第28回「アルパカの後ろ姿」《天》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

天
第27回
けものらを見てゐて淡く春と思ふ
ぼへみあん
「春」という茫洋とした大きな季語を、一句の主役として立てることはなかなか難しい技。それをこんな形で表現できるとは、見事な言語感覚です。
俳句におけるリアリティは、具体的に書くところから発出することが多いのですが、この句は、すべてがぼんやりと書かれています。一見ゆるい作りにみえるのですが、全体のバランスが絶妙に保たれているのです。
まずは、「けものら」というざっくりとした提示。具体的ではないさまざまな獣のイメージです。中七「見てゐて」は、俳句では不要だといわれがちな措辞ですが、ここは捨て石のような働きをもっていて、後半の措辞を支える重要なポイントにもなっています。
一句一読、動物園の「けものら」を広々と見渡している光景を思いました。ぼんやりと彼らを「見てゐ」ると、その動きも表情も鳴き声も、そこに吹いてくる風の匂いも光の分量がふえてきた空の色も、なんとなく春になってきたなあ、と感じ取っているのです。この感覚を「淡く春と思ふ」と、これまたぼんやりと表現しました。ここに、季語「春」への実感があるのです。春を感知する時って、まさにこんな感じですよね。
下五「思ふ」も、俳句では不要だといわれがちな動詞ですが、「~見てゐて~思ふ」というゆるい叙述が、散文に終わらず、詩として成立している。これが、この句の最も評価すべき点なのです。
「けものら」の温い獣臭が淡く伝わってくるような、まさに「淡い春」の一点景です。

