第42回「降車ボタン」《ハシ坊と学ぼう!⑥》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
ブザー押し注目浴びしバス遠足
西 山歩
中七「注目浴びし」は説明の言葉です。どんな動作だったのか、周りはどんな様子・表情だったのか、そこを描写できるとよいのですが。
バスの窓残るマルバツ越しに雪
彼理
「『残るマルバツ』で『子供達が降りた後、曇りガラスに残った落書き』を表現したかったのですが、無理があるでしょうか?」と作者のコメント。
表現したいことは概ね描けていますよ。徹底したいのならば、上五「バスの窓に」とすること。そして、「越しに」が不要であることの二点ですね。さあ、最後のブラッシュアップですよ。
飛花真白この生未だ降るまじく
滝川橋
「『降る(おる)』と読みます。子を亡くしてから、胸腔の背骨側に無常感が貼り付いてしまっていますが、生かされているうちは生きなければと一日一日生きております。その気持ちを真っ白な飛花に託して俳句にしてみました。映像として不足しているのでしょうか、不安があります。俳句が杖になっています。有難うございます」と作者のコメント。
作者コメントの中の「胸腔の背骨側に無常感が貼り付いてしまっています」という言葉。生々しく受け止めました。句についての意図を、少々受け止めにくくしているのが「降る」が、「ふる」とも「おる」とも読めることです。勿論、ルビを振るという手段もありはしますが、後半の措辞を工夫すると、作者の思いが更に率直に伝わるのではないかと。
手に仏花彼岸に帰る親不孝
風輝
「正月に帰らなかったこと、今更後悔しても仕方ないですが、本当に親不孝な息子でした」と作者のコメント。
「正月に帰らなかった」という事情が、句の字面からは分かりませんので、お彼岸に仏花を持って帰るだけでも、十分親孝行ではないかと、読み手は思ってしまいます。
春珈琲ホーム駆けるは若き人
団塊のユキコ
気分は分かるのですが、「春珈琲」という季語の使い方は、少し強引かな。
無人バス人は無口の花の雨
高山佳風
「無人バス」は、運転手の乗っていない自動運転のバスという意味でよいですか。そのバスと「花の雨」の取り合わせは良いと思います。中七「人は無口の」は要一考。特に、助詞「の」が気になります。
乗り越しの駅舎は青く白木蓮
東ゆみの
プチ家出戻るバス亭春夕焼
杜野みやこ
暮れなずむ車窓にトタンの町工場
船橋おじじさん
中七の「に」は不要ですね。
ゆりかもめ父子ののばす手に触れよ
望月とおん
「ゆりかもめ」に触れようとしているのですね。うーむ……。普通ならば、手を伸ばして「ゆりかもめ」に触れるのは無理ではないか、と思ってしまいます。水上バスの光景ならば、それが分かるようにしたいところです。
新入生同時に押すや札ボタン
山下筑波
麗らかな出迎え嬉し犬の声
山尾政弘
この内容でしたら、「嬉し」と自分の気持ちを書くのではなく、例えば、出迎えてくれている犬の様子などを描写してみましょう。季語「麗か」を主役にすることを心がけつつ。
陽炎や海の街行深夜バス
青屋黄緑
うーむ……「陽炎や」という季語を主役とするのであれば、「深夜バス」を配するのは少々無理があります。
古びた「降車」灯るリズムは裏打ち四温
弥音
「古くなったスイッチの反応が遅い感じを、句にしました」と作者のコメント。
この字面から、作者の意図を読み解くのは、少々無理があります。
ミモザの家喪服の父子バス降りる
花和音
句材はよいのです。「ミモザ」と「喪服」の色の対比もよいですね。五七五の切れ目ごとに、プチプチと調べが切れているのが気になります。
降車ボタン「にゃ~」とうらうら夢二館
入江みを
「降車ボタンの音が、竹久夢二の黒猫にあやかり、猫の鳴き声という岡山の夢二郷土美術館のことですが、金沢や他の美術館と混同されるかもしれません」と作者のコメント。
そういうことですか。この字面で、そこまで読み解くのはなかなか難しいなあ。
卒業や降車ボタン押す最後
海野ちきまる
中七は極力七音にするのが定石です。
母の背超しの降車ボタンや春めいて
むねあかどり
「超し」は、「越し」ですかね。類想の句、それなりにありはしました。
「変なボタン押した」父母のケンカよ柿よ
殻ひな
なんのボタンなのか分からないので、最後の「柿よ」に唐突な印象を抱きます。
盆過ぐる市電に一人一巡り
千里
「降車ボタンからの景色は、札幌の古い電車の内部でした。第39回「松山の路面電車」に投稿した〈盆過ぎや市電に揺られ周回す〉を推敲いたします。夫を亡くし泣くこともできない深い悲しみを体験した老夫人、一周忌もお盆の行事も終えて、何もすることがなくなりました。ふとループ状になっている市電に乗り、周回したのです。後日『これから生きていけそうだ』と呟いていました」と作者のコメント。
表現したい内容に、どう言葉を寄せていくか。そこが工夫のしどころです。例えば、「盆終えて」としたら、ニュアンスはどう変わりますか。下五「一巡り」で周回していることは伝わるでしょうか。細部を検討してみましょう。
傘売りの跣足競り来るバス扉
北欧小町
海外詠でしょうか。バスの扉に押し寄せてくる物売りの跣ですね。敢えて、「傘」と限定しないほうがよいかもしれません。佳句になりそうな予感。
さくら餅二つよそよそバス降りて
津々うらら
「この句は、〈さくら餅二つよそよそ降りるバス〉としていたのを、推敲しました。桜餅を二人で食べる様子まで表現したかったからなのですが、句またがりだけに、ダラダラした句になっているような気もするし、悩みました」と作者のコメント。
作者の表現したかった「桜餅を、二人で食べる様子まで表現したかった」の部分は、まだちょっと読み取り難いかも。時間軸をどう処理するのか。もう一工夫してみましょう。
手袋で車窓拭く君接ぎ穂なく
白秋千