写真de俳句の結果発表

第19回「マーガレットとベニシジミ」《地》

評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

「マーガレットとベニシジミ」

19

戦況の続報マーガレット生ける

芙和里

ウクライナ侵攻は長期化の様相も見せ始めています。日々のニュースは「戦況の続報」を伝えます。私たちはその現状に心を痛め、他人事ではないと不安に戦き、いつ起こるかもしれない戦争の影に脅えます。

今、私が生けるマーガレット。平和な日常の象徴であるかのようなマーガレット。同じ花を、食卓に飾っていたかもしれないかの国の誰かの日常は、いとも簡単に破壊されてしまうのだ。そんな思いが、心を過ります。マーガレットと共に平和を祈る日々。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

母の家出クリーム色のマーガレット

鰯山陽大

夫婦喧嘩の末のちょっとした家出か。それっきりとなった別れか。「母の家出」、たったこれだけの措辞なのに、そこにある物語は多岐にわたります。

私は、小さな頃の記憶か……と読みました。大人たちはそれぞれ揉めたり、憤ったり、悲しんだりしているのに、詳しいことはきちんと話してもらえないまま、待っても待っても母は帰ってこない。いつしかそれが日常となっていく不安と哀しみと諦め。

大人たちが考える「子どもへの気遣い」というヤツは、かえって子どもに気を遣わせたり不安にさせたりします。そんな日々の中で、子どもたちは、自分の心が壊れないように、悲しい記憶を消したり曖昧にしたりしつつ、健気に生きていくのです。

母がいなくなったあの日のことはほとんど覚えていないけれど、庭にはクリーム色のマーガレットが咲いていたよ。マーガレットを見る度に、心がほんの少し引き攣れるような気がするけれど、それもまた記憶の欠片となりつつあるよ。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

紋白蝶カーナビは正解なのか

猫日和

カーナビというヤツは、確かに便利なんだけど、時々道なき山野を走っていたり、海の上を走っていたりします。いやいや、それは勿論、最新情報に更新してないこちらの問題なんだけど、それでもワザと狭い道や遠回りの道を案内されているような不信感を抱くこと、ありますよね。

一体、この道は正解なのだろうか。カーナビに聞いても、機械の声が、道なりに真っ直ぐ行けと指図するばかり。窓の外をひらひらと飛び交う紋白蝶に、ねえこれで正解なの? と問いたくなる気持ち、よく分かります。共感の一句。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

蜜蜂の分蜂銀座三丁目

能瀬野風

ビルの屋上で蜜蜂を飼うプロジェクトは、2006年春に始まったのだそうです。202220日の読売新聞夕刊によると、ビルの屋上などを活用した都市養蜂は年々増えているようです。

銀座の真ん中で、蜜蜂を見つけたのでしょう。そういえば、そんなニュースを読んだことがあるよと、気が付いたのでしょう。

「蜜蜂の分蜂」という自然現象と「銀座三丁目」という地名が、こんなカタチで取り合わせられる時代。少し明るい未来を見せてくれるような思いで、きらきら光る蜂の群れを見上げる作者です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

労働の匂ひは甘し蝶止る

池内ときこ

「労働」という言葉に対して「~の匂ひは甘し」と言い切られると、そうなのだろうか? と一瞬立ち止まります。下五「蝶止る」と描写されると、疑る気持ちも少し。

が、いや……確かにこんな場面を見たことあるぞ、と思い出しました。石鎚山にロケに行った時、汗だくのカメラマンの腕やら肩やらに蝶が集まってきて、吃驚したことを。

調べてみました。

蝶の中には、糞食性、屍食性のものが何種類かいて、彼らはタンパク質が分解して発する臭いに反応するのだそうです。汗だくの人間の体は、これらの蝶の大好物なのだそうな。俳句をカガクすると、こんな一句もできるのだなあと、ガッテン納得。

