第12回 俳句deしりとり〈序〉|「よい」②

始めに
皆さんこんにちは。俳句deしりとり〈序〉のお時間です。
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、①に引き続きご紹介してまいりましょう!
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、①に引き続きご紹介してまいりましょう!


第12回の出題
兼題俳句
無欠なるおしやべりな指月今宵 板柿せっか
兼題俳句の最後の二音「よい」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「よい」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
余、一番心残りは王妃 春
ひでやん
余いかにも蜘蛛の屋敷の主なるが
はんばぁぐ
王様になりきるような発想の方もおりました。その発想自体もよくたどり着いたなと驚きますが、「余」の一音からいかにして「い」へと繋げるか。その展開の柔軟さにも舌を巻きます。《ひでやん》さんは臨終間近な王様を思わせる「余」。「王妃」のあとの空白も挑戦的なつくりですが、心残りの胸中に詰まる息のようでもあり、ちゃんと意味をもった工夫として機能しております。《はんばぁぐ》さんは「いかにも」の仰々しさが「余」と釣り合ってお見事。立派な王様かと思いきや「蜘蛛の屋敷の主」って、誇ってるんだか開き直ってるんだか、わからん展開が愉快愉快! そこかしこに銀色の蜘蛛の巣が張られてるんだろうなあ。案外小屋程度の「屋敷」かもしれないと想像して、また一層愉快。


よい歯医者声のゆっくりあたたかし
骨のほーの
凝った発想とは逆に、「良い」と非常にストレートな発想できた例。なにをもって「よい歯医者」とするか、さまざまな条件はありそうですが「声のゆっくりあたたかし」はとても安心感を与えてくれて、患者としては嬉しく安心できそうです。「あたたか」は時候の季語ではありますが、同時に心理や声質もあたたかなものであると思わせてくれます。


「よいこ」から「一年生」へ春の虹
玉響雷子
よいこはあそばないと言われても夏
満る
良い子はな散らかさないと女郎蜘蛛
奈良の真
良い子にもピンとキリあり押しくら饅頭
立田鯊夢
子どもに対して「よいこ」と呼びかけるのって何歳くらいまでが妥当なんでしょうね? 《玉響雷子》さんの「一年生」は移行時期として納得するような気もしますが、先生の性格によってはもう少し長く「よいこ」扱いしてたような気も。そして「よいこ」の実態は得てしてなかなか手強いものである、という真実はその他の句からも垣間見えるのでありますよ。遊ぶぞ! 散らかすぞ! はじきだすぞ!


良い子てふ呪ひの言葉蓮の骨
染井つぐみ
よい子とは寂しい道化いぬふぐり
ヒマラヤで平謝り
よい子にはよい子の孤独寒オリオン
実相院爽花
ひらがなで「よいこ」と書くと、観察対象としての溌剌とした様を印象づけます。しかし自分自身、あるいは自分の過去について「良い子」と形容すると、苦々しい感情に繋がる向きがあるようです。《染井つぐみ》さんや《ヒマラヤで平謝り》さんは、子どもの頃しんどい思いしたのかなあ。「蓮の骨」の哀れを誘う姿との取り合わせは凄絶ですらあります……。《実相院爽花》さんの句は自画像に限らず、世の中の頑張り過ぎちゃう「良い子」についての心配や憐憫へと繋がっています。これも忙しい現代が生む歪みなんでしょうかねえ……。


「よ!イモムシ」首捕まれる春休
24516
この切り口にも驚きました。なんだそのいやな感じの呼びかけ!? という読者の疑問にヒントを与えてくれるのが季語「春休」。いじめっ子に乱暴に首捕まれてるんだろうなあ……。こういうの、記憶を刺激されてつらいんよ……でもその分リアリティがあるんよ……。


よい妻の仮面は十色寒卵
うに子
良い妻を演じ損ねるお正月
素々 なゆな
頑張る子どももいれば、頑張る大人もおります。「よい妻」であろうとする努力は、いったいどれだけの自分を犠牲にすることなのか……と感情移入してしまうのは感傷的すぎるかしら。「十色」を見事に使いこなす《うに子》さんは達者だなあ。バイタリティを支える「寒卵」が堅実な取り合わせ。《素々 なゆな》さんは、うっかり演じ損ねてしまう人間くささが「お正月」らしくて愉快。演じ損ねたっていいじゃないか、おめでたい日なんだもの!


良い嫁を止める宣言明けの春
じんぷりん
よい妻はやめた高いコート買った
陽光
同じ発想の上で、さらに突き抜けた人たち。すっきりさっぱりやめる宣言する《じんぷりん》さんの潔さよ!! 「明けの春」とは新年の季語「初春」の傍題。明るい新たな年が訪れましたなあ。《陽光》さんはさらに宣言だけじゃなく、消費行動で語っております。やめると思った時には既に行動は完了しているッ!!


良い話と悪い話がある夜長
コンフィ
良い話言われましても実朝忌
中村すじこ
出た、洋画に出てきそうなセリフ! 危険なニオイのする男が耳打ちしてくるタイプのやつですね。実生活で使ってみたいんですけど、案外そんな場面に出くわさなくて使う機会もなく。夜長のお供に映画でも観てるんでしょうかねえ。
《中村すじこ》さんの「良い話」は儲け話や耳寄りな噂といった類いでしょうか。「実朝忌」は鎌倉幕府の第三代将軍・源実朝の忌日。旧暦一月二十七日です。歌人として評価の高い人物ですが、その死因は暗殺だとか。鶴岡八幡宮にて甥にあたる公暁に暗殺されたそうです。うう~ん、「良い話」が俄然うさんくさくなってきたぞ!?
《中村すじこ》さんの「良い話」は儲け話や耳寄りな噂といった類いでしょうか。「実朝忌」は鎌倉幕府の第三代将軍・源実朝の忌日。旧暦一月二十七日です。歌人として評価の高い人物ですが、その死因は暗殺だとか。鶴岡八幡宮にて甥にあたる公暁に暗殺されたそうです。うう~ん、「良い話」が俄然うさんくさくなってきたぞ!?


よい水とよい米ルミナリエ灯せ
一寸雄町
ルミナリエといえば有名な神戸の冬の風物詩。明確な季語はない句なんだけど、「ルミナリエ」から冬の季感を感じ取ることはできます。「よい水とよい米」とくれば、お酒へと連想も繋がります。開催年によっては酒造さんの出展ブースがあったりもするみたい。へぇー、お洒落で美味しくていいね、ルミナリエ!


酔芙蓉いけない恋と知っていた
藍田落星
初秋の頃の朝に花を開く「酔芙蓉」。ふつうは「酔芙蓉(すいふよう)」と読むのですが、「よいふよう」の読み方もあるのかな? 複数の辞書にあたってみたものの、確認はできませんでした。中七下五が雰囲気たっぷり。


酔ひといふ化粧くづれて猫の恋
小緑ふぇい
「酔ひといふ化粧」って把握がなんとも粋であります。気持ちよく飲んでいる間は、高揚も手伝って思わず艶に振る舞ったりもするのだけれど、宴もたけなわ別れてみれば冴えない自分がいるばかり……なんて、やるせない口上へと気持ちが傾いてしまうのは、読み手としてのワタクシの卑屈でございましょうか。「猫の恋」が喧しく耳を突くのもやるせなさに拍車をかけております。


よいよいと塞ぐ盃花の酔
はま木蓮
こちらもしんなりとした手つきが見えてきて上手い。桜の下で酌み交わす「花の酔」であります。動詞「塞ぐ」のチョイスが絶妙ですねえ。注ぐ人と注がれる人との関係性や距離感を想像する際に奥行きと幅を与えてくれます。


宵の春よいよいまわる佳いお酒
トウ甘藻
お酒の席での「よいよい」感じを句材にした方はこちらにも。「よい」の音をたくさん重ねているのも愉快でリズミカル。飲み過ぎ注意でありますぞ~! 翌日ツライぞ~!
〈③へ続く〉

