写真de俳句の結果発表

第57回「沖縄県の郷土料理」《地》

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評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

第57回「沖縄県の郷土料理」

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びしよ濡れの全島エイサー祭かな

⑦パパ

前半「びしよ濡れの全島」という表現が鮮やかです。強いスコールに全島が襲われているのでしょう。とはいえ、後半「エイサー祭かな」によって、色彩や音のイメージが噴出してくるかのような味わいです。スコールがあがると、全島はエイサーの踊り手と太鼓と音に包まれるのでしょう。「かな」という詠嘆もまた鮮やかでした。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

コーラ煮のアグー八月十五日

大西どもは

今回選句していく中で、 色々検索して「コーラ煮」の様々なレシピも知りました。「アグー」は、沖縄県固有の貴重な黒豚の品種なのだそうです。戦勝国であるアメリカから入ってきた「コーラ」を使って煮る「アグー」は食文化の融合とも読めますし、取り合わせられた季語「八月十五日」によって皮肉を描いたものだと読むこともできます。この複雑な味わいこそが、作者の狙いなのでしょう。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

コチコチのココロへころげこむサイダー

はなぶさあきら

「コチコチのココロ」って、思いがけないピンチでしょうか、好きな人にいきなり出会ったのでしょうか。何らかの緊張を強いられる場面に追いこまれると、私たちの心は「コチコチ」になります。

「コチコチ」「ココロ」「ころげこむ」と、コ音を重ねつつ作られる調べが、最後の季語「サイダー」によって開放されるような語順が巧み。「コチコチのココロ」がサイダーの泡のように光となって弾む、楽しい読後感の一句です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

フライトは遅延ハイビスカスでかい

佐藤レアレア

「フライトは遅延」だけだと全ての空港に当てはまる措辞ですが、後半「ハイビスカスでかい」によって、その空港がどんな地域のどんな場所にあるのかを、ありありと想像させます。沖縄や石垣島、あるいはハワイなどの外国の空港を思う人もいるかもしれません。

どんな理由の「遅延」かによって深刻度も変わってきますが、今は、「ハイビスカス」のゆらりと「でかい」花を眺めつつ、待つしかないのです。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

炎天や基地のマックはドル払い

閑陽

「炎天や」の詠嘆から、映像が切り替わり「基地」が出現します。戦車だの軍艦だのの光景になっていくのかという一瞬の想像を裏切る「マック」の一語。その意外性から、更に、それを買うためには「ドル払い」でなくてはならないという事実が、「基地」=アメリカの領地であるという現実を突きつけるのです。さらりと書いてありますが、一句の内容は中々に深いのです。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

喜雨しづか月桃の葉に魚を蒸す

三浦海栗

「喜雨」は、旱のあとに降る恵みの雨。待ちに待った雨が「しづか」に降り出しました。

「月桃」は「げっとう」という植物ですが、沖縄では「サンニン」とも呼ぶのだそうです。「月桃の葉」に「魚」を包んで「蒸す」料理は、恵みの雨への感謝を捧げるお供え物でしょうか、雨を喜ぶ宴の準備でしょうか。「喜雨しづか」から、「月桃の葉に魚を蒸す」カットへのカメラワークも鮮やかです。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

島風や弾薬箱にシークヮサー

馬場めばる

「島風」「弾薬箱」「シークヮサー」という三つの単語の取り合わせは、沖縄を想像させます。

かつては「弾薬箱」として使われていたものが、今は「シークヮサー」を入れる箱として再利用されている。その事実が、かつてこの島で何が起こっていたのかを、ありありと思い出させるのです。「島風や」という詠嘆に、複雑な思いも混じってきます。

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ソーキそば啜れば乾きゆく水着

蜘蛛野澄香

上五「ソーキそば」で否応なく沖縄にワープさせられます。

「ソーキそば」があれば「啜る」は不要という考え方は定石ですが、この句の場合「啜れば」という理屈にならない因果関係が捨て石のような働きをし、後半の措辞に繋がっていきます。ソーキそばを注文し、待ち、食べ始めるまでの時間が「乾きゆく」という複合動詞で表現され、身に密着しつつ乾きゆく「水着」という季語の実体を、私たちは生々しく追体験します。「水着乾きゆく」という状態ではなく、「乾きゆく水着」と体言止めにしてモノの感触を再現する。その判断も的確です。

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ガジュマルの下はバス停氷菓食ぶ

細葉海蘭

沖縄の強烈な日射しも、激しい俄雨も、この「ガジュマル」の木の下にある「バス停」ならば大丈夫なのでしょう。そのバス停で、バスが来るまでの時間を「氷菓」を囓りながら待っているのです。子供の頃を思い出しているのか、旅人としての実体験か。いずれにしても、「ガジュマル」の下で食べて「氷菓」が、記憶の核になっている一句です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

三線の一際澄めりてぃんがーら

沖庭乃剛也

「てぃんがーら」は沖縄の言葉で「天の川」を意味するのだそうです。頭上に広がる天の川の美しさに、「三線」の音色が一際澄んでいくかのように感じられます。「~澄めり」の切れによって、音がはろばろとのぼっていく空間が描かれている点にも工夫があります。下五「てぃんがーら」という言葉は、うっとりとさせられる響きですね。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき