第41回「お腹が空いていましたので」《ハシ坊と学ぼう!⑪》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
落日の海菜の花明かりの中
未来子
音数を調整して、佳き調べを工夫してみましょう。
腹の虫菜花に翅音風の音
清波
「菜花」は「花菜」? 季語としては、「花菜」が一般的です。
菜花風イヤフォンからは「愛宕山」
ひょんすけ
腹減った食べていいかい冬薔薇の君
ビバリベルテ
「スルスルと言葉が出てきたので、どこかで見聞きした表現ではないかと考えてしまいます」と作者のコメント。
確かに、ライトノベルの一節にありそうな台詞かもしれません。
燕の子コピー機泣けば乳が張る
かねすえ
歩み来し褒美ランチと菜の花と
甘蕉
ジョギングす人眺め食う銅鑼焼きよ
甘蕉
「ジョギングす」が、「人」に接続するのならば、「ジョギングする」あるいは「ジョギングせる」と連体形にする必要があります。
どら焼きやレジ袋舞う花菜畑
たかね雪
避難所のラーメンの湯気凍つ空へ
星 秋名子
「凍つ」が「空」に接続するのであれば、「凍つる」と連体形になります。
菜の花や黄色の歓声油の香り
まんげつ
下五は、アブラナ科というイメージからの「油の香り」なのでしょうか? 三段切れっぽいのも、気になります。
幼子は着きし苺に足踏みす
森子
「着きし~足踏みす」までの時間経過が、緩いです。俳句において、時間経過を描写するのは、かなり高度な技術が必要です。最初は、写真のような場面を描写する練習から始めましょう。
野に遊び菜の花一輪髪に結ふ
ピタ子
「シロツメクサを摘み、髪を飾った子供のころが懐かしいです」と作者のコメント。
「菜の花」という植物の特性から、「一輪」という表現に違和感を持ちます。
菜花摘む離れひとりのカセットコンロ
あさのとびら
「菜花」は「花菜」? 季語としては、「花菜」が一般的です。
春ハイク三笠常備でるんるんと
メグ
「ハイキングに行く時、甘くて食べやすい物を持って行きます。三笠や羊羹はいつもリュックに入っています」と作者のコメント。
「るんるん」という気分を表現してくれる春の季語は、色々ありますよ。再考してみましょう。
菜畑やノルマ忘れし営業マン
竹葉子
共謀犯犬とつまんだおでん種
せいか
うーむ……これは、どういう状況で何が起こっているのでしょうか。
茶の葉撰り涎は和菓子を待っている
スマイリィ
草餅はフリーズドライのよもぎ粉で
人生の空から
菜畑や明るし吾が内の昏し
ゆきまま
「花菜畑」とするのが、季語としては一般的です。更に、「~や」の詠嘆、「明るし」の終止形。三段切れになっています。全体の仕上げを再考しましょう。
たんぽぽやよちよちは蛇行ふたつみっけ
猫日和
「末の子は、歩き始めの頃、お散歩するとジグザグに歩き、追いかけるのに難儀しました。春の暖かい日、桜も咲いているのですが、子供の視線には地面のたんぽぽの方が目に入ります。すかさずたんぽぽの花を見つけてご満悦、嬉しそうに指差して振り返る姿を思い出し、詠みました」と作者のコメント。
語順その他を一考してみましょう。
近づいて気づく菜の花黄一色
駿酔
秋彼岸あんは口唇二歳半
輝虎
「仏壇にお萩がなくなっていて、幼い頃の弟が口にアンコを付けて歩き回っていることを思いだしました」と作者のコメント。
このエピソードを、むりやり十七音に押し込んだきらいがあります。
汝も鳥もちりぢりになり菜花咲く
さおきち
「菜花」は「花菜」? 季語としては、「花菜」が一般的です。
季重なり
菜の花や虫らのマッチングアプリ
リコピン
「菜の花」「虫」、それぞれ季語ではありますが……。
夫を待つ冷めた肉じゃが冬羽織
どこにでもいる田中
「夫が会社から帰って一緒にご飯食べるには、おなかが空いてましたので……」と作者のコメント。
「冬羽織」? 季語として、これがベストなのかどうか……。
蟇出でし土手寝ぬる吾に語り出し
ただ地蔵
お気持ちは分かります。が、「蟇出でし土手」と、過去の表現になっているのが気になります。「語り出し」という擬人化ではなく、蟇そのものを描写してみましょう。
仔犬引け来た日の箱よ橇翔けよ
加賀屋斗的
「第38回「モンゴルのいぬぞり」《ハシ坊と学ぼう!⑱》の〈犬橇や仔犬の雄太来た箱の〉を推敲しました。今は亡き仔犬(雄太)が来た日の箱。命がやってきた感動を思い出し、写真との縁で『あ、あの箱は橇!』と思われた瞬間、仔犬の雄太が橇を引いて生き生きと翔け出し始めます。犬の後ろ姿は雄太、橇に乗っている影は私自身。橇に引かれモンゴルの平原へと誘われました」と作者のコメント。
お気持ちはよく分かります。が、作者コメントにあるような内容を、この十七音から読み解かせるのは、少々困難があります。この句材は、少し寝かせておきましょう。俳筋力がついてくると、案外あっさりカタチになる日がくるかもしれません。