第37回 俳句deしりとり〈序〉|「っと」③

始めに
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。


第37回の出題
兼題俳句
囚人齧る人日のビスケット さく砂月
兼題俳句の最後の二音「っと」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「っと」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
っと降りる蜘蛛を払いて布団干し
チョコ婆
っと肩へ野猿のやうな子猫です
中島 紺
っと手に取るや正月の輪島塗
飛来 英
っと指揮棒幕上がる秋の定演
花豆
っと弾き始む早春の大ホール
千夏乃ありあり
《花豆》さんと《千夏乃ありあり》さんはクラシック音楽の現場。演奏が始まる前のスッと指揮者が構えた瞬間の緊張感とか、最初の一音目が迸り始める直前の空気って良いよねえ。個人的には生演奏の鑑賞は数える程しか経験ないけど、ありありと思い浮かびます。
どの例も秀逸なんだけど、共通体験のない人にとってはどれだけ真に迫るか? 気になるところではあります。


っとっととアウフタクトの春の水
水きんくⅡ
ットッタッとマズルカ弾くや春愉し
コミマル


ットーンと仕事納のエンターキー
ぞんぬ


っとんからり君織る帯や星祭
夜汽車


っととつと薄氷息を吐き出せり
内藤羊皐
っとんっとん氷柱のなじむあかるき日
葦屋蛙城
っとメダマ土かき分けて春覗く
徳佐津麻似合
っとぬっと春の泥なら進もうよ
杏乃みずな
季語が発する「っ」を体感した人たち。俳人にとっての共通言語となる季語から「っ」を採取できると心強いですねえ。とはいえ、やはり「っ」はクセモノ。「っ」を発見する第一ステップを乗り越えたとして、読者にも自分の感じた「っ」の実感を正しく伝えるのはなかなか骨が折れます。《内藤羊皐》さんの「薄氷」が割れて内側に溜まった少しの空気を吐き出す感じ、《葦屋蛙城》さんの「氷柱」が滴る実感、これらはストレートに伝わります。「なじむ」「あかるき日」の収め方も上手いですね。
《徳佐津麻似合》さんは冬眠してる蛙とかかなあ……? 誰がかき分けているのか、「春覗く」とは具体的にナニモノなのか、など読み手が想像で補わないといけない範囲が多くなっています。《杏乃みずな》さんは春泥を歩いてる実感かしら。「っ」の前に省略されてる一音は擬音と考えるのが妥当に思えるけど、じゃあどんな音が一番ぴったりくる? と考えた時、読者次第でいろんな選択肢が浮かぶのが難しいところ。個人的に思い浮かぶ候補は「ぐっと」「ぬっと」「ずっと」……とかかなあ。作者の想定とはかけ離れたオノマトペに着地されてしまうと、本来言いたかった内容が正しく伝わらない……そのリスクをどれだけ許容するか? 「っ」から作句する際は考える必要がありそうです。
「っ」から俳句作る機会なんてほぼほぼないだろう、って? それはそう。


っともっと冬空に刺す自撮り棒
蜘蛛野澄香
「っ」の前の省略をうまく乗りこなした秀句であります。個人的には自撮りする文化には縁遠いんだけど、観光地や街中でもやってる人はよく見かけますね。可能性としては「もっともっと」「ぐっともっと」あたりが想定できるけど、「もっともっと」のリフレインで考えるのが自然だし、効果もダントツで秀逸です。もっともっと、より高くまで腕を伸ばす指向性。その背景に広がっている冬空の乾いた青。季語のすぐ近くにいるのに、人物の意識は「っともっと」映えな写真を撮ることだけに集中している。歪なようでもあるけど、だからこそ現代の人物詠としてリアルです。


ッ!と腹を引き裂かれたる裘
みづちみわ
おお、こっちはまた急になまぐさいなあ……。でもこういう夢枕獏小説みたいな世界観、大好物。「裘」は「毛衣」のこと。寒冷地の猟師や炭焼きが動物の毛皮で作った防寒具で、冬の季語です。「ッ!」の勢いが今まさに裂いてるのかと思いきや、既に裘の状態になっている。となればこの実感は、かつて自分が腹を割いた場面をありありと思い起こしているのでありましょう。ひょっとしたら、初めての獲物を自らの手で裂いて裘にしていった時の記憶なのかもしれない。まさに今その裘を着ていて、不慣れな手つきが生み出した断面のガタつきを撫でているのだろうか……なんて、いくらでも物語が展開されていきそうです。


第39回の出題
ットちゃんの破れ帯の本花林檎
星埜黴円
今回たくさんの「っ」から始まる句を見てきましたが、当初の予想を遥かに上回る可能性を目の当たりにして新鮮な驚きを覚えましたねえ。「っ」によって、音声に限らず直前の出来事や状況を省略することができるのは実証されてきましたが、この句はさらに「っ」のもたらす欠損を映像にまで落とし込んできているのが天晴れすぎます。「ットちゃん」で「本」とくれば十中八九『窓ぎわのトットちゃん』(著:黒柳徹子)でありましょう。学校の図書館とかでも定番本として置かれてましたね、なつかしや。長年多くの人が手に取り、汚れ、痛んでいった『トットちゃん』。いつしか帯は破れて「ットちゃん」に。林檎の花が盛りを迎える四月頃、また新たな手がこの本を手に取るのでしょう。一冊の本をめぐる長い長い時間と出会いの数々、その多くを語らずとも「ッ」から始まる欠損の形が読者の想像を充分に補ってくれるのです。林檎の花のやわらかな白が清らかに新しい春を寿ぐかのようであります。
ということで、最後の二音は「んご」でございます。
ここのところ難しい出題多すぎない??
しりとりで遊びながら俳句の筋肉鍛えていきましょう!
みなさんの明日の句作が楽しいものでありますように! ごきげんよう!

