第55回「食卓に花瓶」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

地
第55回
片恋は例へばそら豆の苦み
碧西里
「片恋」をさまざまに喩えた句には、これまでもお目にかかってきましたが、「そら豆の苦み」とは、何と渋い比喩でしょうか。
大きな莢に入っている「そら豆」にも、出来不出来の大きさと味があります。偶々口に入れた「そら豆」の苦さは、嗚呼なぜ私の方を向いてくれないのか、なぜ自分ではないのか……という嘆きと、同じ味だと気付いたのです。十代ではなく二十代でもない。そんな年齢の「片恋」のような気もします。
落ちるために水ぐんと吸う椿かな
あなぐまはる
「落ちるため」の「水」を「ぐんと吸う」とは、一体どういうことか? 上五中七全てを使って謎を提示し、下五でその全貌を見せる。見事な展開です。「椿」という季語が「落椿」という季語へ変貌していくささやかな時間を切り取りました。
如何にも生きるためのようなフレーズ「水ぐんと吸う」が、「落ちるため」の力であるよという視点は、私たちの人生を俯瞰しているかのよう。「かな」の詠嘆も、味わい深いものとして読み手の心に沁みとおってきます。
花の雨モナリザ座りさうな椅子
ツナ好
窓の外には「花の雨」がしとしと降っています。窓際に置かれている椅子が一つ。決して華美ではないけれど、格調はある。いつかどこかで見たことがあるような、そんな椅子なのでしょう。
ふと「モナリザ」の絵を思い出します。嗚呼、これは「モナリザ座りさうな椅子」なのだという気づきそのものが詩になりました。そういえば、あの絵の背景も、花の雨の日のように薄っすらとくぐもっています。
冷やし中華食べつつ初潮報告す
赤尾双葉
「初潮」は、初めての生理。小学校の高学年あたりが多いようですが、人によって早い遅いはあります。予め知識として知ってはいるし、大人の体になる合図だからちょっと誇らしいんだけど、初めてのことなので怖いような気もして。
そんな「初潮」がきたことを報告しているのです。「冷やし中華食べつつ」という状況にリアリティがありますね。一緒に食べているのはお母さんでしょうか。母と娘の、人生におけるささやかな記念のワンショットです。
アネモネを活け溺愛の水位かな
髙田祥聖
「アネモネ」はキンポウゲ科の植物。その名は、ギリシア語の「アネモス=風」に由来するのだそうです。
一重咲き八重咲き、色とりどりのアネモネのために、花瓶にはたっぷりと水。切り花の茎は懸命に水を吸いますが、水に浸かっている部分はどうしても腐り易くなります。
愛するアネモネのための水の量は、まさに「溺愛の水位」。その美しい水の中で、アネモネの華奢な茎は、しくしくと腐っていくのです。
佐保姫の立ち会ふ離婚協議かな
島田雪灯
「離婚協議」というカタイ言葉に取り合わされているのが、「佐保姫」=春を司る女神です。
まだ「協議」している最中とはいえ、ここまでくれば「離婚」そのものがひっくり返る可能性は低く、財産分与だ慰謝料だ自宅はどうするか等の相談になっているのでしょう。
折しも「佐保姫」の微笑む春。後腐れのない良き離婚協議となるのでしょうか。
スィートピーくるくると人の来る家
イケダエツコ
「スィートピー」のささやかな巻き蔓を「くるくる」とオノマトペで描いたのだと思いきや、そのまま「くるくると人の来る」と韻を踏みながら展開していく発想が面白いですね。
可愛く人懐っこそうな「スィートピー」は庭に植えられているのでしょうか、花瓶に飾られているのでしょうか。「~家」という着地が、建造物としての「家」でありつつ、家庭という意味での「家」という存在を指している点も、一句の読みの幅となっています。
テリーヌに獣の匂ひ花の雨
うーみん
「テリーヌ」とは、元々はフランス料理で使用する蓋付き陶器を指すようですが、この容器に材料を詰め、オーブンで焼いたり蒸し焼きにしたものを「テリーヌ」と総称しています。「獣の匂ひ」とありますから、豚肉・レバーの類いなのでしょう。
「テリーヌの」とするか「テリーヌに」とするか、悩ましいところではありますが、「に」としたことで、今まさに口中に入れて味わい始めているリアリティが表現できています。
取り合わせた季語は「花の雨」。日本の和の情緒とフランス料理が混然一体となって香り立ちます。
はつ夏の花器を回遊するひかり
沼野大統領
この「花器」は、ガラス製のものです。挿された茎たちは、生き生きと水を磨いています。花器にさしているのは「はつ夏」の「ひかり」。それは、音なく「回遊」するかのように、反射しています。
硝子の花器のひかり、花器の中の水のひかり、初夏の太陽のひかり。性質の違う「ひかり」を見事に描き分けた上質な水彩画のような作品。「はつ夏や」と切らず「~の」と続けた判断、「花器」「回遊」というK音の韻など、丁寧に吟味されている点も大いに褒めましょう。
納豆や褒めぬと脳は腐るだらう
岡根喬平
人というのは褒められて伸びるもの。褒めなかったら、脳はいずれ腐っていくだろうという中七下五のフレーズに対する、上五「納豆や」の詠嘆はストレートな寓意。発酵によって栄養価の高い食品となる「納豆」だけど、うっかりすれば腐ってジャリジャリと苦くなってしまいます。
日めくり暦に掲載したいような一句です。