第56回「百日紅の名所」《ハシ坊と学ぼう!③》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
季重なり
炎天へ縮れ花笑う百日紅
森田ゆり
夏井いつき先生より
「炎天へ縮れ」という表現は面白いのですが、「炎天」「百日紅」どちらも季語ですね。さあ、ここが工夫のしどころですよ。
「炎天へ縮れ」という表現は面白いのですが、「炎天」「百日紅」どちらも季語ですね。さあ、ここが工夫のしどころですよ。


季重なり
百日紅いつサルくるのと縁側で昼寝
森田ゆり
夏井いつき先生より
「昼寝」も季語ですね。別の言い方を探してみましょう。
「昼寝」も季語ですね。別の言い方を探してみましょう。


季重なり
百日紅剪定済んで澄まし顔
大久保一水
夏井いつき先生より
「剪定」も季語になっています。まずは、歳時記を一冊お手元に置いてみましょう。


季重なり
七度目の迎え火焚きし百日紅
雪うさぎ
夏井いつき先生より
「迎え火」「百日紅」それぞれが季語です。どちらを書きたいのか、自問自答した上で推敲してください。
「迎え火」「百日紅」それぞれが季語です。どちらを書きたいのか、自問自答した上で推敲してください。


季重なり
ちりちりと涼しい顔の百日紅
りっこう
夏井いつき先生より
「夏の暑さにも負けず、レースのような花が健気で、でも力強さも感じます」と作者のコメント。
この場合は心理的なものかもしれませんが、「涼し」は夏の季語です。
「夏の暑さにも負けず、レースのような花が健気で、でも力強さも感じます」と作者のコメント。
この場合は心理的なものかもしれませんが、「涼し」は夏の季語です。


海望むネモフィラの丘青嵐
奏美和
夏井いつき先生より
歳時記では、まだ「ネモフィラ」を季語としてないものも多いとは思いますが、この句が描こうとしている主役は「青嵐」ではなく「ネモフィラ」の花ではないかと、感じとれます。
歳時記では、まだ「ネモフィラ」を季語としてないものも多いとは思いますが、この句が描こうとしている主役は「青嵐」ではなく「ネモフィラ」の花ではないかと、感じとれます。


さるすべり懈し名もなき家事リスト
にゃん
夏井いつき先生より 評価 人
「3月10日に投句した〈パンダまで二時間うららかな長蛇〉が、3月16日発表の地選〈ねぶたまで二時間誰もゐぬゲーセン〉(天雅様) と酷似しており、記憶の中に残っていた人様の句を知らず知らず真似てしまったのかと背筋の凍る思いでマイ句帳を確認したところ、拙句の提出の方が地選の発表日より早く、胸をなで下ろしました。とはいえ、ここまでの類似となれば、やはりこの句は捨てるべきなのでしょうか」と作者のコメント。
まずは、この句は人選です。
そして、質問への回答。「~まで二時間」という句は幾らでもあります。勿論、「~まで一時間」があるのと同じくらい(笑)。しかしながら、提示されている二句は、読めば分かる通り全くの別物です。私たちは同じ言語を使って、俳句を作っておりますから、似たようなフレーズが出てくるのは当たり前のこと。作品の真の意図がどこにあるか、どんな季語をどう描こうとしているのか。そこを見誤らないようにしましょう。
まずは、この句は人選です。
そして、質問への回答。「~まで二時間」という句は幾らでもあります。勿論、「~まで一時間」があるのと同じくらい(笑)。しかしながら、提示されている二句は、読めば分かる通り全くの別物です。私たちは同じ言語を使って、俳句を作っておりますから、似たようなフレーズが出てくるのは当たり前のこと。作品の真の意図がどこにあるか、どんな季語をどう描こうとしているのか。そこを見誤らないようにしましょう。


百日紅缶蹴りの子ら駆け出して
実日子
夏井いつき先生より
「百日紅」という季語と取り合わせた所に、オリジナリティを求めている意図は分かるのですが、中七下五があまりにもよくある懐かしいフレーズなので、人選には推しにくいのです。
「百日紅」という季語と取り合わせた所に、オリジナリティを求めている意図は分かるのですが、中七下五があまりにもよくある懐かしいフレーズなので、人選には推しにくいのです。


街路樹や車窓に流る百日紅
詠野孔球
夏井いつき先生より
中七「流る」は連体形にする必要があるので、「車窓流るる」となります。上五は、もう少し言葉の距離を離してみましょう。
中七「流る」は連体形にする必要があるので、「車窓流るる」となります。上五は、もう少し言葉の距離を離してみましょう。


龍淵の底は知れぬと百日紅
天弓
夏井いつき先生より
「兼題写真を見ての発想です。可愛い娘さんが水を覗き込んでいるように見えて、その水は龍の棲む深い淵かもしれない……と思って作りました」と作者のコメント。
この句は、そういう意識で作っているのではないのだろうとは思うのですが、「龍淵に潜む」という季語があるので、季重なり? と思えてしまいます。そのあたりを一考してみましょう。
「兼題写真を見ての発想です。可愛い娘さんが水を覗き込んでいるように見えて、その水は龍の棲む深い淵かもしれない……と思って作りました」と作者のコメント。
この句は、そういう意識で作っているのではないのだろうとは思うのですが、「龍淵に潜む」という季語があるので、季重なり? と思えてしまいます。そのあたりを一考してみましょう。


貫入の多し湯呑みや新茶汲む
ときちゅら
夏井いつき先生より
「兼題写真は京都御苑の南にある茶室・拾翠亭ということで、お茶へ発想を飛ばし、貫入(ヒビ)が沢山細かく入った湯呑みで、新茶を飲む様子を詠んでみました」と作者のコメント。
「湯呑み」に対して「新茶汲む」という下五の季語への着地が、少々近い。湯呑みの中は、新茶かもしれないなあと思わせる、佳き季語を探ってみましょう。取り合わせは、「付かず離れず」が基本です。
「兼題写真は京都御苑の南にある茶室・拾翠亭ということで、お茶へ発想を飛ばし、貫入(ヒビ)が沢山細かく入った湯呑みで、新茶を飲む様子を詠んでみました」と作者のコメント。
「湯呑み」に対して「新茶汲む」という下五の季語への着地が、少々近い。湯呑みの中は、新茶かもしれないなあと思わせる、佳き季語を探ってみましょう。取り合わせは、「付かず離れず」が基本です。


竿竹の遠い売り声百日紅
山姥和
夏井いつき先生より
「百日紅」という季語と取り合わせた所に、オリジナリティを求めている意図は分かるのですが、上五中七があまりにもよくある懐かしいフレーズなので、人選には推しにくいのです。
「百日紅」という季語と取り合わせた所に、オリジナリティを求めている意図は分かるのですが、上五中七があまりにもよくある懐かしいフレーズなので、人選には推しにくいのです。


でで虫や吾子の鼻先汝が庵
丸山和泉
夏井いつき先生より
「第53回『火の山公園のチューリップ』《ハシ坊と学ぼう!⑧》〈でで虫や吾子の鼻先那が庵〉で、夏井先生に『下五「那が庵」はどういう意味でしょう?』と、お言葉を頂きました。現在中国語を学んでいるせいか『それ、そこ』という意味の『那』を真っ先に思いつきました。『ええー、でで虫そこー』と思ったのです。でで虫が殿様のように息子の鼻のてっぺんに座っていましたので、『汝』に変えて再投句いたします」と作者のコメント。
でで虫は「吾子の鼻先」にくっついているのですか? ということは、「汝が庵」は、ででん虫の庵のようだよ、という見立て? この書き方では、その映像は浮かびにくい。描写に徹した書き方にしてみましょう。
「第53回『火の山公園のチューリップ』《ハシ坊と学ぼう!⑧》〈でで虫や吾子の鼻先那が庵〉で、夏井先生に『下五「那が庵」はどういう意味でしょう?』と、お言葉を頂きました。現在中国語を学んでいるせいか『それ、そこ』という意味の『那』を真っ先に思いつきました。『ええー、でで虫そこー』と思ったのです。でで虫が殿様のように息子の鼻のてっぺんに座っていましたので、『汝』に変えて再投句いたします」と作者のコメント。
でで虫は「吾子の鼻先」にくっついているのですか? ということは、「汝が庵」は、ででん虫の庵のようだよ、という見立て? この書き方では、その映像は浮かびにくい。描写に徹した書き方にしてみましょう。


好きな子の家の庭にわ百日紅
おかぴ
夏井いつき先生より
「~の庭には」という措辞は必要でしょうか。
「~の庭には」という措辞は必要でしょうか。


ジャージャーと蝉の最後を百日紅
渡辺鬼
夏井いつき先生より
「季重なりになってしまうのですが、実家の庭で毎年繰り返されていた光景を描きたくてトライしてみました。百日紅にはよく蝉がきました。なぜかそこにはいつもカマキリがいました。『最後を』の助詞を迷った末、百日紅は自分の枝で毎年繰り返される修羅場を受け入れ、自然の営みのひとつとして受け止めているような気がして『を』にしました」と作者のコメント。
百日紅に蝉がよくくる。その事実を描くには、少々工夫が必要です。季重なりをどう成功させるか?
「季重なりになってしまうのですが、実家の庭で毎年繰り返されていた光景を描きたくてトライしてみました。百日紅にはよく蝉がきました。なぜかそこにはいつもカマキリがいました。『最後を』の助詞を迷った末、百日紅は自分の枝で毎年繰り返される修羅場を受け入れ、自然の営みのひとつとして受け止めているような気がして『を』にしました」と作者のコメント。
百日紅に蝉がよくくる。その事実を描くには、少々工夫が必要です。季重なりをどう成功させるか?

