第31回 俳句deしりとり〈序〉|「らく」②
始めに
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。
第31回の出題
兼題俳句
万物に心臓ベゴニア痛そうに開く 澤村DAZZA
兼題俳句の最後の二音「らく」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「らく」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
楽園めける慰霊の森や黒揚羽
伊藤 恵美
楽園や夕陽朝陽を見る花野
メグ
楽園は消えて西瓜の残さるる
けーい〇
楽園の園丁になりたし秋の薔薇
中岡秀次
楽天の署名微醺の夏の月
くるぽー
楽市へ舟の通いし湖や春
阿部八富利
楽市楽座仔馬の列の砂埃
澤村DAZZA
楽市楽座目の赤くない兎
とひの花穂
「楽市楽座」は戦国時代から近世初期にかけて行われた商業政策のこと。新興商人の自由営業を許し、領地を繁栄させました。学生時代に習ったよねえ、懐かしい。《阿部八富利》さん、《澤村DAZZA》さんが楽市楽座への導線の光景を水陸から描写しているのに対し、《とひの花穂》さんは当時の町人になりきったような語りが意外な切り口。見世物小屋とまではいかないけど、珍しいモノが市に並んでるのをざわざわと見に集まってくる人のざわめきの中心に「目の赤くない兎」がいるんじゃないかしら。
楽焼の後の紅焔秋の宵
くさもち
陶器のひとつである「楽焼」の製造は千利休の指導によって長次郎が創始したそうです。茶の湯とかかわりの深い陶器なんですねえ。……と思ったら、素人が趣味などでつくる低い火度で焼いた陶器の指す言葉でもあるそうな。うーん、この句の場合どっちかなあ。前者で読めば高雅な職人の風情だけど、後者だと個人の素朴な満足感といった感じ。「秋の宵」はどっちの解釈も許容するだけに、悩みが深い。
ラクレットチーズとろりと冬の窓
古都 鈴
ラクレットどばどば初夏の紙皿へ
雨野理多
ラクレット艶々とろり纏う薯
のりのりこ
ラクレット蕩ける愛の日の女子会
天雅
私事ながら10月1日よりわたくしダイエットしておりましてですね。チーズ。食べたいね。すごく。
酪酸菌摂れば快腸処暑の節
牛乳符鈴
ラクトースオペロン取捨選択の夏
夜汽車
ラクに水ボドルム染める大夕焼
はま木蓮
これも知らないなあ。「ラク」もわからなければ「ボドルム」もわかりませんワ。 調べてみると「ラク」はトルコ生まれの蒸留酒、「ボドルム」はトルコの都市の名前だそうです。ラクはよく飲まれるお酒のひとつで、水割りが基本のスタイル。ラクを水で割ると白く濁るんですって。ほほー、面白い! なにが起きているか理解できると、ラクの白と大夕焼の茜色との対比も鮮やかでいいですねえ。
落雁の型は瓢や秋麗
渥美こぶこ
落雁を四条通りに求む秋
若山 夏巳
落雁のざらざら待宵の痛み
あなぐまはる
落雁のほろほろほろぶ雪蛍
三浦海栗
落雁を割る母せわし実家かな
源早苗
落雁を手に持ち供え仏壇に
律
落雁のほろほろもう暮れてしまった
絵夢衷子
ちょっと扱いの微妙な例もありました。夏の季語に「麦落雁」がありますが、これは新麦を使うため。となると、一年中存在する通常の「落雁」にどれだけ季感があるか、季語と認識して良いか? と考えると個人的には疑問が残ります。「でも歳時記に載ってました!」という声もあるかもしれませんが、歳時記に載ってる「落雁」は動物の「雁」の傍題なんじゃないかなあ。もしお二人の句が動物の雁だとしたら、北へと帰っていく雁をとっ捕まえて割ったり手づかみで仏壇に供えていることになるわけで、ちょっと、いや、かなりコワイ。
《絵夢衷子》さんも「落雁のほろほろ」としていることを考えると、お菓子の落雁を意識しているものと思われます。ちょっと変則的な形ではありますが、冬の季語「暮早し」を「もう暮れてしまった」と変化させて使っているのかなあ。
落柿舎の灯りともれり納め句座
このみ杏仁
落柿舎や蓑笠あれと去来の忌
ゆきえ
落魄の大関の引く夜鳴蕎麦
清瀬朱磨
落胤の朝顔藍の深すぎて
津々うらら
烙印を押されし我が身秋蛍
閑陽
烙印がなんだ私の風青し
春野つくし
烙印の落款赤し落第子
風早 杏
烙印やめらりめらりと葉鶏頭
三尺 玉子
烙印業火バラナシは油照り
おりざ
《③へ続く》