始めに
皆さんこんにちは。俳句deしりとり〈序〉のお時間です。
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。
第24回の出題
兼題俳句
うかとしろばんば呼び込む坂の店 七瀬ゆきこ
兼題俳句の最後の二音「みせ」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「みせ」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
兼題俳句
うかとしろばんば呼び込む坂の店 七瀬ゆきこ
兼題俳句の最後の二音「みせ」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「みせ」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
ミセス・ノリスは容赦なき猫 寮を霧
千夏乃ありあり
うん、それはハリー・ポッター。石化が治ってよかったね。
うん、それはぼくの叔母。
フィクション作品じゃなくて現実が登場してきちゃったな。やめよう、思い出そうとするの。
日本の音楽ユニットですよね? 名前は聞き覚えあるんだけど、楽曲は聴いたことないなあ。「浸る」を配置した箇所が良く、音楽にも初湯にも言葉がかかります。最近のバンドだと思ってたけど、公式サイトを確認したら2013年結成、2015年メジャーデビューって書かれてて静かな衝撃。そうか、自分の体感では11年前が「最近」になっちゃってるのか。ヤバイ。
ミセス・シマの手套麒麟でも鞣したか
澤村DAZZA
ミセスロペスのタコス片手に聖樹にリボン
九月だんご
出題の二音「みせ」から既婚女性の敬称である「ミセス」を連想した人たち。必然的にミセスのあとには人名が連なるわけですが、それぞれ固有名によって個性が分かれた句になっているのが面白い。人名のあとには、その人物に相応しいなにがしかの小道具が登場しているのですが、日本人名らしい「シマ」「オザワ」には身近な道具としての「手套」に「眼鏡」、ラテン系の「ロペス」にはメキシコの「タコス」、中国系の「リー」には「水餃子」と、いずれも巧みに連想を読者の納得へと落とし込んでくれます。
ミセスを採用しつつ人名に繋げないという離れ業。似て非なるものへの推移、それを決定づけるための小道具として季語「ショール」が上品に機能します。肩を柔らかく覆う質感も美しい。ちなみに「ミセス」と「マダム」には明確な使い分けの基準があるかというとそうでもなく、割と曖昧なようです。どちらも既婚女性への呼びかけに使われる言葉なのは同じですが、ミセスは英語に由来し、マダムはフランス語に由来するのだとか。微妙なニュアンスの違いは由来の違いにも一因があるのかも。
見せかけの髪=カツラ、最近はウィッグとも呼びますか。この人物の性別はどっちなんだろうなあ。ある意味では、男性以上に女性の薄毛の方が心理的な痛みは大きく、想定によって季語の効き具合も変わってきそう。「よ」の詠嘆のリフレインが切々とした印象を強めます。
ぞっとするような響きを持つ「みせしめ」。どっちも映画とかで見た記憶のある場面だなあ。《泉晶子》さんの句にはなにが・誰が鞭で打たれているかは明確になっていませんが、わざわざ「みせしめ」にする以上は動物相手ではなく人間と考えるのが自然。這いつくばらされる「春の泥」が悲惨でみじめ。《おりざ》さんの「卒パ」は卒業パーティーのことでしょう。大胆に略しているので季語「卒業」の傍題というには強引な気もしますが。卒業パーティー(プロム)の夜に殺人事件が起きるのはホラー映画のお約束。ヤっちゃうか!?
語順によって愉快さを獲得する工夫がグッド。恐ろしげな「見せしめ」から始まり、実はそれが「おでん」の具であるよ、とオチをつけるわけです。おでんの季語の本意には人間くさいユーモアも含まれておりまする。
動詞の「見せる」を選んだ人たち。見せろと言われると隠したくなるのは人の性なんでしょうかねえ。《藤田ゆい》さんのやりとりはまだ「お年玉」なのもあって微笑ましいですが、《鳥乎》さんくらいになると最初から余裕の抵抗です。強い。手袋を外して見せなきゃいけないものってなんだろうね。
ザ・水掛け論。大人の世界のやりとりではこういう事態を招かないためにちゃんと記録に残る形でやりとりするんだよね、メールとか。……そう考えると、むしろ子どもに対してのやりとりと考えるのが自然か。冬休みの連絡プリントだとか宿題だとか。
駄々っ子かと思いきや、最後の二音「雪」で状況を塗り替える展開がうまい。病気で外に出られない子なのかしら。全体で十六音の字足らずだけど、無理に十七音に調整しようとすると、持ち味を損なっちゃうのでこの形になってると判断しました。
裸木の寒々しさは環境だけでなく、心理の寒さでもありますなあ。聞かせられぬ、ではなく「見せられぬ」ということは文字として書いてる読みが濃厚になっていきます。心の中で思うだけじゃなくて形にするってなかなか呪いの濃度が濃いですね? 大丈夫? 藁人形と五寸釘、いる??
