第49回「ブルガリアの道路」《ハシ坊と学ぼう!⑪》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
空き缶の時雨るあの子の背の痣
うーみん
夏井いつき先生より
「私の友人に、家庭内暴力を受けて育った子がいました。PTSDに苦しみ、10年前に亡くなりました。友人が教えてくれた悲しみ、惨さ、無力さを忘れないようにと思ってきました。今回、俳句のおかげで少し表現することができました」と作者のコメント。
重いエピソードですが、これも表現すべき句材だと切に思います。「時雨」と「あの子の背の痣」の取り合わせを良しとした時、「空き缶の時雨る」という表現に違和感があります。どういう光景、ニュアンスを書きたいのか。再度、自問自答してみて下さい。佳き句に仕上げたいですね。
「私の友人に、家庭内暴力を受けて育った子がいました。PTSDに苦しみ、10年前に亡くなりました。友人が教えてくれた悲しみ、惨さ、無力さを忘れないようにと思ってきました。今回、俳句のおかげで少し表現することができました」と作者のコメント。
重いエピソードですが、これも表現すべき句材だと切に思います。「時雨」と「あの子の背の痣」の取り合わせを良しとした時、「空き缶の時雨る」という表現に違和感があります。どういう光景、ニュアンスを書きたいのか。再度、自問自答してみて下さい。佳き句に仕上げたいですね。
営業中看板犬は暖炉前
看做しみず
夏井いつき先生より
うーむ……一度、この句材は、眠らせてみましょう。たぶん、頭が同じところをグルグル回り続けているのだと思います。場合によっては、数年寝かせておくぐらいの、ゆったり感覚で。(私は、十年ぐらいして、「おおー! これだ」と思いつくこともありました)
秋晴や仕事休みて牛の爪切る
雪花
夏井いつき先生より
「秋晴」という季語と「牛の爪切る」という要素だけで、俳句としての分量は十分あります。「仕事休みて」は、この句にとって不要な情報です。
転調のエンジン音や峠春
智隆
夏井いつき先生より
語順を一考してみましょう。「春の峠」と上五に字余りでおいて、そこから七五を整えてみて下さい。
語順を一考してみましょう。「春の峠」と上五に字余りでおいて、そこから七五を整えてみて下さい。
首肩に納めかねてる梟かな
湖七
夏井いつき先生より
「~てる」が口語で、「~かな」が文語です。口語と文語の混在は、許容し易いのですが、この句の場合は、統一したほうが味わいが深いのではないかと思います。「~たる」とすれば、人選です。
三日月の暗さ渋谷の飲み屋街
水越千里
夏井いつき先生より
「ハシ坊希望です。食べ物の句はおいしそうに詠めといわれますが、月の句は明るさや綺麗さを詠まないといけないのでしょうか? 金子兜太の句〈三日月がめそめそといる米の飯〉を読んで、そうでなくてもいいのかと思いました。ネオンよりずっと暗いことを詠みました」と作者のコメント。
「食べ物の句はおいしそうに詠め」は、あくまでも一つの定石です。定石を外すというのも、創作の一つの態度であることは心して置いて下さい。その上で考えれば、「月の句は明るさや綺麗さを詠まないといけない」いうのも定石に過ぎません。定石というストライクゾーンで勝負するか。どれぐらい外したところに投げ込んでみるか。これらもまた、創作の態度なのです。
この句の場合は、「三日月」に対する「暗さ」という表現に物足りなさを感じます。三日月だものね、と思ってしまう。金子兜太の〈三日月がめそめそといる米の飯〉の表現と比較すれば、その物足りなさが理解できるのではないでしょうか。
「食べ物の句はおいしそうに詠め」は、あくまでも一つの定石です。定石を外すというのも、創作の一つの態度であることは心して置いて下さい。その上で考えれば、「月の句は明るさや綺麗さを詠まないといけない」いうのも定石に過ぎません。定石というストライクゾーンで勝負するか。どれぐらい外したところに投げ込んでみるか。これらもまた、創作の態度なのです。
