第19回「マーガレットとベニシジミ」《天》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

天
第19回
雲ないし蝶の授業に変更です
背番号7
この句の場合の「ないし」は、「あるいは、または」の意ですね。他に難しい言葉はないのですが、「雲あるいは蝶の授業に変更です」と言われたら、子どもたちはきょとんとするかもしれません。
「授業」ですから、本来なら教室で教科書を開いてお勉強するわけですが、今日は雲か蝶の授業に変更しますって、一体この学校はどうなっているのでしょう。
先生は、教室の窓から、先だって理科で勉強した、あるいは近々教える予定の「雲」が出ているのに気づいたのかもしれません。ならば、実際に雲を観ながら授業をしてみよう! と。
でも、その雲がずっとそこにいるとは限りません。次の授業が始まった時、もうその雲が形を崩したり遠ざかっていたりしたら……その時は蝶の勉強に切り替えよう! と、先生は考えているのかもしれません。
いや、待てよ。
これは、科学的あるいは歴史的あるいは哲学的な大人の授業だと読むことだってできます。微妙な雲の変化によって少し先の未来を予言できる気象学。些細な事が、思いもかけない歴史上の重大事象を引き起こしていくバタフライエフェクト。雲や蝶の存在をヒントに、世界や人間の根本原理を追求しようとする学問、等々。
考えてみると、俳人と呼ばれる人々は、日々「雲ないし蝶の授業」の如き自学自習を続けているともいえます。雲があれば雲のことを、蝶がいれば蝶のことを詠む。その姿や変化を観察し、本意を真剣に考える。そこには、わくわくする好奇心や尽きることのない向学心が溢れています。
今日は、台所を片付ける予定だったけど、「雲ないし蝶の授業に変更です」と、自分に声をかけ、句帳をもって庭にでる。そんな一人の授業もあっていいよね。
と、さまざまな深読みも楽しませてもらった作品でした。