ジュディ・オングの曲ですね。昭和54年には日本レコード大賞も獲得しています。十月小萩さんの句はそういう世代なんだろうと納得しますが、梅田三五さんの方は新卒さんシブイなあ。親の聴いてる懐メロを一緒に聴いて育ったのかしら。接点出来て年上から可愛がられそうで良い年忘れじゃのう。
カギ括弧ついてるし、本か映画でしょうか。見たことないなあ。調べてみると、ロマン・ロラン著の小説の情報が出てきました。第一次世界大戦前後のヨーロッパに生きる女主人公・アンネットの愛と自由を描く大河小説、とのこと。ほほー、面白そう。夢中で読みふける姿はまさに「灯火親しむ」であります。
百人一首に登場する歌からの着想と思われる二句。元の歌は『千載和歌集』に収録された「見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず」。作者は殷富門院大輔。「見せばやな」は「見せたいものだ」と訳されることが多いようです。《天雅》さんは純粋に百人一首の練習風景ですが、《菜活》さんは「見せたいものだ」の意で使いこなしているのがすごい。ウルフカットのゆるいやつで仕上げた成人の日の盛装。見せたかった相手は誰で、今はどこにいるのか。仮に「亡くなったご両親」なんて読みを想定すると、現代的な描写と古語のギャップが面白い味わいを生みますなあ。
百人一首かと思いきや、こちらの「みせばや」は別物で植物のこと。10~11月頃に咲く花で、秋の季語。観葉植物としても親しまれます。現在は香川県小豆島が数少ない自生地なのだそうです。《彩汀》さんの「路地暮し」は絶妙なリアリティ。敷地からはみ出すくらい観葉植物置いてる家、たまにあるよねえ。《二兎丸》さんはどれだけ「や」を入れられるかチャレンジ!? 「やや病む」感覚にも大いに共感しつつ笑ってしまいましたワ。ヤン氏に幸あれ~(笑)。
体を小刻みに揺り動かすことを「身せせり」というんだそうです。個人的にはあんまり耳慣れない言葉だなあ。貧乏揺すりの全身版みたいなもの? 状況はよくわかるけど「放射冷却現象」が季語かといわれると、うーん??
「みせ」で始まる固有名詞に「弥山」もありました。広島県と奈良県に同じ名前の山が存在するのですが、それぞれの句で描かれてるのはどっちの弥山なんだろう。ロープウェイが通ってるのは広島の弥山、という情報もあったので《舞矢愛》さんの句はひとまず広島と読んで良さそう。
みせん? あじせんじゃなくて? 調べてみると味仙(みせん)は有名な料理店グループだそうです。名古屋を中心に展開しているとのこと。ほうほう、愛媛県民なわたくし存じ上げませんでした。《なんくる》さんと《鈴木そら》さんはそれぞれに美味しそうだけど、《せなきく》さんはなんでその季語取り合わせた……(笑)。
よ、読めん。みせの二音から始まる単語ではあるんだろうけど、いったいナニモノ? 正確には「蔀帳造(ぶちょうづくり)」と読むこの単語、家の造りの一種だそうで、別名「みせ造り」とも呼ばれるそうです。家の玄関横の二枚の板戸を上下に開閉するしくみ、とのこと。ははあ、だから「上げよ下ろせよ」なんですね。開放されて吹き込んでくる「春の風」の気持ちよさがグッド。
変な句だけど妙に好きになっちゃって、最後まで次回兼題にしようか悩んでいた句がこちら。「未成年」と「白鳥」を表記を変えながら繰り返してるだけなんだけど、危うい未成年という時代の持つ繊細な詩性が込められてて魅力的。実はああ見えて繊細な男なんだよ、《コンフィ》くんは! 常時Tシャツと短パンでも! 知らないけどきっとそう!
第26回の出題
みせばやの垂れゐるむかし溶岩(らば)なるを
沼野大統領
溶岩を意味する英単語「lava(ラヴァ・ラーヴァ)」はゲーマー知識として知ってはいたけど、漢字+ルビで「らば」と読ませるとはなかなかな力技。かつて溶岩だった岩石は長い時間を掛けて変質し、今はその上に植物を豊かに繁らせるようになっているわけです。そこに生える植物として万葉の時代から存在する「みせばや」は相応しい取り合わせ。「垂れゐる」の何気ない描写もみせばや自身の重量を感じさせる良い措辞であります。
ということで、最後の二音は「るを」でございます。
しりとりで遊びながら俳句の筋肉鍛えていきましょう!
みなさんの明日の句作が楽しいものでありますように! ごきげんよう!