第34回「ホーチミンの市場」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

地
第34回
パパイヤを押さえる義手と切る義手と
泉楽人
「パパイヤ」を押さえているのが「義手」であるという上五中七の映像から、さらに下五「切る義手と」という展開の衝撃。読み終わった瞬間、全身が戦争の臭いに囚われました。
戦争によって無くした手でしょうか。撤去されないままだった地雷による事故でしょうか。「押さえる」「切る」という動詞が、暴力的シーンを想起させます。「パパイヤ」という季語の後に、戦いの歴史が立ち上がってくる作品です。
マンゴーを浮かべてナイトプールかな
三浦にゃじろう
東南アジアあたりの豪華なホテルのプールでしょうか。「ナイトプール」の演出として意図的に浮かべているのでしょうか、プールに張り出すようにマンゴーの樹が植えられているのでしょうか。「~を浮かべて」は、どちらにも解釈できそうです。
「ナイトプール」という単語を、季語として十分に機能させる作者の企み。楽しませてもらいました。
スコールに磨かれドラゴンフルーツは
佐藤香珠
日本でも目にするようになった「ドラゴンフルーツ」は、中国名「火龍果」を訳したもののようです。
「スコール」と「ドラゴンフルーツ」、どちらが季語としての働きをしているのか。一句を読み通して迷うところではありますが、これら二つのモノを取り合わせることで、常夏の国の季感を表現した一句と捉えることはできます。
龍の鱗みたいな果皮は勿論、独特のピンク色が印象的な果実「ドラゴンフルーツ」。この不思議な果物は、日々の「スコール」に磨かれ、この形状となっていくに違いないという作者の感受が、そのまま詩になりました。
鳩肉を売る店先の鳩と蝿
若山 夏巳
調べてみると、「鳩」は日常的に食されている鳥なのだそうです。
「鳩肉を売る」その店先に、鳩がやってくる様子に作者の心は動きます。鳩肉が売られている店先に、別の鳩が餌として狙いに来るという眼前の事実に、私たちの心も戦きます。
さらに、そこには、生きるために集まってくる蠅たち。下五「鳩と蠅」のハ音の韻も相まって、一句の生々しい映像に、ささやかな衝撃を受けました。
切れのない下五の余白に、そんな祈りが読み取れる切ない作品です。
龍降りし湾に蝦蛄売る海の民
三月兎
「龍降りし湾」とは、そのような伝説のある湾であろうと想像。検索してみると、ベトナム北部のハロン湾が出てきました。大岩からなる小島が約二千ある湾で、世界遺産にもなっているそうです。数世紀前までは、海賊の隠れ家のような島々だったとの記述もありました。
そんな湾には、今、蝦蛄を売って生きる「海の民」が住んでいるのです。蝦蛄漁を生業としているのでしょうか。観光船に近づいて、小舟で蝦蛄を売っているのかもしれません。
龍と蝦蛄。ひょっとすると、龍になろうとしてなれなかった蝦蛄たちかもしれないと、そんな想像も楽しませてもらった作品です。
ヌクマムの煮魚まろし合歓の花
どこにでもいる田中
「ヌクマム」とは、ベトナムの調味料。小魚と塩を原料とする魚醤の一種。独特の匂いは、日本のくさやに例えられることもあるそうです。
ヌクマムで味付けをした煮魚を食べています。「まろし」という描写が、この食べ物を親しいものとして美味しく食べていることがうかがえます。
さらに下五「合歓の花」という季語が出現したとたん、露店の店先で食している光景が浮かんできました。優しい合歓の花と、臭気をおびた煮魚の味。付かず離れずの取り合わせの妙です。
うを鬻ぐ辻夕虹は垂直に
浅海あさり
魚を売っている辻に、「夕虹」がかかり始めました。さっきまでスコールが降っていたのかもしれません。今日の魚は、売れきったのでしょうか、まだ残っているのでしょうか。「鬻ぐ」という言葉が、朝に自ら獲った魚を自ら辻に売る、という印象をもたらしているかのよう。
その魚を売る辻の夕空に虹が立ち上がります。雨後のひかりを集め、あたかも「垂直」に屹立するかのような大きな虹です。
闘魚闘魚跳ねるやホーチミン讃歌
嶋村らぴ
「ホーチミン讃歌」とは、ベトナム革命を指導した建国の父ホー・チ・ミンを讃える歌です。ベトナム人民は親しみを込めて「ホーおじさん(バック・ホー)」と呼んでいたのだそうです。
「闘魚」とは、熱帯魚の一種で、タイやカンボジアを原産とするベタが知られています。文字通りに闘う魚です。独立と自由を勝ち取るために人間は闘い、闘魚は生きる本能によって闘います。「ホーチミン讃歌」と「闘魚」の取り合わせが、闘うことと生きることの意味を、再度私たちに問いかけてくるようでもあります。
マンゴーアイス一口目でスコール
しげ尾
こちらは、「アイス」を季語とした句だと読みました。ただの「アイス」ではなく「マンゴー」であることが、東南アジア辺りの旅の様子を想像させます。しかも「一口目で」いきなり降り始めたのが「スコール」。こんな烈しい雨に遭うことも、旅の楽しみの一つだなあと、嬉しく味わう「マンゴーアイス」です。
鰐の手の百個夏立つホーチミン
松男
この「鰐の手」は食用でしょう。日本人の感覚だと、これが百個も並べて(あるいは堆く積まれて)あると、その迫力に引いてしまうに違いありませんが、その光景がいかにも「夏立つ」エネルギーのように感じられたのでしょう。しかも場所が「ホーチミン」。亜細亜の若い太陽が臭い立ってくる一句です。