第56回「百日紅の名所」《ハシ坊と学ぼう!⑦》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
大屋根リングから第九風光る
ふうみん2号
「兼題写真の木の橋から、関西・大阪万博の大屋根リングを連想しました。開幕初日のオープニングセレモニー、一万人の第九に参加しました。朝から雨がしとしと降っていて、ちょっとネガティブな気分でしたが、本番の歌が始まると、奇跡のように雨が止み、日も差し、春の風がキラキラ光っていました。とても感動的でした」と作者のコメント。
語順を替えると人選です。
添削例
風光る大屋根リングから第九


笑みこぼる尼僧の法話百日紅
杜野みやこ


母の日に帰宅の靴音響く橋
とまま
上五「~に」は散文的になりがちなため、要注意の助詞です。


月光に白く見えたる百日紅
ピンクアメジスト
「夜間の授業が終わって、近くのお寺の百日紅が月の光に白く見えました」と作者のコメント。
「月光に白く」と書けば、「見えたる」は不要です。


潮焼けや顔傷だらけ雄獅子
ヨシキ浜
「第54回『パンダと観覧車』〈黄水仙顔傷だらけの雄獅子〉でハシ坊をいただきました。上五の季語が、主役ではなく添え物になっているとコメントをもらいました。『黄水仙』を『潮焼けや』に推敲してみました」と作者のコメント。
中七下五のフレーズですが、「雄獅子は貌傷だらけ」と整えることもできます。取り合わせる季語は、さらに動きそうですが。


オフィーリアの水葬ちるや百日紅
入江みを


法要に従姉妹揃ひて百日紅
なおちゃん
上五「に」が、散文的な助詞の使い方。仮に「従姉妹ら」とすれば、「揃ひて」も不要になりそうです。


白日を縮らす花弁百日紅
はなぶさあきら
「百日紅の縮れた花びらが、熱い日射しを縮らせ照り返しているようです」と作者のコメント。
「白日」を縮らせたような花だという把握は、良いと思います。「花弁」とわざわざ書く必要はないと思いますので、その点も含めて推敲してみましょう。


百日紅御所の空気は読みません
津々うらら
「百日紅の花は、真夏に他の植物が息絶え絶えで命をつなぐ中、あっけらかんと強かに咲いている印象があります。また、御所の植物というと、もう少し慎ましやかだったり、日本らしい伝統的なものがしっくりくるなか、百日紅のどこか飄々とした感じを詠みました」と作者のコメント。
なるほど、そういう句意を書きたかったのですね。この書き方だと、誰か御所の空気を読まない人物がいて、「百日紅」が取り合わせられている……と読み解く人の割合のほうが多いだろうと思います。そのあたりの工夫が、もう一押し欲しい。


デコトラの写楽憩える百日紅
踏轍
「たわわに咲いた百日紅の街路樹の脇に、写楽の大首絵が描かれたデコトラが止まっていました」と作者のコメント。
「デコトラの写楽」と「百日紅」の取り合わせが面白いですね。「憩える」、この四音をどうもっていくかによって、評価は更に変わっていきます。


百日紅顔に泥塗りエキストラ
亘航希
素材は面白いのですが、中七の描写がこれでベストなのかどうか。悩ましいところです。


どっすんこ猿も落ちるか百日紅
三宅 光風


戦争の語りの中に百日紅
砂月みれい
「以前、終戦の時を語っていた人の『悲しさの中に燃えるような百日紅の木があった』というお話が、とても鮮烈に私の心に残っていて、百日紅を見る度に思い出します」と作者のコメント。
「~の中に」という措辞を一考してみましょう。


盛り二枚老舗の庭に百日紅
藤田ほむこ
「盛り二枚」とは、何でしょうか?


「滑り坂論」のはて花のもとにひとり
マサオカ式ぉ村椅子
「哲学の『滑り坂論』。一歩踏み出す結末は暗い。子規の〈世の中やひとり花咲く百日紅〉も希望として、考えに入れました。勘で詠んでいる部分もあると思います」と作者のコメント。
お気持ちは分かりますが、やや観念に傾きすぎています。「花」は桜になってしまいますしね。


雨後の朝生臭きかな蝌蚪孵化す
飯沼深生
「私の暮らしている田園地帯は、初夏に盆地全体の空気が生臭く感じる時期があります。まさに今朝窓を開けた時はくっさ〜と呟くほど生命力に溢れていました」と作者のコメント。
この生臭さに気づくのが俳人の嗅覚です。惜しいのは、句の内容に対して「かな」の詠嘆がそぐわないことです。
添削例
生臭き雨後の朝なり蝌蚪孵化す


くすぐれば破顔一笑百日紅
おりざ
「111歳で亡くなった祖母が『百日紅はくすぐったがり屋だから、さわると枝を震わせて大笑いするのよ』とよく言っていたのを思い出しました」と作者のコメント。
お祖母さんのエピソード、面白いですね。この書き方だと、上五中七は誰かをくすぐるという意味で、下五の季語は完全な取り合わせと読まれる可能性が高いと思われます。誰かをくすぐるのならば、笑うのは当たり前。全体を推敲してみましょう。


催花雨のツルツル枝やツヤツヤに
朱葉
夏井いつき先生より
「〈百名の児らの人文字百日紅〉を投句するつもりだったのですが、空からの人文字の視点と、百日紅を見る視点の違いに違和感があり考えあぐねていたところ、雨に濡れて艶やかになった百日紅の枝を見て別の句が作れたので、こちらを投句することにしました。想像したことより、実際に見たものを詠む方が映像として詠みやすいと思いました。〈催花雨やツルツル枝をツヤツヤに〉とも悩みました」と作者のコメント。
「催花雨」は、春の季語。「ツルツル枝」は、百日紅の枝のことだと思われますので、そこに齟齬がでてきます。


園庭の光る泥団子や立夏
めいめい
同じ句が二句投句されていました。送信ボタンを押す前に、確認してくださいね。勿体ないので。


橋、曲がつてます百日紅見へます
たけろー
ちょっと面白いと思いはするのですが、「橋、曲がつてます」が文字通り曲がっているのか、錯覚なのか。そのあたりがちと気になります。また、「見へます」の「へ」は間違い。「見える」はハ行ではありませんので、「見えます」となります。


飛花落つや谷見下ろして風の道
猪子石ニンニン
俯瞰の映像を描こうとしている工夫はよいですね。「落つや」が良いのか、「見下ろして」と書かずに、それが見えてくる描写はできないか。時間をかけて、ゆっくり楽しみつつ、推敲してみましょう。

