写真de俳句の結果発表

第54回「パンダと観覧車」《ハシ坊と学ぼう!⑥》

ハシ坊 NEW

「パンダと観覧車」

評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

だららんとパンダは生きる地球は回る

里 山子

夏井いつき先生より
意図的な無季だとは思いますが、「だららんとパンダは生きる」というフレーズは面白いので、下五にしっかりと季語を入れてみるほうが、作品の純度は高くなりそうな予感がします。
“参った”

ささ鳴きの白熊あやす飼育員

花星壱和

夏井いつき先生より
「パンダの写真から白熊に発想を飛ばし、とべ動物園の白熊ピースを詠みました。『白熊』は季語だけど、動物園の白熊では季語が弱いかなと思います。また、母親を恋しがり鳴く意味とは別の季語『ささ鳴き』があるので、季重なりになるかもしれないと思いました」と作者のコメント。

上五「ささ鳴き」から入ると、やはり冬の鶯の声=季語だと思ってしまいます。上五は一考したほうがよいですね。動物園の「白熊」ではありますが、季語として立てる方法にチャレンジしてみてはいかがでしょう。
“ポイント”

枯野原蛾となり眠る観覧車

亘航希

夏井いつき先生より
「観覧車」を「蛾」に見立てるあたりは、大胆な切り口です。季語「蛾」を比喩に使っているから、別の季語を取り合わせようと上五に「枯野原」をもってきた意図は分かります。が、面白い比喩が結果的に損することになりました。しばしこの句は寝かせておいて、来年あるいは再来年あたりに、再挑戦してみましょう。その頃には、さらに分厚い俳筋力が身についているはずです。
“参った”

夕立や雷神宿る観覧車

柳翠

夏井いつき先生より
「雷神」は比喩にはなっていますが、ひとまず季語であることを認識しておきましょう。となると、主たる季語「夕立」との取り合わせについては、少々近すぎるかな、と。季語を生かすか、比喩を生かすか。一考してみましょう。
“ポイント”

観覧車は蜘蛛の巣いのちを集わせて

川上真央

夏井いつき先生より
「蜘蛛の巣」を比喩として使っていると思われます。一考の余地あり。
“参った”

パンダの子転げし姿や毛糸玉

えみり

夏井いつき先生より
「パンダはよく転がります。毛糸玉のように」と作者のコメント。

「毛糸」は季語ですが、この句の場合は比喩に使っているので、季語としての鮮度は落ちます。
“参った”

空蝉のゆるキャラぐにゃり汗びしょり

志無尽おたか

夏井いつき先生より
「まだゆるキャラという名前のない頃に、着ぐるみを脱いだ中の人を見かけました。ランニングシャツ姿に汗びっしょりで、お水をぐびぐび飲んでいました。着ぐるみは、干しても汗臭さが取れないと言ってました」と作者のコメント。

「空蝉」は、着ぐるみの比喩? 「汗」を主たる季語にしているのだとは思いますが……。
“ポイント”

君の春風僕の三寒四温

猫笑ふふ

夏井いつき先生より
試みとしては面白いと思います。ただ、読み終わってみると、どちらも季語が比喩になっているのだなと分かるので、そこは評価の分かれるところです。
“参った”

天空の蜘蛛の巣にをり観覧車

夏乃 悠月

夏井いつき先生より
「ゆらゆら揺れているゴンドラに乗っていて、空に大きく張り巡らされた蜘蛛の巣の端に、捕らわれた虫のようだなと思ったことがあったので、このように詠みました」と作者のコメント。

観覧車の様子を、蜘蛛の巣に見立てる発想の句はほかにもありました。「蜘蛛の巣」は季語ですが、比喩になっているので季語としての鮮度は落ちます。
“参った”

春の昼動きをやめた観覧車

伊呂八 久宇

春の昼動きを止めた観覧車

伊呂八 久宇

夏井いつき先生より
たぶん、「やめた」と「止めた」どちらがよいか? という意味でこの二句が投句されているのだと思います。
①漢字で書くか、平仮名にするか。表記について迷っているのでしょうか。
②「やめた」とするか、「とめた」とするか。この表現の選択について、迷っているのでしょうか。
①の選択については、大差はありません。②については、「止めた」は客観的な映像、「やめた」は観覧車の擬人化。作者の意図は、どちらにあるのか。作者ご自身が、再度自問自答してみてください。
“参った”

観覧車ガラスの飛花と回りをり

一久恵

夏井いつき先生より
「桜の咲く遊園地を思い浮かべました。『ガラス』の言葉でよいか迷いました」と作者のコメント。

「ガラスの飛花」を、スケルトンの観覧車? 飛花のひかりの比喩? と読みがブレそうです。どんな光景を描写したかったのかな?
“参った”

小き壺抱き夕焼の観覧車

小川さゆみ

夏井いつき先生より
「小き壺」は、骨壺? だとすれば、明確に書いたほうがよいです。一瞬、霊感商法の壺? と思ってしまった~(苦笑)。
“参った”

清和かな円き獣臭パンダ舎前

春待ち女

夏井いつき先生より
「パンダの糞は未消化の竹の葉が含まれて植物の香りがするそうです。パンダ愛が強い人は、芳香だと語る事もあるようです、『まろきじゅうしゅう』と七音にしました」と作者のコメント。

興味深い句材です。が、作者が書きたいことと、俳句としての文字面に隙間があります。作者コメントの内容を再度読み返して、自分が一番伝えたい言葉はどれか。自問自答してみましょう。
“参った”

春光にパンダの笑窪見えし午後

東田 一鮎

夏井いつき先生より
「パンダに笑窪はありませんが、春の陽気でパンダも笑ってるように見えました」と作者のコメント。

「~見えし午後」は、音数を埋めるために付け足した感があります。一句を結球させるには、ここが踏ん張りどころです。
“参った”

パンダ舎の笹おびただし日永かな

このみ杏仁

夏井いつき先生より
やろうとしていることは良いのですが、中七で意味が切れてしまっているため、下五の「~かな」が効いてこないのです。語順を一考してみましょう。
“ポイント”

着ぐるみとふ人との写真みどりの日

うすい木蓮

夏井いつき先生より
「着ぐるみとふ人」とはどんなニュアンスでしょう? 中に入っている人が、着ぐるみから出てきて写真を撮っている? 
 「とふ」を使っている句意が、イマイチ解読できませんでした。
“ポイント”

空見上ぐパンダの鼻へ青嵐

伊達紫檀

夏井いつき先生より
「青嵐」は青葉の山を吹き渡っていく強い風。その性質を考えると、「パンダの鼻へ」という描写にはそぐわないかと。
“ポイント”

永明の全し性や彼岸入り

井上玲子

夏井いつき先生より
「全し」は「性」に接続すると思われますので、「全き」となります。
“ポイント”