第10回 俳句deしりとり〈序〉|「むけ」③

始めに
皆さんこんにちは。俳句deしりとり〈序〉のお時間です。
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、②に引き続きご紹介してまいりましょう!
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、②に引き続きご紹介してまいりましょう!


第10回の出題
兼題俳句
意気込みは分かった先ずはレタス剥け 赤坂 奈緒
兼題俳句の最後の二音「むけ」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「むけ」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
無形文化遺産となる雪女
三浦にゃじろう
無形文化遺産のごとミモザの香
亘航希
無形文化遺産ゆらゆら紙漉
瀬央ありさ
無形文化遺産よ皆冴ゆ人は
立石神流
無形文化遺産祭の軕行事
赤尾ふたば
無形文化遺産数え近松忌
望月美和
一句の中に、長い固有名詞や単語を入れるとバランス取りが難しい。しかも「無形文化遺産」ともなれば実に九音分。しかも社会的な意味合いの強い言葉は、句中に置くと主張が強くなりすぎ、季語が影に隠れてしまいがちです。


無形文化財の摺り足寒の虹
たきるか
無形文化財過疎地の秋の無骨な手
ふゆき
似た言葉ですが、続けて見てみると「無形文化財」は、その問題を乗り越えやすいように思います。一音分「無形文化財」が短いという音数上の自由度もあるでしょうが、それだけではなさそうです。《たきるか》さんと《ふゆき》さんの作句例を見てみると、それぞれ人の肉体の一部に焦点を絞っています。「無形文化遺産」だと広い概念になって、「無形文化財」だと単体の文化やそれを担う人の姿になる、ってことでしょうか。興味深い比較。


無罣礙のこころ焚火のゆらぎかな
仁
「無罣礙故」線香つうと秋天へ
明後日めぐみ
無罣礙無罣礙こころぽっかり草の花
吉野川
まーたよくわからん字が出てきたなあ……。こちらは「無罣礙(むけいげ・むけげ)」と読むようです。般若心経に登場する言葉で、何物にも妨げられず、拘束されない自由自在な状態のこと。「自由」を現代人の感覚で考えると、解放されて好き勝手な欲まみれになってしまいそうな気がしますが、お三方の句を眺めると、そうじゃないらしい。むしろそういった欲から解放されて、無に近づく心なのかしら? どうも自分には到底修行が足りないらしい。


むけげむけげこむうくふう野辺の花
姉萌子
般若心経の一部ということは「無罣礙」の前後に続く言葉があるわけで。「こむうくふう」はどんな字? そもそもどこで意味が切れる言葉なの? ひらがな表記が一層我々を謎へと突き落とします。
と思いきや、我らが知恵袋《ひでやん》さんが同じ文言を漢字で送ってきてくれておりました。
と思いきや、我らが知恵袋《ひでやん》さんが同じ文言を漢字で送ってきてくれておりました。


無罣礙故無有恐怖なるや龍淵に
ひでやん
「故無有恐怖」で「こむうくふう」あるいは「こむうくふ」だそうです。うーん、読めんし書けん!


無間の鐘撞いてはならぬ冬雲雀
むめも
無間の鐘撞けば地獄の葛の花
みなごん
こちらもなにやら仏教用語っぽい雰囲気を感じますねえ。「無間の鐘」は静岡県掛川市東山にあった曹洞宗のお寺、観音寺にあった鐘だそうです。「無間の鐘」をつくと、この世では富豪になる代わりに、来世では無間地獄に落ちるという伝説がある、とのこと。ふむふむ、どちらの句も戒めている意味がよくわかります。


無血開城きっぱりと江戸は春
吉村吉々
江戸城が無血開城され、新政府軍へと明け渡されたのは1868年4月のこと。当時の光景なんて誰も我が目で見たことなんてないはずだけど、「きっぱりと江戸は春」と言い切られると、妙に清々しく真実味があります。当時は、国を二つに分ける血みどろの内戦へと突き進むのかという局面。江戸城の門が堂々と開け放たれていく様を見ていた当時の両軍は、それぞれどんな心境だったでしょうかねえ。門の向こうにはきっぱりと春の空も広がっていたでしょうか。


第12回の出題として選んだ句はこちら。
第12回の出題
無欠なるおしやべりな指月今宵
板柿せっか
「無欠なる」には、いくつかの解釈が考えられます。欠けたところなく無事な五指を持ち、手振りを交えて話す人の姿とか。あるいは手話使用者の動きの描写であるとか。個人的には「おしやべりな指」の意味を強く受け止めて、手話使用者の句と読みたい。脳に刻まれた語彙と、手の動きの組み合わせが千変万化して繰り広げられる無音のおしゃべり。名月の光をかき混ぜるように、手話の指はくるくる楽しげにひらめきます。
ということで、最後の二音は「よい」でございます。
しりとりで遊びながら俳句の筋肉鍛えていきましょう!
みなさんの明日の句作が楽しいものでありますように! ごきげんよう!