この句の場合は、「三日月」に対する「暗さ」という表現に物足りなさを感じます。三日月だものね、と思ってしまう。金子兜太の〈三日月がめそめそといる米の飯〉の表現と比較すれば、その物足りなさが理解できるのではないでしょうか。
大鹿の大地に坐すや草朧
日月見 大
夏井いつき先生より
「イエローストーン国立公園で、夕暮れに大鹿が一頭、悠然と草原に座っているのを見て、かっこいいと思いました」と作者のコメント。
「大鹿の大地に坐すや」というフレーズ、特に「大地」とあるので、広大な草原を思いました。となると、「草朧」という季語に違和感が。「朧」は、春の湿度をふくんだ大気。ぼんやりとかすんでいるさま。「草朧」に、日本の湿度を感知してしまいます。これは、作者の意図とも違っているのではないかと。
「イエローストーン国立公園で、夕暮れに大鹿が一頭、悠然と草原に座っているのを見て、かっこいいと思いました」と作者のコメント。
「大鹿の大地に坐すや」というフレーズ、特に「大地」とあるので、広大な草原を思いました。となると、「草朧」という季語に違和感が。「朧」は、春の湿度をふくんだ大気。ぼんやりとかすんでいるさま。「草朧」に、日本の湿度を感知してしまいます。これは、作者の意図とも違っているのではないかと。
困ったなもうどうしよう牛角力
めぐえっぐ
夏井いつき先生より
「もう 牛の声 どうし(牛)よう。季語『牛角力』で牛三昧。兼題写真が難しすぎて思いつきません。すみません!」と作者のコメント。
「もうどうしよう」というフレーズ、今回はそれなりに届いていました。
「もう 牛の声 どうし(牛)よう。季語『牛角力』で牛三昧。兼題写真が難しすぎて思いつきません。すみません!」と作者のコメント。
「もうどうしよう」というフレーズ、今回はそれなりに届いていました。
ドナドナとイヴァンカはゆく枯野かな
朗子
夏井いつき先生より
「ブルガリアに多い名前だそうで、牛さんにもつけてるかなと思いました」と作者のコメント。
「ブルガリアに多い名前だそうで、牛さんにもつけてるかなと思いました」と作者のコメント。
「ドナドナと」という句があまりにも多かったのですが、この句の場合でしたら、「イヴァンカはゆく枯野かな」は良いと思いますので、上五の工夫次第で、人選にはいけそうです。
ヌーの川渡やケニアの夕焼け
夢追い人
夏井いつき先生より
「数え切れないヌーの群れが、タンザニア側から国境の川を渡ってケニア側に必死で大移動します。危険を乗り越えて渡りきったケニアの大地で、草を食むヌーが夕焼けに包まれて安堵しているかの様でした」と作者のコメント。
「ケニア」という固有名詞が必要かどうか、一考してみて下さい。ヌーが川を渡り切った、その夕焼けを映像として描けば、「大地で草を食むヌーが夕焼けに包まれて安堵している」様子は、十分に伝わるのではないかと。
「数え切れないヌーの群れが、タンザニア側から国境の川を渡ってケニア側に必死で大移動します。危険を乗り越えて渡りきったケニアの大地で、草を食むヌーが夕焼けに包まれて安堵しているかの様でした」と作者のコメント。
「ケニア」という固有名詞が必要かどうか、一考してみて下さい。ヌーが川を渡り切った、その夕焼けを映像として描けば、「大地で草を食むヌーが夕焼けに包まれて安堵している」様子は、十分に伝わるのではないかと。
鼻輪なき牛のつま先秋旱
白庵
夏井いつき先生より
「鼻輪なき牛」と「秋旱」の取り合わせはよいです。中七で「~のつま先」と一気に映像の焦点が動くのに、読み手としては戸惑いました。
「鼻輪なき牛」と「秋旱」の取り合わせはよいです。中七で「~のつま先」と一気に映像の焦点が動くのに、読み手としては戸惑いました。
侵略を許さぬ牛と草の花
