第53回「火の山公園のチューリップ」《ハシ坊と学ぼう!③》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
赤白と園児の声待つ球根芽
和平
「ものの芽」という季語があります。歳時記を開いてみると、更に様々な季語と出会えますよ。


バス停のチューリップさやか初登園
居酒屋親父
「さやか」は、初登園の子どもの名前? そうではないということならば……「さやか」は秋の季語です。さて、どっちなのだろう?


兄の背や夕焼けチャイム沁む日永
唯野音景楽
「子供は7つ違いの兄弟です。公園まで迎えに行きながら様子を見ると、弟は兄を追いかけだいぶ遊んだのでしょう。もう兄の背中で眠そうにしていました。日が稜線に近付き、夕焼けチャイムのドボルザークが風に乗って聞こえていました。上の子供を労い替わり、気づけば日は長く穏やかでした。兼題写真から、子供達が小さかった頃をいろいろ思い出して作句しました」と作者のコメント。
「夕焼チャイム」は、おうちに帰る時間ですよというチャイムだとは分かるのですが、「夕焼」が夏の季語なので、最後にでてくる春の季語「日永」が、気になります。


チューリップといふ天国への風船
コンフィ


天辺の風船仰ぐチューリップ
樋ノ口一翁
「『天辺(てんぺん)』」と読みます。風船を遠景にすることで、季重なりを回避しようという試みです」と作者のコメント。
やろうとしている試みは分かります。語順を一考してみましょう。


雀まだ蛤ならず啼く小春
ヒロヒ
「第50回『雪の赤れんが庁舎』《地》〈童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日卵子きらきら凍結す〉の季語の長さには、びっくりしました。前日に私の俳句、第50回『雪の赤れんが庁舎』《人》〈配牌や雀大水に入り蛤となる〉が発表されたタイミングでしたので、やられた感がありました。その気持ちを俳句にしました」と作者のコメント。
俳句は、常にケースバイケース。長い季語を使いこなすには、かなりの俳筋力が必要です。お気持ちは分かりますが、この句は機知に走り過ぎてしまいました(苦笑)。


好きな色に咲けれしか赤チューリップ
パキラ
「自分の好きな色に咲くことができたのか? と表現したかったのですが、古文の文法を教えて下さい。『し』は過去形、『か』は軽い疑問形でしょうか。『咲けれ』でいいのでしょうか?」と作者のコメント。
作者の表現したかったニュアンス「咲くことができたのか」は、可能の助動詞「る」を使うと表現できるのではないかと。動詞「咲く」は、四段活用。可能の助動詞に接続するのは未然形ですから、「咲かれしか」かな。とはいえ、上五が「好きな色」と口語表現になっているのが多少気になります。(作者の表現意図として、文語と口語が混用される場合も、無きにしも非ずですが。)文語でしたら「好きなり」が形容動詞の終止形ですので、連体形は「好きなる」になります。更なる老婆心ですが、「咲ける」を可能動詞として使っているのかも、とも疑えます。
*参考「可能動詞」
五段(四段)活用の動詞が下一段活用に転じて可能の意味を持つようになったもの。「読める」「書ける」「言える」などの類で、中世末期頃からみられる。命令形はない。現在では五段(四段)活用以外の動詞も「見れる」「来れる」「食べれる」「起きれる」などの形をとることがあり、これらを含めていうこともある。発生については諸説があり、明らかではない。


チューリップ畑がアートサザエさん
碁練者(ごれんじゃー)
「豊岡市但東町のたんとうチューリップまつり。毎年、畑一面のチューリップで描かれた絵が楽しませてくれます。宇宙戦艦ヤマト、サザエさん、ペコちゃん等々。今年はどんな絵で楽しませてもらえるか」と作者のコメント。
中七「畑がアート」が説明の言葉になっています。俳句は描写です。


海鳴りや海峡つなぐチューリップ
一石渓流
「火の山公園は関門海峡を望む丘にあります。チューリップは、国花でもあるトルコから友好親善のため送られてきたもので、ボスポラス海峡のあるイスタンブールと関門海峡のある下関は海峡の縁で姉妹都市となっています。火の山公園には戦艦大和の砲弾も飾られ、眼下の関門海峡では、古くは壇ノ浦合戦もあり、思いを馳せればきれいな公園と裏腹に、玄界灘の荒波と共に歴史の悲劇が海鳴りとなって聞こえてくるような場所です」と作者のコメント。
「海鳴り」と「チューリップ」の取り合わせは良いですね。ただ中七「海峡つなぐ」が、「ボスポラス海峡のあるイスタンブールと関門海峡のある下関は海峡の縁で姉妹都市となっています」という意味だと読み解くことは、難しい。なぜなら、この中七は説明の言葉になっているけれど、十分に説明できる音数がないのです。俳句は、説明するにはあまりにも短すぎます。ですから、描写によって映像を描くことを目指すのです。


桑の香のあふるる籠の墓地行けり
桃圓
「金子みすゞの詩集からヒントを得ました」と作者のコメント。
金子みすゞの詩に「繭と墓」というのがあるようですが、そこからのヒントでしょうか。詩に限らず、誰かの作品を発想のジャンピングボードとする場合は、その内容をなぞるだけではダメで、そこに作者独自の新しい要素を加える必要があります。が、ひとまずここでは、投句の技術的な部分のみのアドバイス。「桑の香」をもう少しクローズアップすると、一句の調べも引き締まります。
添削例
桑の香のあふるる籠や墓地を行く


外れかけ凭れあふなりチューリップ
せんかう
観察眼、目の付け所はとても良いですね。実は、チューリップの名句で〈チューリップ花びら外れかけてをり 波多野爽波〉があります。描写に徹するとは、こういう句を指します。この先行句を越えてこその一句とはなりますが、中七「凭れあふなり」の描写の精度が更にあがるとよいのですが。


野遊びや靴紐替えしスニーカー
渥美 謝蕗牛


ほどけゆく花びら春コートに風
南全星びぼ


二人きり粉雪轍消してゆく
花花車
兼題写真は、あくまでも発想のジャンピングボードですから、「写真とかけ離れて」ということは気にする必要はありせん。この句は、並選は確保できています。語順を一考してみましょう。

