第49回「ブルガリアの道路」《ハシ坊と学ぼう!⑫》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
さりとても熱砂の道を駱駝かな
長谷部憲二
夏井いつき先生より
「かつてエジプトに旅行した時、空港からカイロ市内までの高速道路(?)を、牛、驢馬(ろば)、駱駝等が飼い主に曳かれて歩いていたのを見て、驚いた事があります。その時の事を思い出しました」と作者のコメント。
作者コメントの光景が面白いですね。上五「さりとても」のニュアンスが、伝わりにくいのが残念です。「かな」の詠嘆も含めて、再考してみましょう。
「かつてエジプトに旅行した時、空港からカイロ市内までの高速道路(?)を、牛、驢馬(ろば)、駱駝等が飼い主に曳かれて歩いていたのを見て、驚いた事があります。その時の事を思い出しました」と作者のコメント。
作者コメントの光景が面白いですね。上五「さりとても」のニュアンスが、伝わりにくいのが残念です。「かな」の詠嘆も含めて、再考してみましょう。
べこの目に落ちる夕日や秋彼岸
UVA桜
夏井いつき先生より
「夕日」とあれば、「落ちる」は不要です。
枯山のなんてこったい道に牛
小林弥生
夏井いつき先生より
中七下五「なんてこったい道に牛」というフレーズは簡潔で、兼題写真の状況を語れています。上五の季語「枯山」が、あとに出てくる「道」という地理的情報と重なるのが勿体ない。季語を再考してみましょう。
音のなき川でスマホと牛冷やす
天橋立右彩
夏井いつき先生より
「スマホ」も水に? 「牛冷やす」という季語が、「スマホ」と並列にされていることに、多少の違和感を持ちます。
「スマホ」も水に? 「牛冷やす」という季語が、「スマホ」と並列にされていることに、多少の違和感を持ちます。
爽やかに牛走らずアスファルト道
銀髪作務衣
夏井いつき先生より
後半の調べがもたつきます。「アスファルト道」は不要な情報です。「爽やかに」という季語を生かすのならば、走らない牛の様子を描写するだけで、一句になりますよ。
奈良の道我が物顔の鹿の声
苅桜守
夏井いつき先生より
その「鹿」のどんな様子が「我が物顔」に感じられたのか。そこを描写しましょう。
かまい時太き声出す牡牛かな
小田毬藻
夏井いつき先生より
「かまい時」が季語。「獣交む」の傍題にありました。一読、敢えて、この傍題を使う効果があるのか。そこが気になります。少なくとも、「かまい時」を季語とした時、中七下五は季語の説明になってしまいます。中七下五の光景を描きたいのならば、季語は動かすべきでしょう。
「かまい時」が季語。「獣交む」の傍題にありました。一読、敢えて、この傍題を使う効果があるのか。そこが気になります。少なくとも、「かまい時」を季語とした時、中七下五は季語の説明になってしまいます。中七下五の光景を描きたいのならば、季語は動かすべきでしょう。
九月尽反射炉跡のくじ売場
うめやえのきだけ
夏井いつき先生より
句材は面白いと思います。「反射炉跡のくじ売場」は、事実かどうか分からないのですが、このフレーズを良しとした時、上五の季語は動きそうです。
句材は面白いと思います。「反射炉跡のくじ売場」は、事実かどうか分からないのですが、このフレーズを良しとした時、上五の季語は動きそうです。
引き売りの胡瓜の過ぎる高速道
山本美奈友
夏井いつき先生より
「高速道」=ハイウェイ、自動車が高速度で走るための専用道路ですよね。そこを、「引き売りの胡瓜の過ぎる」という状況が掴みかねます。間違えて、高速道路に入ってしまったという小さな事件だとすれば、その状況には気が引かれますが、季語としての「胡瓜」が果たして主役になっているのかどうか。色々と気になった一句です。
「高速道」=ハイウェイ、自動車が高速度で走るための専用道路ですよね。そこを、「引き売りの胡瓜の過ぎる」という状況が掴みかねます。間違えて、高速道路に入ってしまったという小さな事件だとすれば、その状況には気が引かれますが、季語としての「胡瓜」が果たして主役になっているのかどうか。色々と気になった一句です。
冬暁山臨む牛の息荒く
いわさき
夏井いつき先生より
「本当は『息白し』にしたかったのですが、冬暁をどうしても残したかったので『息荒く』にしました。荒らしだと、もう一句の投句と同じ調子になってしまうし、難しかったです。『山臨む』で、牛が山を登ってる感じが出ているといいと思います」と作者のコメント。
なるほど、そういう意図なのですね。「息白し」と書かなくても、上五に「冬暁」六音の季語がどっしりとありますから、「息荒く」で息の白さは伝わりますよ。むしろ、中七が中八になっていることのほうが、大きなマイナス。「山ゆく牛の」とでもすれば、七音におさまりますので、全体の調べが整ってきます。これならば人選です。
「本当は『息白し』にしたかったのですが、冬暁をどうしても残したかったので『息荒く』にしました。荒らしだと、もう一句の投句と同じ調子になってしまうし、難しかったです。『山臨む』で、牛が山を登ってる感じが出ているといいと思います」と作者のコメント。
なるほど、そういう意図なのですね。「息白し」と書かなくても、上五に「冬暁」六音の季語がどっしりとありますから、「息荒く」で息の白さは伝わりますよ。むしろ、中七が中八になっていることのほうが、大きなマイナス。「山ゆく牛の」とでもすれば、七音におさまりますので、全体の調べが整ってきます。これならば人選です。
