俳句deしりとりの結果発表

第34回 俳句deしりとり〈序〉|「びし」③

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俳句deしりとり〈序〉結果発表!

始めに

皆さんこんにちは。俳句deしりとり〈序〉のお時間です。

出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。
“良き”

第34回の出題

兼題俳句

鼻涙管といふ暗渠や秋さびし  芦幸

兼題俳句の最後の二音「びし」の音で始まる俳句を作りましょう。

 


※「びし」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。

微笑の瞳遠火事の湾曲す

うーみん

妙に心惹かれたのがこの句。微笑を浮べているのが誰なのか、性別も人物像もなにも書かれていないんだけど、個人的には女性を思いました。「遠火事」の不穏に対して「微笑」が取り合わされているのがなんとも意味深。自分は安全圏にいながら、遠くに聞こえる狂騒と黒煙を感知している様は邪なものを秘めているように感じるなあ。十七音の器の中でミステリーが増幅していくような読みの楽しみがあります。

 

“ポイント”

微笑のモナリザ眺む炬燵猫

つきみちる

微笑するモナリザ巴里は冬日和

葉山さくら

微笑する淑女の名画秋気澄む

清水ぽっぽ

微笑つながりでモナリザの句あれこれ。《つきみちる》さんはひょっとして「微笑」で「ほほえみ」と読ませたいのかなあ。そうすると音数はぴったり五七五になるんだけど、しりとりの「びし」が失われてしまうジレンマ。《清水ぽっぽ》さんは「秋気澄む」が清廉で美しい取り合わせ。固有名詞「モナリザ」ではなく一般名詞「名画」なのもポイント。「名」の一字が効果的であります。

“とてもいい“

美神彫るミケランジェロや秋気澄む

玉響雷子

美神像腕なき肩に秋の蝶

はるを

美神には美神の事情ぼたん鍋

細葉海蘭

美神の彫刻を取り上げた3句です。彫刻家でもあったミケランジェロへ《玉響雷子》さんのストレートな表現です。《はるを》さんは作者の明確でない「ミロのヴィーナス」に対して焦点を絞りました。それぞれ角度を変えた描き方で美神という句材にアプローチしています。あるはずの腕がない、その場所に止まりに来る「秋の蝶」の静けさが良いなあ。場所を指定する「に」の助詞も的確。

《細葉海蘭》さんの句はがらっと毛色が変わってちょっと滑稽な味わい。「美神」=ミロのヴィーナスと断定するだけの材料はないんだけど、もしミロのヴィーナスがこんな風にぼやいてると想像すると愉快。なんで腕ないのよ~、みたいな。「ぼたん鍋」が実に人間くさい取り合わせ。

“ポイント”

ビシュヌには四本の腕蓮の花

坂野ひでこ

ビシュヌ神の肌の空色蔦紅葉

かなかな

ビシュヌ神語る友消ゆ冬北斗

納平華帆

ビシュヌ神はヒンドゥー教の最高神の一つ。宇宙の維持と発展をつかさどる神様です。マニアックな固有名詞ではありますが、小説やゲームとかでは比較的耳にする部類ではあるかな? 《坂野ひでこ》さんや《かなかな》さんの句をみると「ああ、見覚えある」となる人もいるのでは。《納平華帆》さんは実体験? 神話などに詳しいご友人がいらっしゃったのかしら。「冬北斗」が死の喪失を思わせて切ない。
“とてもいい“

ヴィシー・フランス棚曳く霧の苦々し

沼野大統領

全然知らない単語シリーズ。「びし」なのか「ゔぃし」なのか。ビシュヌ神もヴィシュヌと書いたりしますし、Vの音が混じる表記は判断が微妙なとこありますねえ。調べてみるとフランスのヴィシー地方なる土地が出てきました。温泉があり、古くから湯治場として有名とのこと。同時に、第二次世界大戦中にこの町を首都として成立されたヴィシー政権の情報もヒット。わざわざヴィシー・フランスっていうくらいだから後者の意味かなあ。戦争の臭いが燻る「霧」は心理的にも苦々しいに違いない。
“良き”

ビシガル州コーキラン原野を一狐

杏乃みずな

こちらも地名……なんだけど、どこ!? 調べてもいまいちこれぞ! な情報が出てこない……いったいどこのお土地なんだ……。正体はわからないけど、だだっ広い原野にただ一頭の狐が動いていく姿には詩を感じます。
“ポイント”

