第48回「鍋一杯の柚子ジャム」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
地
第48回
鍋底に湯玉のたまご待つ夜長
黒子
鍋にお湯が沸くのを待っているだけなのに、ちゃんと詩になっている。俳句っていいなあ、と思います。
鍋の底に生まれてくる「湯玉」の映像を想像させておいて、更に「~のたまご」ともってくるところがニクイ展開です。「たまご」を文字通り、茹で卵を作っていると読む人もいるかと思いますが、私は「湯玉のたまご」つまり、湯玉というにはまだ小さいお湯の揺らぎだと読みました。「夜長」という長い時間と、「湯玉のたまご待つ」ささやかな時間の対比。そこに、詩が生まれるのだなあと思うのです。
柚子の実を抱石葬へ間に合はす
内藤羊皐
「抱石葬」とは縄文時代の埋葬で、死霊を封じこめるために石を抱かせて葬ったものだそうです。
この句は、石の代わりとしての「柚子の実」なのでしょうか。あるいは「抱石葬」となった故人のため、黄泉の食べ物としてのお供えなのでしょうか。「間に合はす」という下五に、心情的な虚のリアリティを感じる作品です。
こととんこととんジャム煮る夜や霜の花
杏乃みずな
「こととんこととん」というオノマトペは、「ジャム煮る夜」に対しては、分かりやすすぎるほどの表現です。が、「~夜や」の詠嘆から映像が切り替わったとたん、「霜の花」に展開するのがこの句の眼目。窓の外では、冷たい霜の花がツンツンと育っている。そんな夜の静けさの中に、「こととんこととん」とジャムを煮る音が続いていくのです。
檸檬煮る砂糖さびしさ五杯分
にゃん
「檸檬」と「砂糖」と「さびしさ」、この三つの言葉が良き距離を保っています。俳句における「付かず離れず」の感覚からすると、少し近いのですが絶妙なバランスなのです。
檸檬のジャムを作るために入れる砂糖。匙に「五杯分」入れるというレシピなのでしょうが、それはまるで「さびしさ」を五杯分入れているかのようだよ。秋の感傷をこんなふうに表現してしまうのですから、大したものです。
柚子を嗅ぐ胎児に届くように嗅ぐ
土井あくび
ああ、なんて気持のいい「柚子」の匂いだろうと、「柚子を嗅ぐ」のです。「胎児に届くように嗅ぐ」は、悪阻の時期なのでしょうか、それとも臨月が間近いのでしょうか。 動詞「嗅ぐ」のリフレインが、強い実感として伝わってくる作品です。
ジャム煮詰む気泡は長き夜をうたう
あなぐまはる
ジャムを煮詰めます。ぷくぷくぷすぷすと沸いてくる熱い「気泡」を眺めます。甘い匂いが満ちてくると、「気泡」たちは、ますます楽しそうに秋の夜長を歌うのです。「気泡は長き夜をうたう」という詩語が、いかにも豊かな秋の気分を醸し出します。
堕天して真つ赤なジャムを煮る寒夜
沖原イヲ
「堕天」には特殊な意味もあるようですが、ここでは、「堕天使=神の怒りを買い、天上界から下界に堕落させられた天使」の意味の「堕天」と読みました。
天上界から堕ちた天使自身が「真つ赤なジャム」を煮ているのでしょうか。「堕天して」は、堕落している人間の比喩なのでしょうか。「真つ赤なジャムを煮る」のあとの「寒夜」という季語が、まさに寒々と響き渡ります。
ジャム煮ゆる秋は豊かに濃縮す
夏椿咲く
今回「ジャム煮ゆる」という句は山ほど届いたわけですが、そこからの展開にオリジナリティがありました。ジャムが煮えているよ。ここには、秋果の実りが「豊かに濃縮」しているのだよ、と。
「秋」と「豊か」はベタ付きだし、「豊か」と「濃縮」のイメージも重なっているのに、「秋は豊かに濃縮す」は詩語として機能しています。それは、「ジャム煮ゆる」という現実の光景が、がっちりと読者に共有されるからなのでしょう。
柚子湯ちやぷちやぷ生きてくための周波数
勇緋ゆめゆめ
湯舟に柚子が浮いていると、確かに「ちやぷちやぷ」させます。柚子を突いてみたり、寄せてみたり、嗅いでみたり。
今年もこの季節が来たかと「柚子湯」に浸かる。香り立つ熱い湯に、嗚呼とあげる声も、「ちやぷちやぷ」する音も、全ては「生きてくための周波数」かもしれないという感慨。後半の詩語が、読み手の共感を誘います。
給料はしょっぱい柚子は甘苦い
青柳四万十
「今月の俳句を作るために、柚子を買ってみました」と、作者のコメントがついていた一句。兼題の季語を体験してみようという態度は俳人の鑑ですが、前半「給料はしょっぱい」とあるのが、何やら微笑ましくもあり切なくもあり。
腹の足しにはならない柚子を嗅いだり転がしたりしつつ、半額シールのついてた焼き魚に絞ってみたりしているのだろうかと想像すると、ますますこの句を愛してしまいます。