写真de俳句の結果発表

第47回「コスモスと浅間山」《ハシ坊と学ぼう!②》

ハシ坊 NEW

第47回のお題「コスモスと浅間山」

評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

季重なり

花揺れて山へ届けと虫のこえ

静岩

夏井いつき先生より
俳句で「花」といえば、桜を指す季語です。
“参った”

季重なり

夏名残り秋桜揺れる浅間山

おがちゃん

夏井いつき先生より
「夏名残り」「秋桜」、これも季語ですね。ひとまず、お手元に歳時記を一冊手に入れてみましょう。歳時記と仲良くなるところから、俳句修行は始まります。
“参った”

季重なり

猛暑でもそこかしこにある秋の気配

おがちゃん

夏井いつき先生より
「猛暑」「秋」、それぞれ季語ですね。
“ポイント”

季重なり

吾子の手と揺れるコスモス夏の山

蛙手

夏井いつき先生より
「コスモス」と「夏の山」。季重なりですね。お手元に一冊歳時記を!
“参った”

黒葡萄果汁にむせる老女かな

松本厚史

夏井いつき先生より   評価    並 
〈コスモスの迷路花粉にまみれ行く〉と作者のコメント。

二句目が、コメント欄に書かれているようです。どちらも並選です。
“ポイント”

季重なり

秋桜の雲の端染める夕焼け前

悠美子

夏井いつき先生より
「秋桜」は秋、「夕焼」は夏の季語ですね。「夕焼」ではなく別の言葉、例えば「夕映え」など季語にならない言葉を探してみましょう。
“参った”

浅間山装う秋桜裾模様

つばき

夏井いつき先生より
「山装う」という季語もあります。いずれにしても、「装う」と「裾模様」の情報が重複します。
“参った”

灼熱の浅間黒光りする蟻

福朗

夏井いつき先生より
「季重なりに挑戦してみました。ギラギラと太陽が照り付ける、真夏の浅間を表現したかったのですが」と作者のコメント。

意図は理解できます。「黒光りする」は更に推敲ができそう。内容と調べの調和を考えてみましょう。
“参った”

雛三人あえぎの浅間の夏

朝夕人

夏井いつき先生より
「高1の時、同級生三人で峰の茶屋で一泊し浅間山に登りました(今は禁止です)。喘ぎ喘ぎ登り、お鉢を巡り寒さでガタガタ震えた記憶があります」と作者のコメント。

「雛三人」とは、比喩ですよね? 「あえぎの浅間の夏」という表現は、少々大雑把。状況がわかりかねます。
“参った”

霧の中見隠るるのは禅庭花

舞矢愛

夏井いつき先生より
「禅庭花」は、日光黄菅なのですね。「禅庭花」を季語として載せている歳時記もあるようです。「霧」とどちらを主たる季語にしたいのか、作者自身が表現したい内容を自問自答してみましょう。
“参った”

べろ藍の布に刺したる秋桜

玲子

夏井いつき先生より
刺繍の「秋桜」でしょうか。だとすれば、季語としての鮮度は落ちてしまいます。
“参った”

秋晴れやハートのえくぼ浅間山

ミワコ

夏井いつき先生より
「以前、観光列車ろくもんに乗って車窓から浅間山を見たときに、昔の火口がハートの形になっているという紹介がありました。この兼題写真も、ハート型がとてもきれいに撮られていますね」と作者のコメント。

「秋晴れや」と詠嘆をして、切れを入れたのは良い判断です。ただ、中七下五の書き方だと、浅間山の全体のカタチが「ハートのえくぼ」? と捉えられる可能性が高いです。「火口」ならば、そのように描写すべきでしょう。
“参った”

遠き冬突撃合図浅間山

喜悦

夏井いつき先生より
「小学生の時に、テレビで見た映像です」と作者のコメント。

浅間山荘事件のことでしょうか? あの事件を十七音でひっくくるのは少々乱暴かもしれません。俳句は映像であり、描写でありますよ。
“参った”

秋桜の葉影サイケを織りなせり

内田ゆの

夏井いつき先生より   評価    並 
「私だけでしょうか? 秋桜は、花はもちろん葉の形に魅力を感じてしまいます。葉の影の形を表現したくて、サイケという柄に辿り着きました。また、最後の『織りなしている』を歴史的仮名遣いにしたいと色々調べました。不安ながらも、『え~いっ!』と投句します」と作者のコメント。

作者コメントの最後の部分ですが、この「織りなせり」は文語です。口語と文語は、文体。歴史的仮名遣いと現代仮名遣いは、表記。それぞれ意味が違います。YouTube『夏井いつき俳句チャンネル』の「文体と表記」シリーズを参照して下さい。
この句は、並選です。
“ポイント”

茶を語る師の目よ秋光に子の輝き

柳子

茶を語る師の眼よ秋光に子の眼の光

柳子

夏井いつき先生より
第四十回『蚤の市』の〈秋光や茶語る師の輝く目〉を推敲して、第四十二回の『降車ボタン』〈茶を語る師の目よ秋光の少女〉にしました。そして再度推敲しました。秋の茶道教室で、お茶について話すマスク越しの先生の目が、子供のようにキラキラしていたのがとても印象的でした。それを俳句で表現したいです」と作者のコメント。

今回、二句ともに以前の推敲句が送られてきています。どちらの句にも言えることですが、後半の「秋光に子の輝き」「秋光に子の眼の光」の部分。作者の意図としては「先生の目が子供のようにキラキラしていた」ことを書きたいとのことですが、この書き方だと、「師」以外に「子」という人物がいるのだなと読まれてしまいます。しばし、この句は寝かせておきましょう。句作には「寝かせる」という時間も必要です。色んな型を学び、いろんな季語と出会い、他者のさまざまな句から色んなことを学んでいくうちに、自分の俳筋力がついてきます。すると、案外かんたんに推敲の方法を思いついたりもするのです。
“参った”