第51回「味噌づくり」《ハシ坊と学ぼう!⑫》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
眼鏡曇る母の葱じる祖母の糠漬け
窓 美月
夏井いつき先生より
「私は小学生の頃から眼鏡をかけていたのですが、割と家計が苦しいのは子供ながらに薄々感じていて、眼鏡を買わなきゃいけないことを後ろめたく思っていました。ご飯もおかずは無く、近所に住んでいた祖母が持ってきてくれる糠漬けと母の作る葱しか入ってない味噌汁だけ。葱も糠漬けも嫌いだったのですが言えるはずもなく……いろんな思いで目に涙が溜まるのですが、眼鏡が曇って母には涙は見えてないだろうな……という思い出を詠みました」と作者のコメント。
「眼鏡曇る」は、涙の表現なのですね。お気持は、よく分かりましたが、俳句として読むと「葱汁」の湯気で眼鏡が曇るという状況かと。作者ご自身の思い全てを十七音に詠み込むのは、難しいかもしれませんが、「母の葱汁祖母の糠漬け」というフレーズを心の奥に寝かせておきましょう。ご自身の俳筋力が分厚くなってきた頃に、再度、この句材に挑戦して下さい。
「私は小学生の頃から眼鏡をかけていたのですが、割と家計が苦しいのは子供ながらに薄々感じていて、眼鏡を買わなきゃいけないことを後ろめたく思っていました。ご飯もおかずは無く、近所に住んでいた祖母が持ってきてくれる糠漬けと母の作る葱しか入ってない味噌汁だけ。葱も糠漬けも嫌いだったのですが言えるはずもなく……いろんな思いで目に涙が溜まるのですが、眼鏡が曇って母には涙は見えてないだろうな……という思い出を詠みました」と作者のコメント。
「眼鏡曇る」は、涙の表現なのですね。お気持は、よく分かりましたが、俳句として読むと「葱汁」の湯気で眼鏡が曇るという状況かと。作者ご自身の思い全てを十七音に詠み込むのは、難しいかもしれませんが、「母の葱汁祖母の糠漬け」というフレーズを心の奥に寝かせておきましょう。ご自身の俳筋力が分厚くなってきた頃に、再度、この句材に挑戦して下さい。


床の間に麦麹と雑魚寝霜枯
凛絆
夏井いつき先生より
「鹿児島で麹味噌を作る際に、発酵のため、家の床の間に敷き詰められていた光景です」と作者のコメント。
「霜枯」という季語がとってつけた感じになっています。この床の間のある座敷に広げられた光景を描写するだけで、「味噌作る」という季語の現場が描けるのではないでしょうか。
「霜枯」という季語がとってつけた感じになっています。この床の間のある座敷に広げられた光景を描写するだけで、「味噌作る」という季語の現場が描けるのではないでしょうか。


味噌作りまくる自涜をしたくなる
岡根喬平
夏井いつき先生より
「味噌を沢山作った人の性欲が増加する光景を詠みました。私は食欲と性欲には相関関係があると考えております。生まれた場所が異なる食材を混ぜるという行為は交媾と似ていると思いました」と作者のコメント。
味噌作りと性欲の科学的な関係性については、知識がないのですが、詩として考えた時に、その取り合わせに挑もうとする意欲は買いたいと思います。ただ、この字面では、詩としての純度に食い足りない部分があります。「~まくる~したくなる」が無駄にがさついている感じです。言葉の質量のバランスを通して、詩の純度について考えてみて下さい。
味噌作りと性欲の科学的な関係性については、知識がないのですが、詩として考えた時に、その取り合わせに挑もうとする意欲は買いたいと思います。ただ、この字面では、詩としての純度に食い足りない部分があります。「~まくる~したくなる」が無駄にがさついている感じです。言葉の質量のバランスを通して、詩の純度について考えてみて下さい。


味噌玉の叩っきつけて鬼ばあば
まちばり
夏井いつき先生より
上五の助詞「の」は、一考すべきかと。
上五の助詞「の」は、一考すべきかと。


鶏団子鍋へ檸檬の絞りたり
すそのあや
夏井いつき先生より
「レモンを十個頂き、塩レモンを熟成中です。鶏だしの鍋に入れれば、めちゃくちゃ美味になるそうで楽しみです」と作者のコメント。
助詞「の」は、要一考です。
「レモンを十個頂き、塩レモンを熟成中です。鶏だしの鍋に入れれば、めちゃくちゃ美味になるそうで楽しみです」と作者のコメント。
助詞「の」は、要一考です。


味噌玉を流しに溢す五個おじゃん
オアズマン
夏井いつき先生より
下五「おじゃん」という俗な言葉が悪いわけではないのですが、「味噌玉」を「五個」もダメにしてしまったという事実を描写することに徹してみてはどうでしょう。それを読んだ読者は、おじゃんにしちゃったんだな、という感想を持ってくれるはずです。
下五「おじゃん」という俗な言葉が悪いわけではないのですが、「味噌玉」を「五個」もダメにしてしまったという事実を描写することに徹してみてはどうでしょう。それを読んだ読者は、おじゃんにしちゃったんだな、という感想を持ってくれるはずです。


縄文の澄ましの椀や雉の骨
早霧ふう
夏井いつき先生より
「第45回『ニースの塩』〈秋麗椀に盛られし海と山〉の推敲です。縄文時代、基本の味付けは塩。食後の椀に残った肉の骨を表現したかったです。魚は焼いて食べたようです」と作者のコメント。
「縄文」という言葉を直接使ってみようというのは、一つのアイデアです。ただ、「縄文の澄ましの椀や」という措辞で、どこまで受け止めてもらえるかというのは、未知数。作者コメントの中に、「塩」という情報がありますが、「縄文の塩」という言葉を使うと、理解してもらいやすいかもしれません。
「第45回『ニースの塩』〈秋麗椀に盛られし海と山〉の推敲です。縄文時代、基本の味付けは塩。食後の椀に残った肉の骨を表現したかったです。魚は焼いて食べたようです」と作者のコメント。
「縄文」という言葉を直接使ってみようというのは、一つのアイデアです。ただ、「縄文の澄ましの椀や」という措辞で、どこまで受け止めてもらえるかというのは、未知数。作者コメントの中に、「塩」という情報がありますが、「縄文の塩」という言葉を使うと、理解してもらいやすいかもしれません。


寂寞の厨の鍋と柚子の香
天上たこ
夏井いつき先生より
「第48回『鍋一杯の柚子ジャム』ハシ坊の〈主なき柚子ジャム作りし鍋ぽつん〉の推敲句です。季語の鮮度をどう保つか難しいとの事だったので、誰もいない実家の鍋を見て思いついた句なので、そちらにシフトして直してみました。季語の鮮度は上がったと思うのですが……」と作者のコメント。
中七下五に工夫のあとがみえます。下五を五音にするには、「香」は「こう」と読ませるのでしょうか。「厨の鍋と柚子の香(か)と」とするのも一手かと思います。こうなってくれば、残りは上五の仕上げですね。「寂寞の」はちょっとカッコ良すぎるかも。理想的には、「○○○○や」と切れを入れると、句の姿は立ってきます。
「第48回『鍋一杯の柚子ジャム』ハシ坊の〈主なき柚子ジャム作りし鍋ぽつん〉の推敲句です。季語の鮮度をどう保つか難しいとの事だったので、誰もいない実家の鍋を見て思いついた句なので、そちらにシフトして直してみました。季語の鮮度は上がったと思うのですが……」と作者のコメント。
中七下五に工夫のあとがみえます。下五を五音にするには、「香」は「こう」と読ませるのでしょうか。「厨の鍋と柚子の香(か)と」とするのも一手かと思います。こうなってくれば、残りは上五の仕上げですね。「寂寞の」はちょっとカッコ良すぎるかも。理想的には、「○○○○や」と切れを入れると、句の姿は立ってきます。


大雪や味噌汁6つ屋根の下
星の砂
夏井いつき先生より
「大雪で学校も休校になり、久しぶりに家族全員で味噌汁を飲んだことを詠みました。ただ、不完全燃焼な感じで終わりました」と作者のコメント。
なるほど、そういう場面なのですね。だとすると、「大雪や」のあとに「味噌汁六つ」(漢数字が基本です)とくれば、屋内かと想像しますので、下五が損です。再考してみましょう。
「大雪で学校も休校になり、久しぶりに家族全員で味噌汁を飲んだことを詠みました。ただ、不完全燃焼な感じで終わりました」と作者のコメント。
なるほど、そういう場面なのですね。だとすると、「大雪や」のあとに「味噌汁六つ」(漢数字が基本です)とくれば、屋内かと想像しますので、下五が損です。再考してみましょう。


露の玉底に残るは味噌麹
ヒロヒ
夏井いつき先生より
「『方丈記』の 『あるいはつゆおちてはなのこれり。』 をモチーフにして、俳句を作ってみました。 当初は、〈露の玉底に残れり味噌麹〉としましたが、『残れり』が終止形らしく、下五『味噌麹』が『残れり』からの倒置法として成立するのかしないのか、がわかりませんでした。そこで、『残れり』としたいところを我慢して『残るは』としました」と作者のコメント。
作者の意図に添わせるならば、中七は「残れる」と連体形にすれば、ひとまず通じます。ただ、上五「露の玉」が主役としてどこまで機能するか、肝心のその点に多少の不安はあります。
作者の意図に添わせるならば、中七は「残れる」と連体形にすれば、ひとまず通じます。ただ、上五「露の玉」が主役としてどこまで機能するか、肝心のその点に多少の不安はあります。


虎落笛湯気のたちをり根来椀
琥幹
夏井いつき先生より
「味噌からストレートの発想で味噌汁、それを入れる器を詠みました。先生の『俳句は映像』を肝に命じ、少し大ぶりのお椀・根来椀からたっぷりの具入りの熱い味噌汁からの湯気の様子、そして季語は、寒い外の様子から『虎落笛』を選びました。工夫は湯気の緩やかさを出したく『たちをり』をひらがな表記にしてみました」と作者のコメント。
しっかりと映像を書こうと意識していることは伝わりますね。上五「虎落笛」は名詞ですが、ここに意味の切れ目がありますね。更に、中七「~たちをり」は終止形で切れます。湯気が立っているのは「根来椀」でしょうから、「湯気のたちをる」と連体形にすれば、人選です。
「味噌からストレートの発想で味噌汁、それを入れる器を詠みました。先生の『俳句は映像』を肝に命じ、少し大ぶりのお椀・根来椀からたっぷりの具入りの熱い味噌汁からの湯気の様子、そして季語は、寒い外の様子から『虎落笛』を選びました。工夫は湯気の緩やかさを出したく『たちをり』をひらがな表記にしてみました」と作者のコメント。
しっかりと映像を書こうと意識していることは伝わりますね。上五「虎落笛」は名詞ですが、ここに意味の切れ目がありますね。更に、中七「~たちをり」は終止形で切れます。湯気が立っているのは「根来椀」でしょうから、「湯気のたちをる」と連体形にすれば、人選です。


習わしを伝えむとして木の芽和え
安久愛 海
夏井いつき先生より
「祖母や母から教わった木の芽和え、孫の代にも伝えねば、と作りますが、筍も木の芽も高価になって、毎年、年に一度くらいになりました。『む』という助動詞を調べると、『意志、希望』を表すには 『め』となるようですが、俳句に『伝えめ』とするのか迷って、『伝えむ』としましたが、どうなのでしょうか。」と作者のコメント。
「伝え」という動詞が説明になっています。「習わし」の一語があれば、不要でしょう。更にいうと、「習わし」と書かなくても、そうなのだろうなと読者が感じ取ってくれるような表現が、いずれできるよう、俳筋力を少しずつ身につけていきましょう。
「祖母や母から教わった木の芽和え、孫の代にも伝えねば、と作りますが、筍も木の芽も高価になって、毎年、年に一度くらいになりました。『む』という助動詞を調べると、『意志、希望』を表すには 『め』となるようですが、俳句に『伝えめ』とするのか迷って、『伝えむ』としましたが、どうなのでしょうか。」と作者のコメント。
「伝え」という動詞が説明になっています。「習わし」の一語があれば、不要でしょう。更にいうと、「習わし」と書かなくても、そうなのだろうなと読者が感じ取ってくれるような表現が、いずれできるよう、俳筋力を少しずつ身につけていきましょう。


味噌作るいっぱい育てよ善玉菌
かおるやま
夏井いつき先生より
中七が標語のような感じになっています。俳句は描写。味噌玉のどんな様子に「善玉菌」を感じるのか。そのあたりから考えてみましょう。
中七が標語のような感じになっています。俳句は描写。味噌玉のどんな様子に「善玉菌」を感じるのか。そのあたりから考えてみましょう。


味噌玉の梁の合間を風の過ぐ
ひな野そばの芽
夏井いつき先生より
「子どもの頃、我が家では、味噌を作るのは雪が溶けてからでした。蒸気とか、座敷いっぱいに広げた大豆に広げる糀の匂いとか、被せた茣蓙の上で昼寝する仔猫とか、ものすごくたくさんの風景が浮かぶのですが、あんまりたくさんすぎて、何を題材にしたらよいかわからない状態です。やぶれかぶれです。味噌玉は子どもだった私の頭よりも大きくて、小屋の梁からいっぱい下がっていて、隙間から入ってくる風は五月の風です。私の記憶では」と作者のコメント。
こういう体験をもっていること自体が、俳人としての宝です。焦らず、月日をかけてゆっくりと切り取っていきましょう。まずは、この一句の「風」の感じいいですね。表現として、「梁の間を風」と書けば、合間であり、過ぎるのだということは伝わります。あの時の「風」の感じを、体験してない人にも伝わるように書く。その描写を工夫していきましょう。今は、思うように書けなくても、次第に俳筋力が身についていけば、軽々と表現できる日がやってきます。
「子どもの頃、我が家では、味噌を作るのは雪が溶けてからでした。蒸気とか、座敷いっぱいに広げた大豆に広げる糀の匂いとか、被せた茣蓙の上で昼寝する仔猫とか、ものすごくたくさんの風景が浮かぶのですが、あんまりたくさんすぎて、何を題材にしたらよいかわからない状態です。やぶれかぶれです。味噌玉は子どもだった私の頭よりも大きくて、小屋の梁からいっぱい下がっていて、隙間から入ってくる風は五月の風です。私の記憶では」と作者のコメント。
こういう体験をもっていること自体が、俳人としての宝です。焦らず、月日をかけてゆっくりと切り取っていきましょう。まずは、この一句の「風」の感じいいですね。表現として、「梁の間を風」と書けば、合間であり、過ぎるのだということは伝わります。あの時の「風」の感じを、体験してない人にも伝わるように書く。その描写を工夫していきましょう。今は、思うように書けなくても、次第に俳筋力が身についていけば、軽々と表現できる日がやってきます。


粗漉しに豆残したる味噌作る
常然
夏井いつき先生より
「手作りならではの、大豆を潰しきらない味噌を毎年仕込んでいます。類想覚悟で直球です」と作者のコメント。
直球勝負、悪くないと思います。一物仕立ては、描写の精度が全て。中七の「~残したる」の部分を、より映像的に描写できると、人選です。
「手作りならではの、大豆を潰しきらない味噌を毎年仕込んでいます。類想覚悟で直球です」と作者のコメント。
直球勝負、悪くないと思います。一物仕立ては、描写の精度が全て。中七の「~残したる」の部分を、より映像的に描写できると、人選です。

