写真de俳句の結果発表

第22回「朝露がビーズのように」《地》

評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

第22回のお題「朝露がビーズのように」

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家蜘蛛の今朝はヘアスプレーの横

紫黄

「家蜘蛛」ですから、その家に居ついている蜘蛛です。蜘蛛が益虫と呼ばれるのは、ゴキブリやハエなどの害虫を捕食するから。蜘蛛が嫌いな人は、蜘蛛と一緒に住むなんて! と嫌がるかもしれませんが、静かに共存するほうが得なのです。

さて、この句ですが、「今朝は」の助詞「は」がいいですね。あっちこっちで目撃するんだけど、今朝はヘアスプレーの横にちんまりといる。作者は、躊躇なくヘアスプレーに手を伸ばすのか、蜘蛛がどこかに行ってくれるまで、使うのを待つのか。そんな様子まで想像させてくれるリアリティがあります。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

蜘蛛の巣や昼がまた来て方丈記

岩魚

『方丈記』は鴨長明の著作。「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」という書き出しの一文を、暗唱できる人もいるはずです。

「蜘蛛の巣や」という率直な詠嘆から、「昼がまた来て」と展開。蜘蛛の巣は紡がれていったり、破れたり、ちぎれたりを繰り返しますが、「昼」という時刻も、行く川の流れのように「また」やってくるのです。蜘蛛の営みを眺めつつ、『方丈記』の一節をしみじみと噛み締める。そんな作者の思いに共感させられた一句でした。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

蜘蛛ぷちとティッシュの中に逝つた音

はんばぁぐ

今回、ティッシュと蜘蛛の句はかなりありました。家の中にいる蜘蛛は殺さないほうがよいのですが、嫌いな人にとっては、こうする以外にないのだなあと苦笑しつつ読みました。

そんな中で、この句を推すのは後半の表現。ティッシュで「取る、包む、捨てる、潰す」等の動詞ではなく、「ティッシュの中」と空間を作っておいて、「逝つた」と擬人化し、さらに「音」の一語でリアリティを補填する。この展開が巧いのです。

下五「音」の名詞止めの余韻の後に、本当の意味での力を発揮するのが、「ぷち」のオノマトペ。これは、音でありつつ、手指の感触までをも表現していることに気づきますね。似たような発想であっても、表現の仕方で如何ようにでも勝負できる。そのお手本のような句です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

朝露のかすかに濁るのを赦す

広瀬 康

「朝露」の清らかさを、息を呑むように見つめているのです。露の球体は、朝のひかりに震えています。そこに映り込む朝の光彩、瑞々しい野のみどり、動き出す雲、きれぎれの青空などの美しさに見入っているのです。

朝日が少しずつ力を増していきます。すると、露のひかりに微かな濁りがでてくることに気づく。「朝露」の美しさが変貌していく瞬間を、見てとるのが俳人の眼。その変化をも「露」という季語の本質であるよと「赦す」のが俳人の心。そして、「朝露」との佳き出会いを、このように繊細に表現できるのが俳人の技術というべきでしょう。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

河童忌のみづ暗さうで眠さうで

ツナ好

「河童忌」は、7月24日。芥川龍之介の忌日で、小説『河童』にちなんだ命名です。

この頃は暑さの真っ盛り。太陽に力がある時期です。「河童忌のみづ」は、池でしょうか、沼でしょうか。いや、ひょっとすると一杯のコップの水、軒下のバケツに溜まった水かもしれません。

「河童忌」という忌日の季語の力が、眼前の「みづ」に及んだ時、それは「暗さう」にも見えるし、「眠さう」にも見える。芥川龍之介の小説の世界が、その「みづ」の奥に広がっていきそうな重層的な作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

巣は露にまみれて蜘蛛の家出かな

三浦にゃじろう

今回の兼題写真を、そのまま言葉に置き換えると、まさにこの句になるのではないでしょうか。

「巣は露にまみれて」までは、何の巣かは分からないのですが、「蜘蛛」の一語によって巣の形状が定まり、下五「家出」という擬人化によって映像が明確に立ち上がってきます。

言うまでもなく季重なりですが、「蜘蛛」はそこに存在していないのですから、主たる季語は「露」。飄々とした味わいでありつつ、確かな技術が感じ取れる作品です。 

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

尿の間の踵に蛭を捻り切る

仁和田 永

なんとも生々しい状況を、いかにも生々しく切り取っています。登山の場面を思ったのは、蛭という生き物に出会った強烈な私的体験のせいかもしれません。一読、ヤマビルが浮かびました。

山歩きの途中、用を足すために(勿論、これは男性)立ち止まります。「尿の間」、ふと下を見ると蛭がいることに気づくのです。ヤマビルは、気がつかないうちに靴や靴下の隙間から入って、知らぬ間に血を吸っていることがあります。

あ、蛭だ! と気づいて、思わず「尿の間」ながら、登山靴の分厚い踵で、蛭を踏みつぶすのです。そこの描写もこれまた生々しい。「捻り切る」という靴の動きがリアルに伝わる見事な描写です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

美しき国の残像蜘蛛の糸

うに子

深読みかもしれませんが、「美しき国」というフレーズは、安部元首相の掲げた志を想起させます。彼が理想として掲げた「美しい国」は一体どこに向かっているのだろう。これが「美しい国」の現実であるのか。その疑問は、彼の死の波紋として、国民一人一人の心をさざ波立たせているようにも思えます。

下五「蜘蛛の糸」は、芥川龍之介の小説をも思わせ、この国の未来図に対する不安を暗示しているとも読めます。寓意をこめた作品として鑑賞させていただきました。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

蜘蛛の巣も廊下もやたら長き宿

ありあり

人を泊めることを生業にしているはずなのに、あっちこっちに「蜘蛛の巣」が張っていることに困惑しているのです。廊下もやたらに長くて、改築の上に改築を重ねたかのような複雑な造りになっているのかもと、妄想が広がります。非常口はどこにあるんだろう、建築基準法に違反してるんじゃあるまいなと、他人事ながら、そんな心配まで浮かんできました(笑)。こんな宿あるよなあと、苦笑交じりの共感です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

窓は割る仔犬は拾う帰省の子

背番号7

「窓は割る」とは、誰が一体。「仔犬は拾う」のも同一人物? と思ったとたん、季語「帰省の子」によって、答えが見えてきます。「帰省の子」とは、やんちゃな孫でしょうか。ボール遊びして窓ガラスは割る、散歩に行かせたら、仔犬を拾ってきて飼うと言い張る。いやはや、小さな台風みたいな「帰省の子」なのです。

相手をするのにヘトヘトになったものの、いざ「帰省の子」が帰ってしまうと、ホッとしつつも淋しく感じるのですね、きっと。拾ってきた「仔犬」も、来年の帰省の頃を一緒に待つのかしらと、そんな後日談まで想像して、楽しめた一句です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき