第53回「火の山公園のチューリップ」《ハシ坊と学ぼう!⑩》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
復興へ荒地に植えるチューリップ
猪子石ニンニン
夏井いつき先生より
「復興」という言葉と「チューリップ」の取り合わせは、よいですね。「荒地に植える」は推敲の余地のある中七。推敲の方向性にもよりますが、「球根植う」という季語のほうが効果的になる可能性もあります。
「復興」という言葉と「チューリップ」の取り合わせは、よいですね。「荒地に植える」は推敲の余地のある中七。推敲の方向性にもよりますが、「球根植う」という季語のほうが効果的になる可能性もあります。


チューリップ喧嘩別れの帰路に咲く
砂芽里
夏井いつき先生より
植物の季語は、基本的には咲いている時期が季語となっているので、「チューリップ」とあれば(特別な意図がない限り)「咲く」は不要です。「~に咲く」、残り三音をブラッシュアップすれば、人選に手が届きます。


冬日向暖とる猫の腹白し
はなハチコ
夏井いつき先生より
「冬日向」とあり、「猫の腹」とあれば、「暖とる」と説明しなくても、猫の様子は想像できます。
「冬日向」とあり、「猫の腹」とあれば、「暖とる」と説明しなくても、猫の様子は想像できます。


蒼天に青を秘めたるチューリップ
竹庵
夏井いつき先生より
上五の助詞「に」、中七の動詞「秘め」、この二点に推敲の余地があります。


海峡にいにしえの里チューリップ
青山楽夢
夏井いつき先生より
「海峡」とは、陸と陸とのあいだにはさまれて、海の幅の狭くなったところ。その「海峡に~里」があるという位置関係? 地形? を疑問に思いましたが……。
「海峡」とは、陸と陸とのあいだにはさまれて、海の幅の狭くなったところ。その「海峡に~里」があるという位置関係? 地形? を疑問に思いましたが……。


頂上より烽火一面のチューリップ
わおち
夏井いつき先生より
「『火の山公園』の名は、かつて山頂にのろし台が設けられていたことに由来しますので、それを現在に重ねて詠みました。『一面』の後は『の』か『に』か最後まで悩みました」と作者のコメント。
過去の光景と、現在の光景を一句に表現するのは、かなり高度なミッション。自句を例にとるのは手前味噌ではありますが……
〈かつて龍でありし山ざくらと聞きぬ〉
この場合は、「かつて」という副詞、「し」という助動詞を使いつつ、下五を「聞きぬ」とダメ押ししました。今回の「烽火」と「チューリップ」の取り合わせを、どう実現させるか。少々時間をかけて再考してみましょう。
「『火の山公園』の名は、かつて山頂にのろし台が設けられていたことに由来しますので、それを現在に重ねて詠みました。『一面』の後は『の』か『に』か最後まで悩みました」と作者のコメント。
過去の光景と、現在の光景を一句に表現するのは、かなり高度なミッション。自句を例にとるのは手前味噌ではありますが……
〈かつて龍でありし山ざくらと聞きぬ〉
この場合は、「かつて」という副詞、「し」という助動詞を使いつつ、下五を「聞きぬ」とダメ押ししました。今回の「烽火」と「チューリップ」の取り合わせを、どう実現させるか。少々時間をかけて再考してみましょう。


ぴよこたこと花菜の柵に沿うて来む
水きんくⅡ
夏井いつき先生より
「ぴよこたこ」はオノマトペ? 何が「花菜の柵」にそうて歩いているのか、そこが知りたい気もします。最後の「来(こ)む」という措辞が、このニュアンスでよいのかどうか、読み手としては悩みます。
「ぴよこたこ」はオノマトペ? 何が「花菜の柵」にそうて歩いているのか、そこが知りたい気もします。最後の「来(こ)む」という措辞が、このニュアンスでよいのかどうか、読み手としては悩みます。


生真面目に真っ直ぐに茎チューリップ
桐山はなもも
夏井いつき先生より
「第47回『コスモスと浅間山』では、『コスモス』にも『浅間山』にも全く関係のない別の物に発想が飛んでしまったので、今回は『チューリップ』に向き合ってみようと思った次第です」と作者のコメント。
季語と真正面から向き合うのは、とても大事な俳句の筋トレです。
チューリップの茎に注目する視点もよいですね。語順を少し変えてみますか。
添削例
真っ直ぐな茎生真面目なチャーリップ
「第47回『コスモスと浅間山』では、『コスモス』にも『浅間山』にも全く関係のない別の物に発想が飛んでしまったので、今回は『チューリップ』に向き合ってみようと思った次第です」と作者のコメント。
季語と真正面から向き合うのは、とても大事な俳句の筋トレです。
チューリップの茎に注目する視点もよいですね。語順を少し変えてみますか。
添削例
真っ直ぐな茎生真面目なチャーリップ


五十円呑み走るパンダやチューリップ
小鉢
夏井いつき先生より
「呑み」と擬人化すると、そこが悪目立ちしてしまいます。こういう時は、素直に書くのが一番です。
添削例
五十円で走るパンダやチューリップ
「呑み」と擬人化すると、そこが悪目立ちしてしまいます。こういう時は、素直に書くのが一番です。
添削例
五十円で走るパンダやチューリップ


Oh!とうたい揺れるデモ隊チューリップ
青井季節
夏井いつき先生より
「デモ隊」と「チューリップ」の取り合わせならば、イケると思いますが、「チューリップ」を「デモ隊」と擬人化したのならば……イマイチ。前半の描写を再考してみましょう。
「デモ隊」と「チューリップ」の取り合わせならば、イケると思いますが、「チューリップ」を「デモ隊」と擬人化したのならば……イマイチ。前半の描写を再考してみましょう。