冬霧の牛舎たわわなる乳ぬくし
あが野みなも
夏井いつき先生より
「冬の牛舎の、湯気の上がる牛の息づかいや搾乳の様子を詠みました」と作者のコメント。
搾乳していることが分かるように情報を入れると、人選に手が届きます。現状では並選。
「冬の牛舎の、湯気の上がる牛の息づかいや搾乳の様子を詠みました」と作者のコメント。
搾乳していることが分かるように情報を入れると、人選に手が届きます。現状では並選。
身に入むや家畜車からのあまたの目
一井かおり
夏井いつき先生より
「売られていく牛達の視線を感じながら、家畜車を見送る生産者の景を想像しました」と作者のコメント。
表現したいことは分かりますし、切り取り方もよいです。「~からの」の部分に散文臭が残っています。ここをクリアできると、完成します。このままでも人選ですが、更なるワンランクアップに挑んでみて下さい。
表現したいことは分かりますし、切り取り方もよいです。「~からの」の部分に散文臭が残っています。ここをクリアできると、完成します。このままでも人選ですが、更なるワンランクアップに挑んでみて下さい。
車より自分が偉いと秋起こし
勺子
夏井いつき先生より
兼題写真を見てない人には、「車より自分が偉い」の自分が牛であることは伝わりません。牛ではなく、人間だと読んでみると、下五「秋起こし」の句意が読み取れないということになります。何を表現したかったのか、再度自問自答してみましょう。
草を喰む牛の乳房や花野かな
幽香
夏井いつき先生より
一句に「や」「かな」の切字が重なると、感動の焦点がブレるということで、嫌われます。どちらか一つにしましょう。
道半ば牛の眼に渡る鷹
竪山 ヒスイ
夏井いつき先生より
「近くの山で豚が逃げ出し、大捕り物があったと聞きました。きっと外に出たかったのだろうと思います。 逃げてきた牛は自由な旅がしたかったのにで出来ず、牛の眼(まなこ)には、自由に渡る鷹が映っているという、情景を思い浮かべました」と作者のコメント。
一句に生き物を二つ入れるのは難しいのですが、「牛の眼に渡る鷹」はいきそうです。上五を一考して下さい。「道半ば」という説明は不要で、「牛の眼に渡る鷹」この瞬間の映像を描写しましょう。
一句に生き物を二つ入れるのは難しいのですが、「牛の眼に渡る鷹」はいきそうです。上五を一考して下さい。「道半ば」という説明は不要で、「牛の眼に渡る鷹」この瞬間の映像を描写しましょう。
月を見てコンビに入る帰り道
佳辰
夏井いつき先生より
「コンビニ」の入力ミスですよね。ならば並選です。
削蹄師広背筋や秋暑し
窓 美月
夏井いつき先生より
「いつもお世話になっているトリマーさんの旦那さまが、削蹄師なんです。牛の何かをする……くらいにしか覚えてなかったので、削蹄師とは何か調べてみました。牛の蹄はちゃんと削ってあげないと歩けなくなってしまうらしく、専用のノミやナイフのような物でガシガシ削るんです。痛そうなほどに……。痛くはないらしいですが。けっこう力がいるようで、削蹄師さんの腕も肩も背中も力強く動いていました。その様子を詠んでみました」と作者のコメント。
上五字余りになりますが「削蹄師の」とすれば、人選です。その効果について考えてみて下さい。
「いつもお世話になっているトリマーさんの旦那さまが、削蹄師なんです。牛の何かをする……くらいにしか覚えてなかったので、削蹄師とは何か調べてみました。牛の蹄はちゃんと削ってあげないと歩けなくなってしまうらしく、専用のノミやナイフのような物でガシガシ削るんです。痛そうなほどに……。痛くはないらしいですが。けっこう力がいるようで、削蹄師さんの腕も肩も背中も力強く動いていました。その様子を詠んでみました」と作者のコメント。
上五字余りになりますが「削蹄師の」とすれば、人選です。その効果について考えてみて下さい。
遺家族は逃げさうな牛から冷す
岡根喬平
夏井いつき先生より
「一家の中心人物を亡くした畜産農家の光景を詠みました。畜産農家の方にとって牛は家族同然です。遺家族はこれ以上大切な家族を失いたくないという気持ちが強くあるので、逃げそうな牛から水をかけて冷やしてあげるのではないかと思いました」と作者のコメント。
作者コメントを読めば伝えたいことは分かるのですが、「遺家族」「逃げさうな牛」という各々のフレーズの間を、読者に読み取れというのは、ちょっと酷ではないかと。俳句でストーリーやエピソードを述べるのは、難しいのです。切り取った映像から何を伝えるか。まさに、言葉の写真なのです。
「一家の中心人物を亡くした畜産農家の光景を詠みました。畜産農家の方にとって牛は家族同然です。遺家族はこれ以上大切な家族を失いたくないという気持ちが強くあるので、逃げそうな牛から水をかけて冷やしてあげるのではないかと思いました」と作者のコメント。
作者コメントを読めば伝えたいことは分かるのですが、「遺家族」「逃げさうな牛」という各々のフレーズの間を、読者に読み取れというのは、ちょっと酷ではないかと。俳句でストーリーやエピソードを述べるのは、難しいのです。切り取った映像から何を伝えるか。まさに、言葉の写真なのです。