ビシケクの馬乳酒香る秋の風

ひでやん

馬の乳を発酵させてつくる馬乳酒。中央アジアやモンゴルの遊牧民の文化のイメージで記憶してました。ちょっとすっぱいんですよね、たしか。「ビシケク」はキルギスの首都。キルギスでも馬乳酒は日常的に飲むものらしいです。「秋の風」は一見遊牧の草原を思わせる取り合わせですが、現在のビシケクは発展した近代都市であり、遊牧はあまり行われていないそうです。

“とてもいい“

ビシェフラドのハープの音色外は雪

国東町子

お次はチェコ共和国の「ビシェフラド」(ヴィシェフラド)。プラハにある丘の名前ですが、この句における「ビシェフラド」はスメタナの連作交響詩「我が祖国」の第一曲と考えて良さそうです。ハープの音色で始まる曲ですからね。ということは、この句の場面は今まさに演奏が始まったところなのでしょう。外の雪はこれから徐々に激しさを増していくのかもしれないなあ。豊かな音楽が満ちる室内と、外に募る寒さとの対比が印象的。
“ポイント”

ビショップでチェックメイトや文化の日

碁練者(ごれんじゃー)

ビショップの迷へる一手暖炉燃ゆ

キャロット えり

ビショップへ躊躇ひの指暖炉燃ゆ

三月兎

ビショップのすれ違ひ合ふ夜長かな

鈴白菜実

チェスの駒の「ビショップ」。チェスを句材にした場合、もっともでてきやすい凡人ワードは「さす」だと思う。《碁練者(ごれんじゃー)》さんも、《キャロット えり》さんも、《三月兎》さんも、若干ずらしたところがえらい! 《鈴白菜実》さんは永遠性の描き方が詩的。斜めにしか進めないビショップはずっと同じ色のマスに立ち続けます。なので反対の色に立つ相手のビショップとは同じマスに重なることができないわけですね。すれ違い続けるこの夜長という時間は未来永劫まで続いているのかもしれない、と思慮する人間もまた「夜長」に包まれているのです。深まる秋は人を想念に捕えさせて。

“良き”

微志大志有言実行去年今年

わおち

微志ありて一日一句冬日向

西村小市

この原稿を書いてるの(2024年)12月30日なんですが、こういう句見るといよいよ新しい年がやってくるなあ、って気がします。「微志」はわずかの志、または自分の志をへりくだっていう言葉です。《西村小市》さん、一日一句の志、立派だよ!! 「冬日向」がじんわりと暖かく、がんばりすぎない目標、って感じ。
“良き”

微小なる歯車辞せり流星

ぉ村椅子

これも大志……なのかなあ。解釈は何通りか考えられそう。「わたしはもう社会の小さな歯車であることをやめるぞ!」って決意にも読めるし、逆に職を辞した人間が「わたくしなんて辞めたところでいくらでも代わりのいる微小な歯車にすぎませんよ……」と自嘲しているようにも読める。いずれの場合も「流れ星」が心理的に噛み合うし、映像も確保できる良い取り合わせ。作者にとっての真実はどっちなのかな~。

 

“ポイント”

鼻唇溝に産毛とほくろ千歳飴

爪太郎

鼻唇溝深き魔女来し冬山家

小山美珠

鼻唇溝なくなれなくなれ柚味噌練る

梅田三五

耳慣れない単語だけど、一般的にはほうれい線といわれるアレだそうです。人間いつかは気になるお年頃になっていくもんな……わかるよ……わかる……。並べてみると描き方が三者三様なのが面白いですねえ。率直な描写、連想するキャラクターイメージ、願望とせいいっぱいの抵抗。《梅田三五》さんのまじないのように唱えながら柚味噌練ってる姿、俳諧味あって好きだなあ。

“とてもいい“

鼻示数を測る医学部文化祭

明 惟久里

これも聞き覚えのない単語だなあ……なにかしら鼻に関する数値なんだろうけど「鼻示数」っていったいなに?? 辞書いわく「正面から見た鼻の形を表す示数」、らしい。鼻の幅を鼻の高さで割った数×100のことで、鼻示数が小さいほど正面から見た鼻の形が細長いんですって。数値によって狭鼻、中鼻、広鼻に分類され、日本人はだいたい中鼻~広鼻だそうです。へー。そんなマニアックな計測ができるとは医学部の文化祭、面白そう。

