第29回 俳句deしりとり〈序〉|「ばん」④
始めに
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。
第29回の出題
兼題俳句
雨月の樹さみしきけもの囲ふ番 葦屋蛙城
兼題俳句の最後の二音「ばん」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「ばん」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
万人にウケなくていい草の花
多数野麻仁男
万人にウケなくていい風は秋
里山子
磐梯山仰ぐ少年榾木燃ゆ
のさら子
万古焼の急須に新茶ほどけゆく
小川都
万歳が嫌いだったと母八月
ほうちゃん
万歳と言わぬ月日や木瓜の花
めぐえっぐ
万歳の声の哀しき八月来
伊藤 柚良
バンザイは星飛ぶ言葉白き波
水越千里
バンジージャンプ迫りくる夏の湖
加里かり子
バンジーの渓谷深し雲の峰
清瀬朱磨
挽回のサヨナラヒット大夕焼
ねこじゃらし
バントのサイン出す炎天の十二回
鷹見沢 幸
バントミス詫びる補欠の夏終わる
大月ちとせ
バント失敗車窓の大夕焼
すそのあや
「盤石の布陣」と笑う開襟シャツ
万里の森
どんな人が言うかによって信頼度に雲泥の差が生れそうだなあ、この台詞! 「開襟シャツ」は夏の季語「夏シャツ」の傍題です。音数が六音で使いどころが難しいですが、この句ではわざわざ下六にしてでも使った意味がちゃんとありますね。開いた襟元から見える首回りは逞しく陽に焼けている……と映像を想像で補えば、語る言葉にも力強さが備わります。パワーは大事。
万全の出発受験票いずこ
瀬央ありさ
板書の字読み慣れてきて卒業す
常然
先に登場した《瀬央ありさ》さんの句と続けて読むと趣深い。ちゃんと入学できててえらいヨ。受験うまくいったからこそ卒業があるんだなあ、うんうん。「読み慣れてきて」の緩い接続から季語へと着地するのが等身大なよろしさに繋がります。
塙君と逃避行の日茄子の花
若宮 鈴音
伴走の箱根駅伝渡す水
りぷさりす園芸店
伴走者緑雨気づいて小休止
穴山紗知子
伴走と盲のロープに染みる汗
ひろ笑い
伴走の「きずな」ロープへ風光れ
芦幸
マラソンや駅伝などの「伴走」。テレビ放送でも映っているのを目にしたことがありますね。伴走する人にも同等かそれ以上の体力が必要なんじゃないの? とずっと気になってる。すごいよねえ。盲の方のマラソンについては《ひろ笑い》さんと《芦幸》さんの句をみて初めて知りました。調べてみると、伴走ロープは「きずな」と呼ばれ、1メートルほどの長さのものを輪にして使うようです。「風光れ」が着実に走り抜けていく姿を思わせます。
絆創膏10枚妻の分の胼
樋ノ口一翁
絆創膏デロリゆだちを走り抜け
帝菜
ばんそこの女々しき指の海水浴
北里有李
身近な小道具として「絆創膏」も句材になります。《帝菜》さんのでろりんっとした剥がれ具合、わかるなあ。《北里有李》さんは「ばんそこ」と短縮した形。正確な言葉ではないけど、普段口頭で喋る時にはこんな言い方しますよねえ。文字面を表現したい内容に合わせて調節するのもひとつの技術であります。
バンズより溢るるチーズ夏休み
美湖
ハンバーガーのパンの部分をバンズと呼びます。チーズバーガーってなんであんなに美味しそうに見えるんだろうね。上五中七がしっかり映像化できていて、ハンバーガーショップのポスターみたいにキマってます。「夏休み」が溌剌と明るい。子どもが食べてる場面かなあ、とも想像を補わせてくれます。
晩鐘を合図につどひきて端居
青木りんどう
田舎はこんな感じだったよねえ、夕方になると。仕事帰りの人だったり、ご飯作ったのを仲良いお隣に持っていったり。「端居」の大らかさが時代の手触りを伝えてくれます。うちの実家である愛媛県愛南町ではよく、魚のお煮付けとか持っていったり持ってきて下さったりして、祖母が端居してましたよ。煮炊きの匂いが周りの家からもしてきたりして。懐かしいね。
晩婚や椅子ふたつ置く虹の裾
かなかな
少し難しい型を使った句。上五で抽象名詞「晩婚」を詠嘆の「や」で強調しています。「虹の裾」もやや観念的な表現ではあるのですが、中七「椅子ふたつ置く」の具体性が映像を確保してくれました。お二人の関係性が見えてくるような、静かな充足感のある一句。
番地消失果ては海へと夕花野
よはく
人の手の入っていない場所へと踏み入る高揚と寂しさが絶妙に入り混じります。「花野」は秋の季語。秋の草花が咲き乱れる光景は華やかなだけでなく、その後に訪れる衰退を秘めた寂しさも感じさせます。夕方の花野ともなればなおさら。その花野のさらに先に広がっている海も夕日色に染まっているのだろうなあ。パッと光景が広がる中七が鮮やかです。
ちなみに「番地」は法務局が定める地番制度で住所を表示する場合の言葉だそうです。誰かに所有されている土地には全て地番がついていて、国有地の場合は広大な区画が一つの地番で管理されている場合もあるとか。意識したことなかったけど、花野にも番地がついてるんだろうな。ちょっと新鮮な驚き。
万物の名を羚羊は食んでゐる
鄙野蕎麦の芽
岩手にて、一度だけ野生の羚羊と遭遇したことがあります。しきりに口を動かしてもっしゃもっしゃ草食べてたのが印象的でした。休耕田ぽかったけど、地元的にはいいのかな、あれ……。「万物の名」という把握はやや強引なところもありますが、羚羊らしい無心さ、貪欲さには通じるところがあります。
第31回の出題
万物に心臓ベゴニア痛そうに開く
澤村DAZZA
上五を九音と大きく字余りし、中七下五で韻律を取り戻しています。字余りしてでも詰め込みたかった前半の詩語が作者の表現したい核。科学的事実とは異なるけども、「万物に心臓があるのだ」という把握には共感を覚えます。八百万の神を信じる日本に我々が生きているからなのかもなあ。
ベゴニアは色も形もバリエーションに富んでいます。《澤村DAZZA》さんのイメージはどんなタイプのベゴニアだろう。個人的には花びらが大ぶりで蕊が鮮やかな黄色をしたベゴニアを思いました。痛そうに開いたベゴニアの中心で、心臓のように晒された蕊。ぞくっとするような詩の世界に心掴まれます。
ということで、最後の二音は「らく」でございます。
しりとりで遊びながら俳句の筋肉鍛えていきましょう!
みなさんの明日の句作が楽しいものでありますように! ごきげんよう!