大日向都
夏井いつき先生より
「ブルガリアのあるバルカン半島は戦争の絶えない地で、『草の花』のように名もなき市民が侵略と戦ってきた歴史があります。兼題写真の牛も戦っている風情なので、市民である『草の花』と並列にしてみました」と作者のコメント。
なるほど、そういう意図なのですね。「侵略を許さぬ牛」は、兼題写真の「牛も戦っている風情」からきたとのことですが、読み手にはそこがイマイチ伝わりません。「侵略を許さぬ」と「草の花」の取り合わせはよいと思いますので、全体を再考してみましょう。
なるほど、そういう意図なのですね。「侵略を許さぬ牛」は、兼題写真の「牛も戦っている風情」からきたとのことですが、読み手にはそこがイマイチ伝わりません。「侵略を許さぬ」と「草の花」の取り合わせはよいと思いますので、全体を再考してみましょう。
秋さびしナビのとおりに来たはずが
青田道
夏井いつき先生より
「ナビのとおりに来たはずが」という呟きは、生々しくていいです。季語「秋さびし」が感情として近すぎます。どんな場所に来ているのかが分かるように、季語を取り合わせてみるのはいかがでしょう。ご一考下さい。
方舟を降りて祖国は月白に
清水縞午
夏井いつき先生より
「兼題写真から、ノアの方舟から降りてきた生き物たちの群れの現代版を想像しました」と作者のコメント。
発想は面白いと思いますが、後半「祖国は月白に」で、その意図が表現できているか否か。再考の余地があります。
発想は面白いと思いますが、後半「祖国は月白に」で、その意図が表現できているか否か。再考の余地があります。
主人亡き牛の見上ぐる梅の花
清水縞午
夏井いつき先生より
「『主人(あるじ)』と読ませるつもりです。牛の立ち往生から、菅原道真は死後、牛が歩かなくなったところに葬るように指示し、そこが太宰府であった逸話を思い出し、〈東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ〉の歌から、本歌取りにチャレンジしました」と作者のコメント。
なるほど、今回は色々挑戦しているのですね。本歌取りは、本歌を土台として、何か新しい展開だったり味わいだったりを添える必要があります。この句は、その逸話の範囲を超えてないところに、食い足りなさが残るのだろうと思います。
なるほど、今回は色々挑戦しているのですね。本歌取りは、本歌を土台として、何か新しい展開だったり味わいだったりを添える必要があります。この句は、その逸話の範囲を超えてないところに、食い足りなさが残るのだろうと思います。
姑娘(クーニャン)の指が切り捨てし水洟
感受星 護
夏井いつき先生より
「【(前書)約四十年前の上海の街角、姑娘=中国語で娘・お嬢さん】当時の中国は紙がとても貴重で、普通の人がティッシュを持つなど考えられなかった時代です。噂には聞いていましたが、二月の寒い時期、前を歩いていた妙齢の女性が突然立ち止まり、指で鼻を押さえて凄い音を出して鼻水を垂らしたかと思うと、指でピシッと切って去っていきました。後に残った水洟の跡に、暫し呆然とした思い出です。私にはかなり衝撃的事件でした」と作者のコメント。
せっかくの衝撃的事件です。語順を一考してみましょう。映像として考えて下さい。
せっかくの衝撃的事件です。語順を一考してみましょう。映像として考えて下さい。
通り過ぐる牛と目の合ひ秋時雨
正宗一孝
夏井いつき先生より
「目の合ひ」を「目の合ふ」とすれば、人選です。
「目の合ひ」を「目の合ふ」とすれば、人選です。
熊鈴や木曽谷の子ら群れ帰る
朱鷺
夏井いつき先生より
下五を一考して下さい。「熊鈴や木曽谷の子ら」とあれば、一緒に歩いている様子は伝わります。すぐに、人選に手が届きますよ。
下五を一考して下さい。「熊鈴や木曽谷の子ら」とあれば、一緒に歩いている様子は伝わります。すぐに、人選に手が届きますよ。