……今ふっと気になったんだけど、鼻が極端に大きい人の話ってあるじゃないですか。芥川龍之介の『鼻』の禅智内供とか。『鼻』の冒頭によれば「長さは五六寸あって上唇の上から顋の下まで下っている。形は元も先も同じように太い。」んですよ? 鼻示数的にはこれってどうなるんだ?? これだけ長いということは鼻の幅÷高さで考えると、禅智内供は狭鼻ってことになるのか??? 気になりすぎる。作中の記載をもとにざっくり計算してみよう。

長さは先述の通り五六寸=約15~18㎝。幅は明確な記述がないけど、弟子が「広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げ」る描写があるから一寸=約3㎝と仮定する。これを式にあてはめると少なく見積もって3÷15×100=20、多く見積もると3÷18×100=16.6。鼻示数47未満が狭鼻だそうですから、文句なしに前人未踏超弩級の狭鼻ですわ。これってトリビアになりませんか?

“ポイント”

微傷未だ疼くを知らず冬銀河

内藤羊皐

はい、鼻の計算はこのくらいにして秀句紹介にいきましょうね。小さな傷に対する肉体的リアリティが魅力です。心理的な傷とも読めるけど、個人的には肉体に刻まれたてのほんの小さな傷だと考えたいなあ。傷としてはまだ無垢な赤子のようなもの。やがて自意識が目覚めていくように「疼き」が生まれ、その力を強くしていくのでしょう。冬銀河の透徹とした冷たさが未生の疼きを今しばらく眠らせて。
“とてもいい“

微震なる海は藍鼠雪もよひ

竹田むべ

「微震」に「海」とくれば、地震と共に明けた2024年へ思いを至らずにいられません。穏やかな波の流転に異物のように加えられる微震。激しいものではなくとも、それがもたらす変化は確実に海をざわめかせるのでしょう。「藍鼠」が海の面を映像化すると共に、雪もよひのどんよりとかき曇る空との対比としてコントラストを生みます。天と海との垂直方向、海原の水平方向と奥行き、いずれをも立体的に捉えた大景。この句を鑑賞していくと、相対する人間のちっぽけさから不安に囚われる人もいるかもしれないなあ。2025年は良き年になりますように。
“良き”

びしびしと柘榴の灯るように穢土

澤村DAZZA

切れの位置をどこだと考えるか多少迷いましたが、最終的には「びしびしと柘榴の」までを一塊と読むのが一番魅力的に思えます。「柘榴の」で意味上の切れをもたせることによって、「灯るように」は柘榴の実りぶりを表す言葉と読めるようになります。「穢土」とはけがれの多いこの世のこと。明かりが灯るように柘榴の硬い外皮が裂け、鮮烈な赤い果肉が露わになっていきます。その生々しさをこの世の汚れのように感じているのかもしれないなあ。これも次回兼題候補にしたかったくらい秀句。
“ポイント”
第36回の出題として選んだ句はこちら。

第36回の出題

ビシソワーズの匙の翳りや桜桃忌

二城ひかる

実は「ビシソワーズ」の句は数多かったのですが、その中でも最も美しく映像化された句を選びました。ジャガイモの冷製ポタージュスープがビシソワーズ。フランスのビシー地方にちなんで名付けられたといわれていますね。器に注がれたぽったりとなめらかなスープの面が見えてきます。裏ごしされたじゃがいもの細かな粒子が見えるようなその面に落ちるうっすらとした匙の翳り。詠嘆も含めて、上五中七の映像化が見事です。取り合わせた「桜桃忌」は小説家・太宰治の忌日。太宰がフランス文学に憧れたことからの取り合わせでもあるでしょうが、しっとりと陰鬱な太宰治文学の世界観と描いた映像とを調和させる見事なチョイスであります。

ということで、最後の二音は「うき」でございます。 

しりとりで遊びながら俳句の筋肉鍛えていきましょう! 
みなさんの明日の句作が楽しいものでありますように! ごきげんよう!

“とてもいい“