも鈍さう」で錆びているのか、刃毀れしているのか、と思った瞬間、「蜻蛉」という季語の実体がでてくるのです。楽しませてくれる展開ですね。

一物仕立ては観察から生まれますが、完全に描写するタイプの句もあれば、観察で手に入れた情報を比喩へ展開するやり方もあります。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

とんぼうの首もこころもこはれさう  渋谷晶

蜻蛉の頭って、体とのバランスからして、どう考えてもデカすぎます。あの頭を支えている首は、なんとも心許なげ。そんな「とんぼうの首」をじっと見ていると、私の「こころ」と同じだなと思ったのです。この「こはれさう」な心は、「とんぼうの首」みたいなカタチをしているのかもしれない。

この句のもつ詩の純度を味わいつつ、もう一つ思うのは、自分が抱えている、折れそうな壊れそうな「こころ」をこんなふうに表現し、客観視してみることは、生きていく上でとても大事なことです。心のなかに出現する、哀しみの沼に溺れてしまわないように、自分の心を護るための防御でもあるのです。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

高潔にみえて蜻蛉は肉食です  花屋英利

この把握も皮肉で、正直で好きです。

「高潔」とは、人柄がりっぱで、利欲のために心を動かさないこと。蜻蛉って高潔な感じするなあと思い、蜻蛉について調べてみると、「肉食」ではないか! と驚いたのかもしれません。

具体的に何を食べるんだろうと私も調べてみたのですが、笑えるぐらい驚きました。小さいものだとカやハエ、大きいものではチョウ、ガ等。飛んでいる虫を六本の脚でわしづかみ、そのまま囓るんだそうです。「自分と同じ体重のエサをたった30分で食べきれる」という記述もあり、オニヤンマあたりになるとスズメバチみたいな凶暴なものも食べてしまうというのですから、筋金入りの肉食ではありませんか、吃驚!

高潔な人物といわれる人も……という寓意をこめた句という読みも否定しませんが、私は純粋に「蜻蛉」とはこういう生き物であるよ、という詩的発見を共有したいと思います。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

ひかる翅みづにあづけて蜻蛉の死  にゃん

「ひかる翅」から始まりますので、読み手は、飛んでいる昆虫類を一瞬思うでしょう。ところが、中七「みづ」という単語が出てくる。さらに「~にあづけて」とくると、一瞬これはどういう意味だろう。それらのささやかな疑問を解いてくれるのが、下五「蜻蛉の死」です。

光を弾く澄んだ水面。きらりとするものが目に飛び込んできます。じっと見るとそれは、「ひかる翅」。蜻蛉が浮いているのです。そんな光景を見たことのある人は多いと思いますが、「みづにあづけて蜻蛉の死」と表現できる人はそんなに多くない。俳人の目が捉えた美しいひかりの中の「死」です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

待ちぼうけとはひぐらしに飽きること  ふるてい

蜻蛉の兼題写真から、ずっと蜻蛉を眺めている自分を思ったのでしょうか。蜻蛉がいなくなると、秋の青空が残る。美しい空だなあと眺めていると、真っ白な秋蝶が視界に入ってく。秋の蜂がやってくる。名前の分からない小さなものが飛んでいるのに気づく。「ひぐらしに飽きる」ほど待つ間、この人は、どんなものたちと出会っていたのだろうと想像がふくらみます。「待ちぼうけ」とは、私たち俳人にとって、豊かな句材との時間でもあるのだなと。

蜻蛉の写真から、別の生き物「ひぐらし」にたどり着くという自在なる展開。さすがの一句であります。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

この蜻蛉、雌カラカラの色だから  胡麻栞

俳句に句読点を使うことは滅多にないのですが、この句の場合は効果的に使われています。「この蜻蛉」の後の読点で一拍おいて「雌」と呟いた感じがでてますね。読み手が「なんで分かるの?」と思ったとたん、「カラカラの色だから」とくる。その理由がなんだか強引で笑えます。

読点という一種の禁じ手をすでに使ってますから、「雌」と「カラカラ~」の間に、ほんの半マス、空白を入れてみるのも一手。実際に書いて比較してみると、その効果が確認できます。

こんなアドバイスをすると、すぐに読点やら、一マス空ける、半マス空ける等の禁じ手をやり始める人が出てくるのですが、ヘタに手を出さないで下さい。ほぼ、失敗しますから(苦笑)。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

見るほどに蜻蛉いかにも左利き  あみま

自分で勝手に思い込んでみる、というのも詩を生み出すための方策の一つです。

蜻蛉に右利きも左利きもないでしょうに、ふとそんな気がしたのです。左に左にクルクル飛んでいるのでしょうか。それとも「左利き」の人は、器用そうだとか賢そうだとか性格がつかめないとか、作者なりのイメージがあり、眼前の蜻蛉がそれに当てはまっていたからかもしれません。観察から生まれる一物仕立てですが、擬人化へ展開するテクニックを成功させた一句です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

とんぼうの群にひとやすみの測量  ペトロア

赤とんぼの群れを思いました。

「とんぼうの群れにひとやすみ」という場面とかフレーズとかは、それなりにあります。凡人フレーズといってもよいかもしれません。が、着地の「測量」の一語が映像を立ち上げ、オリジナリティを作り出します。

何のための、どんな測量かは書いていません。とんぼの群れがそれを邪魔しているのではなく、測量をしている人たちがその光景を見上げ、「おおー」と手を止めた、というニュアンスではないかと読みました。「ひとやすみの測量」という語順、助詞の効果などが、作者の意図通りに選び取られた作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

とんぼうのたてへたてへと吹かれくる  ぷるうと

「蜻蛉」は三音ですが、傍題「とんぼう」は四音。のんびりした感じになりますね。その「とんぼう」を丁寧に観察しての一物仕立てです。

目の前の「とんぼう」の飛び方に興味をもったのですね。水平に飛ぼうとしているに違いないのに、ちょっと飛んでは「たて」方向へ吹かれている。そんな印象の飛び方なのでしょう。

蜻蛉は縦には飛ばないと、今思ったアナタ。是非、蜻蛉をよく観察して下さい。こんな具合に「吹かれ」ている蜻蛉はいますよ(笑)。

「とんぼう」という、ちょっと脱力したような傍題をうまく使い、「吹かれくる」という動きのニュアンスも表現。観察から生まれる描写を、丁寧に完成させた作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

無気力は蜻蛉のせいにしておこう  新開ちえ

「無気力」とは、努力しても思ったような結果が手に入れられなかったり、自分はこんなに頑張ってるのに無関係な成り行きで意図しない結果へ動いていくとか、そういう状況のなかで生まれてくる心理状態。

どうせ無理だから、どっちみち無駄だから。そう思ってしまうのは、暢気に飛んでる「蜻蛉」のせいにしておこう。

でもね、こんな句が作れたということは、己の「無気力」を客観的に捉えることができ始めてる証拠じゃないかと思うのですよ。蜻蛉の風にのって青空へ向かう上昇気流は、目の前にきてるのかもしれません。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき