第51回「味噌づくり」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
地
第51回
味噌󠄀小屋の扉ずしりとお元日
平本魚水
一家が一年中使う味噌が仕込まれている小屋でしょうか。その扉をずしりと開き、まずは蔵の神様に一礼する光景が、自ずと想像されました。「ずしり」の一語の手ごたえもそのまま、読者の手に伝わってきます。
味噌蔵から、お雑煮のための味噌を取り出し、「お元日」の朝が始まります。一家の変わらぬ流儀が脈々と続けられていた頃の、旧家の記憶かもしれません。
泡立器に愛の日の味噌ひねりとる
千夏乃ありあり
かつては、味噌漉し器という道具があり、極小の擂り粉木みたいなので味噌を溶いておりましたよ。が、小ぶりの泡立て器で味噌を計量しつつ、そのままお玉の中で溶かせる! そんな便利グッズがあることを、今、知りました。「愛の日の味噌」とまで書いているのですから、減塩が必要な家族のための味噌汁かもしれません。「ひねりとる」の複合動詞もまたお見事な配慮でございます。
味噌玉の歪を叩きつけて黙
王朋亡
味噌作りも味噌玉も知らない人たちは、YouTube吟行に賭けたようで、味噌樽の内壁に味噌玉を叩きつけて空気を抜く場面を詠んだ句が多数寄せられました。
この句の工夫は「味噌玉」を叩きつけるのではなく、「味噌玉の歪」を叩きつけると描写した点。味噌玉の形もありありと想像できる一句になりました。叩きつけられた味噌玉は、更にぎゅうぎゅうと均されていきます。「黙」の一語は、その映像も示唆しているような味わいです。
味噌搗や老いの力を使ひ切り
前田冬水
茹で上がった大豆、あるい蒸し上がった大豆を潰します。私の祖母が一家の恒例行事として味噌作りをしていた頃は、豆ミンサーの原始的なヤツが使われていましたが、それが導入される以前は臼で搗いておりました。これがまさに「味噌搗」ですね。
一族郎党に指示を飛ばしつつ始まった味噌作りですが、「味噌搗」の段階で、「老いの力」を使い切ってしまったよ。「使い切り」のあとの余白に、トホホな気分も漂うユーモアの一句となりました。
火山弾めける味噌玉ゐならびぬ
渋谷晶
「火山弾」とは、噴出されたマグマが、飛行中にかたまったもの。楕円や紡錘など色んな形があるのだそうです。
光景としては、味噌玉が並んでいるだけなのですが、両手でペタペタ丸めたそれらの形が「火山弾」みたいだと思いついたのです。この後、この火山弾は味噌樽の内壁に向かって、渾身の力で叩きつけられます。その様子も含めて「火山弾めける」という比喩が生まれたのかもしれません。とはいえ、今は、嵐の前の静けさ。ただただそこに「ゐならびぬ」なのです。
白味噌の雑煮覚えて離縁せり
藤原朱夏
関西の白味噌は上品な甘さが特徴です。我が家も大阪出身の夫と再婚してからは、元日は白味噌、二日はおすましのお雑煮を頂くようになりました。あまり馴染みのなかった白味噌の味わいをしってからは、毎年の楽しみにもなりました。
が、掲出句はその逆パターン。「白味噌の雑煮」の美味しさを覚えてからの離縁なのです。「離婚」ではなく「離縁」という言葉は、堅固な家制度が幅を利かせていた時代を思わせ、「離縁せり」という言い切りから、ある程度の時間が経っての思い出話のようなニュアンスも感じとれます。そして、今も毎年婚家で覚えた「白味噌」のお雑煮を味わっているのでしょう。
一箆に小春を味噌の量り売り
安田伝助
篦で掬い取って量り売りをする味噌屋の店先です。「一篦」に掬い取ったのは味噌ですが、季語「小春」をこの位置に入れることで、「一箆に小春を」掬い取ったのか? という詩的ヒネリが入るのが、この作品の工夫であり、面白さでもあります。いやいや「味噌の量り売り」ですよ、という謎解きもまた、楽しい一句となりました。
豆一斗炊く大寒の湯気甘し
多数野麻仁男
「豆一斗」という単位から始まる一句。大きな釜からは、今、濛々たる湯気が立ち上っています。「湯気甘し」は、大豆の甘い匂いであり、湯気そのもののあたたかい匂いでもあるのでしょう。
「大寒」という季語が、中七のこの位置におかれたことで、「豆一斗炊く」日の寒気を思わせつつ、大寒の冷たい水が湯となっていく途中の「湯気」や、そこから立ち上る匂いまでもを想像させる仕掛けになっています。
寒味噌や釜に明るき富士のみづ
三浦海栗
大きな釜には、水が張ってあります。これから、味噌仕込みのための大豆を煮るのです。そこに湛えられているのは、富士山の湧き水でしょうか。「富士のみづ」に対する「明るき」の一語が、のびのびとした気持ちのよい調べを作り、「寒味噌」の「寒」の一字とも響き合う感触の作品です。
大豆まだ正義の硬さ味噌仕込む
蜘蛛野澄香
「味噌仕込む」作業は、大豆を一昼夜水に浸し、煮る或いは蒸すところから始まります。味噌作りの場合は、親指と小指で挟んでつぶれるぐらいというのが一般的な目安ですが、大鍋の大豆は、まだそこまで柔らかくなっていないのです。その状態を、「正義の硬さ」と比喩したのが一句の眼目。正義正論が身を固める若さもよいけれど、酸いも甘いも知っての柔らかさが、味噌には似合うのだよという言外の寓意も読み取れそうな作品です。