第36回「廃遊園地」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

地
第36回
トラックの瓦礫はホテル桐一葉
高橋寅次
今、トラックに積まれている瓦礫は、かつてホテルであったものです。災害によるものか、倒産によるものか、都市開発の波に飲み込まれたものか。それぞれの原因を想像すると、一句の背景は複雑に広がっていきます。
が、いずれの原因による「瓦礫」であっても、下五の季語「桐一葉」がしみじみと胸に通っていきます。大きな桐の葉は、秋のひかりをうけて一葉ずつゆっくりと落ちていきます。美しくも淋しい光景です。
このあたり猿山でしたダリア摘む
千夏乃ありあり
廃園となった動物園を思いました。動物園そのものは、郊外に移転して、更に大きな動物園として賑わっているのかもしれません。
子どもの頃に親たちに連れてきてもらった小さな動物園は、市民の公園にでもなっているのでしょうか。「このあたり」という措辞、「ダリア」という季語が、そんな変遷を想像させます。
このあたりは「猿山」であったという記憶が懐かしく心を過り、「ダリア」という花の鮮やかさが印象を深くします。
初雪を運ぶ回転木馬かな
うからうから
遊園地の回転木馬は、子どもたちの笑顔や声や夢を乗せて回り続けるものですが、今日の回転木馬が運んでいるのは、初雪です。木馬の鬣に鞍に、初雪がうっすらと積もっています。
「初雪を運ぶ」という気づきが、「かな」という詠嘆に素直に託された作品です。
望の夜を額づきとほすショベルカー
深山むらさき
夜の空き地に置かれた「ショベルカー」を、様々なものに見立てたり擬人化したりする句は、かなり見てきたつもりですが、「額づきとほす」は意外な視点です。
その視点を授けたのは、他でもない上五の季語「望の夜」なのでしょう。満月に向かって、額ずくかのようなショベルカー。擬人化を成立させるのは、季語の必然性を押さえた上での映像化にあると考えます。
「望の夜を」の「を」という助詞の選択一つをとっても、細部まで丁寧に考え抜かれた作品です。
閉園の看板椋鳥の大波
はんばぁぐ
遊園地でしょうか、庭園の類いでしょうか。久しぶりに遊びに来て閉園を知ったのか。通りすがりに、あれ? ここ閉園してたのかと、認識したのか。
いずれにしても、「閉園」を告げる「看板」の向こうには、夕暮れをつんざくような椋鳥の大群がいるのです。「大波」という比喩は、今、飛び立ってこちらに向かってくるかのような動きも想像させて秀逸です。
もう影と夜の見分けもつかぬ秋
西田武
秋の夕日は釣瓶落とし。あっという間に、西の空は青紫のグラデーションを深くしていきます。
「もう」の一語が表す時間経過は、「影と夜の見分けもつかぬ」という眼前の光景にリアリティを添えつつ、全ての言葉は、最後の「秋」という季語へと収斂していきます。これもまた、意欲的な構造の作品です。
無いほうの町に移りて秋入梅
我鯨
「町」というものにも、ランク付けやレベル付けが否応なくあるのです。「無いほうの町」は、人口も財政も経済も風光明媚も、いろんなものが無いのです。
そんな町に移り住んでみると、折しも秋の長雨。梅雨のように降り続く秋の長雨は、ますます気がめいります。近づいてくる冬を、この町でどう生きていくのか。そんな不安も募ります。気づいた時、一句の深淵に触れたような気がしました。
立看板草の穂やがて測量士
鳥乎
「立看板」が見えます。一体何が書いてあるのだろうと眺めていると、その周りの「草の穂」が揺れるのに気づきます。風の動きとはちょっと違うなと凝視していると、草むらの中から「測量士」がでてくるのです。
作者の眼球に映った光景をそのまま書くことで、作者の好奇心までもが、読者の心に届く。面白い作りの作品です。
来週は新社員かと観覧車
丸井たまこ
これまでは学生として過ごしてきた春ですが、いよいよ社会人として働き始める春がやってきたのです。
そんな春休みの「観覧車」の中で、ふっと思ったのです。「来週からは新社員か」と。人生の新しいステップを踏み出す期待と不安に揺れる春。「新社員」は季語なのだと認識すれば尚更、春の感慨が揺れ続けます。
秋空に観覧車揺れ明日離婚
くくな
「秋空に観覧車揺れ」までは、ありがちな光景として読んでしまうのですが、下五「明日離婚」に、ハッとします。
「観覧車」は子どものイメージがあるので、離婚を控えた親子が乗っていると読むのが妥当でしょうか。離れることになる親と子なのか。片親として育てていく決心をもっての親子なのか。いずれにしても、この日の「秋空」は忘れ難いものとして記憶に残るのでしょう。
「26年前、横浜にゴンドラが大きく揺れる観覧車がありました。高所恐怖症の私は怖くて乗れなかったのですが、離婚届を記入した日に、息子2人の母子でその観覧車に乗りました」という作者のコメントも添えられていました。下五は、まさに体験としてのリアリティだったのかと、甚く共感いたしました。