第25回 俳句deしりとり〈序〉|「のお」②
始めに
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。
第25回の出題
兼題俳句
闘魚とはしづかに溺れゆく炎 嶋村らぴ
兼題俳句の最後の二音「のお」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「のお」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
のおムーミン東風を向いてはくれんかのう
ふるてい
なんだろう……よく知ってる歌詞のはずなのに……圧倒的に加齢された感じがする……。声も藤田淑子さんっていうより、日本昔ばなしで市原悦子さんが演じる老婆の方が似合いそうっていうか……。そもそも東風を向くってなんだよ! 季語だけど季語っぽくないよ、ぶっちゃけただのもじりだろぉ!?(知ってた)
「のお、」と呼び「…のお。」と答へる春炬燵
松虫姫の村人
「のお」と出す伯父の盃阪神忌
大月ちとせ
のおここにいたらええにと春の海
おりざ
一方で《おりざ》さんは会話調ながらすっきりとした表記で一句の世界を描ききっています。高倉健さん主演の映画でこんな場面ありそうだよなあ。親愛の言葉とともに春の海が和やかに心を引き留めます。
の音きこえないのよ生御霊
どゞこ
の、おはなしおはなし獺魚を祭る
湯浅香玲
難易度は高いけど、こんなやりかたも。直前の言葉を省略し、助詞の「の」から始めています。なにについて述べているのかあえてボカすことによって読み手の想像を広げる効果もありますね。《どゞこ》さんの生活実感には共感するなあ。「生身魂」に限らず、特定の音や声が聞こえなくなることってあるよね。周波数とかの問題なのかしら。音の正体を述べないことによって、擬似的に聞こえない体験を共有するような仕組が興味深い。
《湯浅香玲》さんが取り合わせたのは「獺魚を祭る」。七十二候のひとつであり、春の時候の季語。陽暦の二月二十日から二十四日頃にあたります。映像を持たない時候の季語には具体的な映像を取り合わせるのがセオリーではありますが、この句には明確な映像らしいものは一切含まれていません。しかしながら「おはなし」のリフレインに加え「獺魚を祭る」の幻想的な響きが昔ばなしか童話の世界を脳裏に浮かび上がらせてくれます。
「の女」とつくドラマ韮汁が熱々
豆くじら
のおおんとめざむる山や牧開
伊藤 恵美
のおおんはなゐのしらせと水仙は
青水桃々
《青水桃々》さんは大気の震えとも地の嘆きともとれる「のおおん」が恐ろしい。事の起こりの前の予感めいた感覚がオノマトペになっていったのかなあ。地に根を張る水仙は人間よりも先にそれを察知するのかもしれない。
のおおんと日永のコイン食ふゴジラ
千夏乃ありあり
のおんのおん温む水中歩く河馬
織部なつめ
のおおんと空を潤めり孕馬
杏乃みずな
《杏乃みずな》さんは孕馬だからこその馬体の大きさ、漲る腹の姿が「のおおん」の説得力を増してくれます。瑞々しい春の空を背景に佇む馬の目は豊かに潤んでいることでありましょう。
のおらぎを一本背負いめく師走
留辺蘂子
「のおさんきゆう」と北欧の酸い鰊
三浦海栗
NO一つ言えたら楽に流れ海苔
村先ときの介
NO言えずお役引き受け辛夷咲く
やぎみか
No言えず半世紀なり厄落とし
こころ美人
NOですと今日も言えないアマリリス
江口朔太郎
NO(のお)という日本は遠く星流る
こきん
同じように考えた人は多いようで「NO」ネタはたくさん届いておりました。その中でも多かったのは「NOといえない」類想。わかる、わかるぞ……。
NOとだけ返信の有り春の雷
落花生の花
NO言えるZ世代や木葉木菟
渥美こぶこ
NOと言う校長室や冴返る
苫野とまや
NONOと炎天を突くプラカード
村瀬ふみや
《③へ続く》