鬱金香今年も傍に瑠璃の君
横須賀うらが
夏井いつき先生より
「チューリップの隣に咲いているネモフィラ、こぼれ種で毎年瑠璃色を見せてくれます。花壇の相性としてはバッチリだと思います」と作者のコメント。
「瑠璃の君」=ネモフィラだとは、読み取れません。比喩の表現で、恋人を指しているのか? と思いました。植物ならば、中七「今年も傍に」が説明になってしまいます。
「チューリップの隣に咲いているネモフィラ、こぼれ種で毎年瑠璃色を見せてくれます。花壇の相性としてはバッチリだと思います」と作者のコメント。
「瑠璃の君」=ネモフィラだとは、読み取れません。比喩の表現で、恋人を指しているのか? と思いました。植物ならば、中七「今年も傍に」が説明になってしまいます。


定年や児折し束のチューリップ
パト子
夏井いつき先生より
「児折し束」とは? 子どもがチューリップを切って花束にしてくれたということでしょうか。少々表現が乱暴かもしれません。
「児折し束」とは? 子どもがチューリップを切って花束にしてくれたということでしょうか。少々表現が乱暴かもしれません。


牡丹雪ふぶけど花の凛と在り
迦楼羅(かるら)
夏井いつき先生より
「〈牡丹雪ふぶけど梅花凛と在り〉としたかったのですが、『牡丹雪』も『梅』も、季節こそ違えどともに季語。季重なりについての考え方をご教授頂けると有り難いです。また以前〈柚餅子蒸す晩秋の村なお寂静〉と投句した際、『柚餅子』が季語ゆえの季重なりとのご指摘を頂きました。その時使った角川書店編『合本 俳句歳時記 新版 』には、『柚餅子』が季語として挙がっておらず……。ご教授お願い申し上げます」と作者のコメント。
梅を描きたかったのですね。「花」は「桜」を意味しますので、この場合「花」と言い換えても季重なりであることは変わりません。季重なりは、やってはいけないタブーではなく、ウルトラ技です。「梅」の咲く頃に雪が降ることは、間々あることですから、その光景を描きたい場合は、季重なりに挑んでいただいて結構です。ただ、それぞれの季語の比重を考えつつ、バランスをとることが必須。
例えばこの句を作者の最初の意図通り〈牡丹雪ふぶけど梅の凛と在り〉としたとしても、問題点は幾つかあります。
①「牡丹雪」と「梅」どちらが主役の季語なのか、分かり難い。
②「梅」という植物に対して、「凛と在り」はありがちな表現。
まずは、この二点をクリアすることから考察を始めて下さい。
「〈牡丹雪ふぶけど梅花凛と在り〉としたかったのですが、『牡丹雪』も『梅』も、季節こそ違えどともに季語。季重なりについての考え方をご教授頂けると有り難いです。また以前〈柚餅子蒸す晩秋の村なお寂静〉と投句した際、『柚餅子』が季語ゆえの季重なりとのご指摘を頂きました。その時使った角川書店編『合本 俳句歳時記 新版 』には、『柚餅子』が季語として挙がっておらず……。ご教授お願い申し上げます」と作者のコメント。
梅を描きたかったのですね。「花」は「桜」を意味しますので、この場合「花」と言い換えても季重なりであることは変わりません。季重なりは、やってはいけないタブーではなく、ウルトラ技です。「梅」の咲く頃に雪が降ることは、間々あることですから、その光景を描きたい場合は、季重なりに挑んでいただいて結構です。ただ、それぞれの季語の比重を考えつつ、バランスをとることが必須。
例えばこの句を作者の最初の意図通り〈牡丹雪ふぶけど梅の凛と在り〉としたとしても、問題点は幾つかあります。
①「牡丹雪」と「梅」どちらが主役の季語なのか、分かり難い。
②「梅」という植物に対して、「凛と在り」はありがちな表現。
まずは、この二点をクリアすることから考察を始めて下さい。


チューリップ単語分解にやけ顔
恵翠
夏井いつき先生より
「英語を習い分解したら、チューとリップと色々知りたい年頃の赤裸々な思い出です」と作者のコメント。
「チューリップ」でのこのオチは、よくあるパターンではありますが、最も改善の余地があるのが下五「にやけ顔」。ここの展開によっては、起死回生の可能性がなくはない。全体の調べがブツブツ切れているのも気になります。
「英語を習い分解したら、チューとリップと色々知りたい年頃の赤裸々な思い出です」と作者のコメント。
「チューリップ」でのこのオチは、よくあるパターンではありますが、最も改善の余地があるのが下五「にやけ顔」。ここの展開によっては、起死回生の可能性がなくはない。全体の調べがブツブツ切れているのも気になります。


桜五分雑巾までも子の名前
瑞風
夏井いつき先生より
「桜五分」と「雑巾」の取り合わせ、佳いですね。惜しいのは「までも」という表現。こう書きたいお気持ちは重々分かるのですが、やはり散文的な表現。「までも」と書かなくても、季語の力と「雑巾に子の名」が書かれているという映像があれば、他にも沢山のモノに子供の名前を書いたんだろうなと、読者はちゃんと想像してくれます。「までも」を外して、音数を整えてみましょう。
「桜五分」と「雑巾」の取り合わせ、佳いですね。惜しいのは「までも」という表現。こう書きたいお気持ちは重々分かるのですが、やはり散文的な表現。「までも」と書かなくても、季語の力と「雑巾に子の名」が書かれているという映像があれば、他にも沢山のモノに子供の名前を書いたんだろうなと、読者はちゃんと想像してくれます。「までも」を外して、音数を整えてみましょう。

