第46回「深夜のドライブイン」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
地
第46回
溺れるなと兄からのキー夏休
高橋寅次
運転免許を取ったばかりの弟を思いました。大学生の夏休みなのでしょうか。兄の車を貸して欲しいと頼むと、兄はキーをぽんと投げてくれました。一言「溺れるな」と添えて。
文字通りの、海水浴? とは考えにくい。何かに熱中している弟への、諫言なのでしょう。恋愛なのか、芸術なのか、政治活動なのか。読者はさまざまなドラマを想像し始めます。
缶補充し終へて灯蛾なだめをり
渡邉 俊
自動販売機の中身の缶を補充する仕事です。夜ともなれば、自動販売機の灯には、蛾が集まってくるのです。鱗粉をまき散らす蛾たちをできるだけ興奮させないよう、そっと作業を始めます。
補充の作業を終え、扉を閉め、鍵をかけます。あとは、お前たちの時間だよ。もう終わったから大丈夫だよと心の中でなだめつつ、次の自販機へ。夜の仕事はまだまだ続くのです。
自販機の氷菓バイクを跨ぎ食う
ふるてい
ここまでバイクを飛ばしてきたのです。ちょっと休憩しようと止まったのは、自動販売機の前。買った「氷菓」を、バイクを跨いだまま食べ始めます。一人でしょうか、仲間たちとのツーリングでしょうか。エンジンはまだ熱く、「氷菓」は口中に冷たく溶けていきます。体の熱気が冷めれば、再び、エンジンをかけて走り出すのでしょう。
プールの底に着くまえに明ける夜
花屋英利
夜のプールに潜っているのです。子供たちが、プールの底にあるものを潜ってとってくるゲームをしているのかもしれませんが、この句の静寂と不穏は、たった一人で潜っている人物を示唆しているように思えます。
浮力と闘いつつ潜っているのだけれど、底に手がつきそうもない。プールの照明は、底にゆらゆらと青く揺らいでいるのですが、一向に、底には辿り着けないのです。「底に着くまえに」夜が明けていくのではないか。虚実の隙間を、ゆらゆらと潜り続けているのです。
アイス二個食ふ沖縄の夜は長し
幸の実
「アイス二個」も食べるとお腹も冷えるだろうと思います。普通なら食べたりはしないのですが、ここは沖縄なのです。後半の「沖縄の夜は長し」に妙な説得力があります。「夜長」という季語はありますが、旅先である沖縄の夜は、まだまだ楽しめる夜だよ、という意味での「沖縄の夜は長し」なのです。夜になっても、むわっと熱を帯びた沖縄の夜の空気も伝わってくるような一句です。
溽暑なり情死ホテルのネオン膿む
深紅王
上五の「溽暑なり」という言い切りから、一転、「情死ホテル」という三流週刊誌のゴシップネタのごとき言葉。あそこのホテルで、情死事件があったらしいよ、と人から人へ口伝えされていく噂はなかなか消えることはありません。ホテルのネオンは、今夜も暑く膿んだかのような色で、灯り続けております。
安置所に炎暑宿したままの父
千代 之人
安置されているご遺体が「父」だというのです。中七からの「炎暑宿したまま」を比喩と読むか、熱中症による死亡ではないかと読むか、解釈は分かれます。が、昨今の狂暴な暑さを思うと、現実的な要因としての「炎暑」なのではないかと読みました。
なぜ、あの日、父はわざわざ出掛けたのか。この炎暑の中、どこに行こうとして、歩道に倒れていたのか。なぜ、あの夜、父は水を飲まなかったのか。なぜ、父はエアコンをつけなかったのか。子のさまざまな慙愧の念が、読者の心にも直接流れ込んでくるかのようです。
この句には、作者からのコメントも付されていました。
「父は熱中症で亡くなり、突然の死になかなか向き合いきれないまま時間が過ぎてしまいました。今回、俳句のおかげでやっと向き合える機会を得たと思います。父が亡くなった日を思い出しつつ歳時記を探すと、季語は炎暑一択でした。発見時点で日が暮れており、検死が行われたのは深夜でした」
ご冥福をお祈りいたします。
迫りくる銀河産科へ二十キロ
うーみん
前半の「迫りくる銀河」は、疾走感の表現。後半の「産科へ二十キロ」によって、その理由も分かってきます。
産気づいた人物を助手席か後部座席に乗せて、走り出しているのです。ここから二十キロというよりは、やっと二十キロのところまで来た、というニュアンスで読み解きました。あと少しだという安心感と、このタイミングで破水などしたらという焦燥感が、ないまぜとなる残り「二十キロ」です。
トラックの仮眠の列を月渉る
心寧 侑也(ここね ゆうや)
高速道路のサービスエリアには、仮眠をとるトラックの列が並んでいます。ひとつひとつの窓を覗いていくかのように、月はゆっくりと動いていきます。
一句の構造をみてみると、「トラックの仮眠の列」と助詞「の」を重ねて情景を描写。更に、下五「渉る」の一語が、時間経過もさりげなく表現しつつ、一句の精度を支えています。
月涼し吾は地上の光点A
福間薄緑
夏の夕暮れの暑さがひいてくる頃、涼し気な月がのぼってきます。「月涼し」と見上げる視線が、まるで一気に浮上し、俯瞰の光景になっていくかのような構成の面白さ。
さっきまで月を見上げていた「吾」は、地上のさまざまな光の中の一つになっていきます。その「吾」である「光点」を「A」と断定するところに詩が発生するのです。