第47回「コスモスと浅間山」《ハシ坊と学ぼう!⑨》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
コスモスや鬼の押し出し鎮魂歌
髙田 純佳
山裾に目に映るコスモスの花
律
「目に映る」は不要な措辞です。植物の季語「コスモス」は、咲いている状態を基本とするので、「~の花」も不要です。
濃紅の供花や祖母へ秋の暮
文月紺色
「祖母のお通夜に、祖母のお友達から濃い色のコスモスが届きました。祖母の好きな花を覚えててくださったようでした。その時のことです」と作者のコメント。
「祖母の好きな花」が「コスモス」なのでしたら、それを季語として使うほうがよいでしょう。「コスモスの供花や」として、残りの音数で「祖母」の遺影の表情、あるいは通夜の様子を描写してみましょう。
春や宇治世界遺産の十円玉
琥幹
「『京都の屋台』の投句〈支払いはスマホ硬貨古る春の宇治〉で、情報の詰め込みすぎとご指摘をいただき、推敲してみました。硬貨に彫られた平等院とキャッシュレス決済のことを詠みたかったのですが、うまく詠めず撃沈してしまいました。今回はまとめてみたつもりですが、季語が弱いかなとも思います。平等院には立派な藤棚もあるのですが……上五を『藤薫る』にしたほうが良いのでしょうか?」と作者のコメント。
十七音の器にちょうどよい分量は、季語とあと一つの要素ぐらい。この場合でしたら、「硬貨に彫られた平等院」と季語との取り合わせぐらいですね。「世界遺産」と書くのではなく、「平等院」あるいは「鳳凰堂」と書けば、映像になってきます。
コスモスよ浅間山荘忘るるな
みほ
蒼穹を愛でよ祈れよ宇宙花
木漏
調和する装置の如き秋桜
木漏
「こしゅもしゅよ」麓の墓碑に2才の手
甘茶お抹茶
数詞は、特別な意図がない限りは、漢数字にするのが定石です。
紅葉狩り脇見気になる運転手
笑道心文
中七は、説明だなあ~(苦笑)。この光景を描写すると、どうなるのか。考えてみましょう。
鷺群れは夕日に立つや秋桜
黒田栗饅頭(俳号ヤスジン改め)
「鷺群れは」という表現はちょっと引っ掛かります。語順を一考してみましょう。
コスモスや折れたりともなほ誘へり
西瓜頭
「一物仕立てにチャレンジしました。法起寺に行った時に、外にコスモスがたくさん咲いていたのですが、よく見たら一本茎の途中から折れて直角になっていました。それでも花は綺麗に咲いていて、コスモスって生命力が強いんだなと思って見ていた所へ、蝶が止まって花の蜜を吸い始めました」と作者のコメント。
「折れたり」で意味は切れる? 「一本茎の途中から折れて直角になっていました」という映像を描きたいのならば、「なほ誘へり」のような感想ではなく、描写に徹しましょう。
稜線を這うか蝸牛雲白し
或曲
「蝸牛」は比喩? そのあたりが読み取り難いです。
コスモスに浅間惨劇忘れ去る
もっさん
お気持ちは分かりますが、後半は感想です。
岩肌を背にはえる秋桜
りひそ
「『映える』と『生える』をかけたくて、ひらがなにしました」と作者のコメント。
ううーむ、その工夫はあまり効果はなかったかな(苦笑)。この光景は、岩肌に秋桜が咲いている? 描写をしっかりとしましょう。
コスモスやはるか頭上に飛行船
茶椅子
「コスモス」と「飛行船」の取り合わせ、よいですね。中七をもう一工夫すると、人選になります。「飛行船」って、「はるか頭上」ですものね。
寒晴に富士きりり立つ佳き日かな
水鳥川詩乃
「近所に、富士山の見える坂があります。いつも見えるわけではなく、見えるとラッキーという感じです。冬の朝、雲ひとつない青空に富士山が見えて、今日はいい日だなと思った気持ちを句にしました」と作者のコメント。
上五の「~に」が損な使い方です。語順を再考してみましょう。
コスモスや化粧回しの浅間山
崎曽根篤子
この比喩がどこまで伝わるか。少々ビミョウです。
浅間山登り立ちみゆ夏の富士
鶴喰 照
どちらの山に立っているのか、それをもう少し明確に書いてみましょう。中七の描写が冗長ですから、ここを整理して、例えば「浅間山より」とでも書けば、どこに立っているのかがはっきりします。
南国のでこぼこ道や蝶の群
紫木蓮
「途上国で働いている時、地方出張はハードでしたが、ワァっと思う光景にも出会ったことを懐かしく思い出しました」と作者のコメント。
「南国」が漠然としています。海外なのならば、それが明確に分かるように書いてみてはどうでしょう。
秋桜はしなうや松葉の退院日
悠美子
「半月板断裂による手術の後、松葉杖をついての退院となり、それまでできていた動きが全くできないもどかしさと不安を抱えていました。目にした秋桜のしなやかな強さが羨ましいばかりでしたが、自分も希望を無くさずにいようと思い直しました」と作者のコメント。
取り合わせも、句のカタチもよいのですが、松葉杖を「松葉」と端折るのは無理があります。むしろ「杖の」とすべきではないかと。
コスモスや霊峰仰ぎ行者道
芝香
浅間山望むコスモス柔く見せ
倖悦
蒼穹に映えるコスモス浅間山
あるがままん
秋の日や火山の肩にしな垂れたい
乃咲カヌレ
面白い発想ではあります。「火山の肩にしな垂れたい」のは、自分自身? 秋の日差しが? そのあたりを明確にしたいのですが……。
浅間山史実とともに秋の昼
風子
中七が説明です。具体的にどんな史実を思ったのか。その名残の光景がそこにあったのか。描写を第一義として再考してみましょう。
球唸るあさま山荘秋の蝉
帷子川ソラ
「『浅間』で思い出すのは、52年前の浅間山荘事件。緊迫と悲哀の映像が目に浮かびます」と作者のコメント。
私たちは、浅間山荘事件を知っていますから、「球唸る」の意味が分かりますが、字面だけが勝負の俳句としては、ニュース映像をなぞっているという印象です。まずは、兼題写真から自分自身の体験を掘り出してみましょう。そこに、俳句のタネがありますよ。
コスモスの駆ける子止むる魔法かな
那烏夜雲
後半の「止むる魔法かな」ですが、これはどんな様子を見たから、このように感じたのでしょうか。俳句は描写ですよ。
秋の昼航空便は二キロまで
藤康
中七下五に対して、季語は動きそうです。
山登り先生の菓子も三百円か
向日葵
夏の季語「登山」の傍題が「山登り」です。中七下五は、春の季語「遠足」の気分かもしれません。
秋曇小さく揺れる浅間山
石田ひつじ雲
この文脈だと「小さく揺れる」のは「浅間山」なのだろうと思いますが、どういう情景なのか、読みを迷います。
コスモスや山のあなたの空とおく
まちつぼ
「あの山の向こうのかなたには『幸い』住むと人のいふ(カール・ブッセ)」と作者のコメント。
お気持ちは分かります。ただ、中七下五がそのままカール・ブッセの言葉を拝借しているのは、少々強引。
青空や山を仰ぎ見る秋桜
つーじい
「青空」も「山」も「仰ぎ見る」視線ですね。ここらあたりに、改善点がありそうです。