ん? ちょっと待てよ。

皇后さまが皇太子妃殿下の頃、雅子様の髪にリボンみたいに蝶が止まっているニュース映像を見たことがあるけれど……。これも気になって調べてみたら、「蜜食性のチョウはシャンプーや芳香剤のフローラル系の香りにも寄ってくるので、チョウにたかられても汗臭いとは限らない」のだそうな。改めてガッテンガッテン(笑)。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

蝶多し迷子放送次々と

あまぐり

「蝶多し」から「迷子放送次々と」と展開する映像がリアルです。広い広い菜の花園でしょうか。菜の花の迷路の中にいるのかもしれませんね。

蝶を追いかけて、どこかに行ってしまった子。菜の花の迷路で、はぐれてしまった親子。次々に呼び出される迷子のアナウンスには、泣き声も混じっているのかも。

上五は「多し」の終止形で切れ、「次々と」は切れのない着地。次々に呼ばれ、次々に消えていく迷子の名前が、下五の余白に吸い込まれていくかのよう。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

がじゆまるに集ひて蝶の祝祭日

「がじゆまる」に、なんで蝶は集まるのでしょう。ものすごく気になります。調べてみました。

『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると、イシガケチョウなどが「春になって食草の新芽に産卵」するらしいのです。「幼虫の食草はイヌビワ、イチジク、ガジュマル、アコウ、ゴムノキなどクワ科の植物である」とありましたので、この「祝祭日」とはまさに産卵の日だったのでしょう。そう思うと、凄い場面に遭遇されたのだなあと、うらやましい限りです。

ガジュマルの木の独特の存在感が、「蝶の祝祭日」という詩語を支え、蝶の群れの光景がオーラのように読者の心にも立ち上がってきます。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

夏蝶のふれてしづかな地雷原

にゃん

眼前に広がる平原が「地雷原」であることを知りつつ、「夏蝶」の行方を目で追っているのです。

何かが触れたとたん爆発する地雷。激しい動きを見せていた夏の蝶が、地面に降り立つ瞬間まで、じっと固唾をのんで見詰めているのです。

夏蝶が地に降り立ちます。地面に触れたけれど、何も起こらない。中七の「ふれてしづかな」という平仮名書きの時空は、むしろ何も起こらないことの不穏に満ちているかのよう。真空のような暑さがじわりと這い上ってくる。そんな真昼の静けさです。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

初蝶や屋上のシーツの迷路

砂楽梨

その年、初めてみる蝶が「初蝶」です。その出会いは、屋上。しかも、大きなシーツが何枚も何枚も干してある「シーツの迷路」です。病院でしょうか、介護施設でしょうか。ピンと干されたシーツ、気持ちのよい風。初蝶を追ってシーツの迷路に迷い込むことも、なんだか心楽しい春の日です。

たったこれだけの言葉で、この日の小さな感動を読み手にそのまま伝えることができていて、こんな句に出会うと俳句ってやっぱりいいな! と思うのです。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

朝読書の窓てふてふはしやべるしやべる

黒子

「朝読書」は教室での子どもたちのルーティンの一つ。一斉に、好きな本を取り出し読み始めます。さっきまでにぎやかだった教室は、1組も2組も次々に静かになっていきます。

教室の窓から、蝶が入ってきました。蝶は、まるでおしゃべりをしているかのように、あちらこちらと飛んでいきます。蝶を目で追う子もいれば、読書に専念している子もいます。静かな教室の中、先生だけが「てふてふ」のお喋りに耳を傾けているのですね。ある朝の静かで豊かな時間です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

子はいまだ七曜しらずマーガレット

ぼへみあん

この句の場合の「七曜」は、日曜から土曜までの総称でしょう。「子」とは、一日一日に曜日があることも、今日が何曜日なのかもまだ分からない赤ちゃんなのでしょう。

そんな赤ん坊が、マーガレットに手を伸ばしている光景を想像しました。揺れるマーガレットの花に興味を示すことも、花をぐしゃっと握りつぶしそうなさまも、可愛く賢く愛おしい我が子です。「いまだ~しらず」という日々の積み重ねの中、赤ちゃんはすくすくと育っていきます。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき