第14回 俳句deしりとり〈序〉|「ほね」①

始めに
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。


第14回の出題
兼題俳句
よい年であったと捨つる鰤の骨 紫すみれ
兼題俳句の最後の二音「ほね」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「ほね」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
骨きしむ重量挙げと揺れる花
古比 頼多
決して一般的ではないですが「骨きしむ」は筋肉の民としては非常に実感がありますね。「揺れる花」は窓から見えてる状況なのかな? あー、運動してぇなぁー! クソ重バーベル上げてぇなぁー!
骨で聞くメタリカ冬のランニング
九月だんご


骨と皮と笑顔があるで春の婆
天宮ほたて
骨と皮目は輝いて木の芽風
柿野宮
自身、あるいは他人の肉体としての「骨」。同時に「皮」が並べられると老年の人物が想像させられます。天宮ほたてさんは「婆」と人物を明確に出しますが、《柿野宮》さんの句と並べて見ると、後者でも十分人物の姿は想像されてきますね。
とはいえ、《天宮ほたて》さんの描き方も軽妙で味わいがあります。骨と皮にさらに追加で「笑顔があるで」の強引さがいいねえ。


骨といふ無駄なきかたち春の月
ありあり


骨上げの尻尾短し花水木
横山雑煮
葬儀の場面で行う「骨上げ」。「こつあげ」だと思ってたけど「ほねあげ」と呼ぶ場合もあるのかは寡聞にしてわからず。いずれにせよ、この一単語によって場面を限定できています。最近はペット葬儀も一般的になってきたのか、看板を見かけることも多くなりました。「尻尾短し」の言い切りがまた上手いですねえ。ふさふさの尻尾の内側にあった骨の以外なほどの短さに驚く、花水木の咲く春の頃。
いい句だとは思うけど、「こつ」だと兼題のルールからは外れちゃうのが惜しいなあ。


骨拾う中にボルトや母の冬
東ゆみの
骨拾えばひどく白くて雪催
朗子


骨拾ふと言はれ凍てるウクライナ
杉尾芭蕉


骨のあるやつだなおまえ儺追風
青井季節
骨のある奴だなと父夏の月
清瀬朱磨
骨のあるやつの靴下黒四月
湯屋ゆうや
骨のある男に育て春の風
智幸子
骨のある人になりたし春柳
ウモ
骨のある人になれよと送る春
石川潤子
骨のない僕でごめんね春の宵
りぷさりす園芸店
辞書を引いて「骨」の意味を確認してみると、「何事にも屈しない強い気力。気骨。」が該当するようです。ほほう。さらに「気骨」も調べてみると「自分の信念を守って、どんな障害にも屈服しない強い意気。」と解説が。なるほどなあ、男性的であるかどうかみたいな意味は皆無なのか。《りぷさりす園芸店》さんの句の場合、こんな物腰柔らかな男性がいてもいいじゃない、と思っていたけど……気力もなくすぐ屈する人だと考えると、受け入れていいかちょっと不安(笑)。


骨なしと呼ばれ笑顔で返す春
里山まさを


骨太と採られし企画春の月
いけも
骨太の改革案に春騒ぐ
宙海
骨太の政府方針目刺食ふ
福島 サキ
一方、真逆のような句も届いておりまして。


骨抜きにされし計画書や無月
春海 凌
骨抜きになりし法案すきま風
海野あを


骨まで愛しててふ顔して黄鯝魚
白猫のあくび


骨切り包丁ズスズスと鱧の咲く
ヘイくん
骨切りの聞こえぬ耳よ鱧の美し
津々うらら


骨を断つ出刃の重みや春霙
玉響雷子


骨ささる喉や四角き冷奴
栗田すずさん


骨付き肉は無いが勇者と飲むラムネ
あなぐまはる
骨つき肉齧り盛夏のパレードを
だいやま
「骨付き肉」と聞くといわゆるマンガ肉的な形状を想像しますが、《だいやま》さんの句の場合は必ずしもアレではなく、パレード会場の露店で買ったスペアリブやターキーみたいなものだと思えば現実に根差した光景として立ち上がってきますね。パレードの熱気や会場の雑多な活力を内包した「盛夏」が効いてます。


骨煎餅みたいな春の幽霊だ
にゃん


骨偏の漢字カクカク受験生
雪男らぶ
骨偏の文字の寒さや談話室
ぽっぽ
骨偏を三十見つけ目刺し食む
団塊のユキコ
骨部首の漢字悍まし春霰
ならば粒あん

