俳句deしりとりの結果発表

第27回 俳句deしりとり〈序〉|「うげ」④

俳句deしりとり
俳句deしりとり〈序〉結果発表!

始めに

皆さんこんにちは。俳句deしりとり〈序〉のお時間です。

出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。
“良き”

第27回の出題

兼題俳句

野送りや島にいつより仏桑花  佐藤さらこ

兼題俳句の最後の二音「うげ」の音で始まる俳句を作りましょう。

 


※「うげ」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
 

穿戸岩よ合格祈る受験子よ

黒猫

穿戸岩苔むす石段登山杖

里山まさを

穿戸岩真白き紙垂に春疾風

草深みずほ

熊本県のパワースポットとして有名な「穿戸岩(うげといわ)」。文字通り岩が戸のように穿たれており、写真で見るとすごい迫力です。縦横10メートル以上の大風穴。伝説では鬼八法師が蹴破ったと語られています。困難な目標も達成できる象徴として、合格や必勝の御利益があるとか。なるほど、《黒猫》さんの句に「受験子」が出てくるのはそういう背景があるんだねえ。
“ポイント”
 

有家邸の二女に迎へし子猫かな

百瀬はな

「有家邸(うげてい)」、史跡や観光地なんでしょうか? 「有家」自体は日本人の姓であったり、自治体の名前として名前は登場するのですが、肝心の「有家邸」は固有のナニカを発見できず、正体不明。ではありますが、架空の人名と家庭の出来事と捉えてもこの句には不思議な魅力がありますね。立派な邸宅を想像させる「邸」の一語、長子ではなく「二女」のためへも喜びをもたらそうとする意思、しかも「迎へし」とくれば適当に拾った子猫ではないでしょう。個人的には大正時代の上流階級の子女を想像しました。下五の「かな」も子猫を慈しむ手触りを読者に共有して効果的であります。
“ポイント”
 

迂言なる告白アイスティー薄く

俊恵ほぼ爺

迂言なる謎掛け初む月朧

甲斐杓子

迂言の子電車乗り継ぐ春の海

すそのあや

「迂言(うげん)」とは、実情からはずれたことば、時世や事情にうとい言説を意味します。自分の言葉を謙遜していう場合もあるみたい。《俊恵ほぼ爺》さんの「迂言なる告白」は謙遜のニュアンスと考えたらいいのかな。実情から外れた、時世に疎い告白、ってなると締まらないもんねえ。《甲斐杓子》さんは歴史小説の一節みたいで魅力的。「月朧」が妖しい雰囲気。『陰陽師』の安倍晴明と源博雅が縁側で話してる場面思い出すなあ。《すそのあや》さんは時世に疎い、の意味で使ってるのかなと推測します。が、迂言って「言」の字が入っているように、行動や性質ではなくことばである必要はあるんじゃない? 現状の形が用法として正しいのかは疑問が残ります。
“ポイント”
 

雨月ただ京都タワーを見てるだけ

いしとせつこ

雨月なり本に付箋の増え続け

四季

雨月なり関守石のほの白く

山内彩月

雨月なり団子は影を持て余し

青井えのこ

「雨月」とは雨のために名月が見えないこと。ポイントは【名月が】見えない、という部分。「名月」は一年で最も美しいとされる陰暦八月十五日の月ですから、この「雨月」は一年に一度のチャンスにたまたま雨が降っていなくてはお目にかかれない季語なわけです。雨をうらめしく思いつつも、その有り様をひとつの季語として扱うなんて風流だよねえ。各々が雨月にどんな過ごし方をしているか描いたり、雨月の空間に存在する物体をただ淡々と描くのはわかりやすくスタンダードなアプローチと言えるでしょう。《青井えのこ》さんは下五「持て余し」にほんの少し無念の感情を滑り込ませました。さじ加減が程よい。
“ポイント”
 

雨月てふ濁り酒とくとくと春

東田 一鮎

雨月と取り合わせる場面に、お酒をイメージした人も。って、よく見たら《東田 一鮎》さんはお酒の銘柄の「雨月」ってことじゃん! 美味しそうだけどそうじゃなくて!
“ポイント”
 

雨月夜の洋琴(ピアノ)ラフロイグの氷

ちえ湖

スコッチウイスキーである「ラフロイグ」。いつきさんと兼光さんが飲んでるのを分けてもらったことがありますが、口に含んだ瞬間独特の香りがカッッ! と口を支配したのを覚えております。《ちえ湖》さんはロックで飲ってるんだねえ。洋琴にラフロイグのロック、そして今日は生憎の雨月。舞台が整いすぎてるくらい整ってる感はありますが、これはこれ。ジャズファンにも刺さる句なんじゃないかな。好きな人にはたまりませんなあ。
“ポイント”
 

雨月といふらうたき哀しみの穴

who10たまき

雨月なのそしてきのふを忘れたの

湯屋ゆうや

不思議な感覚の二句。どちらも「雨月」が持つ、単純な天文の季語とは違う感情のニュアンスを掬い取ろうとしています。《who10たまき》さんは直接的な感情語「哀しみ」を使って雨月を形容しました。雨雲に煙る雨月は哀しい穴である、と。その哀しみを「らうたき」=愛おしく、いじらしく、また艶で美しく捉えているのが魅力。月のあるあたりのほの明るさへの描写であると同時に、自分の中で眠っている詩的自己愛を掘り起こしているようでもあります。こういう感覚、実作者として好きだなあ。《湯屋ゆうや》さんは口語の軽さが内容に似合います。等身大の不穏な儚さとでもいいましょうか。具体的になにがあったかはさっぱりわからないのに、曖昧模糊とした、それでも確かに存在する「雨月」と取り合わせると、こんな呟きも詩になります。前後の情報がなく、一見無意味な「そして」の接続が劇的な効果をもたらしているのが興味深い。こんな使い方もできるんだなあ、と勉強になります。
“ポイント”
 
第29回の出題として選んだ句はこちら。

第29回の出題

雨月の樹さみしきけもの囲ふ

葦屋蛙城

現代の光景と読んでも、ずっと昔の光景と読んでもいい。名月は雨に隠れて、雲がそこだけぼんやりと明るい。天の光景から地の光景へと視点が降りてくる、その中継地点のように屹立する「樹」が印象的に光景を作っています。けものの「番」をするくらいだから、ここで描かれているのは家畜たちの姿かなあ。生来の性質を失って人に飼われるようになった「さみしきけもの」と、彼らを守ってやらなければいけない孤独な番人。なにかが欠けているものたちと、不完全な雨月とが、欠損した美しさで調和しています。

なんか今月の自分、いつにもまして暗いな。大丈夫かよ、精神。
ということで、最後の二音は「ばん」でございます。

しりとりで遊びながら俳句の筋肉鍛えていきましょう!
みなさんの明日の句作が楽しいものでありますように! ごきげんよう!
 

“とてもいい“