第59回「色っぽい流木」《ハシ坊と学ぼう!⑬》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
八月や流木として帰還せり
真夏の雪だるま
「ビーチコーミングをして流木を拾うのが好きなのですが、骨に似ているなと思うことがあり、戦後八十年の節目として詠みました。いまだに帰還することのできない魂が、海に眠っていることを想います」と作者のコメント。
語順を一考してみましょう。佳句になりそうですよ。


脚線美浴衣で隠すこともなし
西山


流木に貝殻の「カフェ」海桐咲く
美んと


海開き目薬ぽとり口も開き
高辺知子
「水遊びをした後によく結膜炎になってしまって目薬を点すのですが、なぜなんでしょう、点す時って必ず口も開けちゃうんですよね」と作者のコメント。
季語「海開き」より、「目薬」が主役になってますね。


出水前流木揺られ橋渡る
南の爺さま
「川の氾濫前、川には流木が流れ、橋を越える緊迫した一瞬でした」と作者のコメント。
「出水前」という書き方でよいのか。そこから、再考してみましょう。


骨盤を立てて爽やか柳腰
山田季聴
「骨盤を立てて爽やか」までを良しとした時、下五再び「腰」がでてくるのは得策ではありません。


雨止みて夕虹を背に家路かな
崇元
「夕虹」という季語があれば、上五「雨止みて」は不要ではないでしょうか。


潮騒の鼓動の案山子生まれけり
蜘蛛野澄香
「浜で農家に拾われた流木は、案山子になりました。案山子になった今も、長い年月漂った海の音を忘れません。苦手な擬人化に挑戦です。〈口笛はしほさゐ流木の案山子〉→〈流木の案山子潮騒めく鼓動〉→〈流木の案山子の鼓動波の音〉と推敲し、『流木』を外して、自立語を減らしました。季語『案山子』が主役になるように、『生まれけり』にしました。海と関係があるのかな? と読者に予想してもらえたら嬉しいです」と作者のコメント。
作者の意図は「浜で農家に拾われた流木は、案山子になりました。案山子になった今も、長い年月漂った海の音を忘れません」という文章にあると受け止めました。その上での話ですが、推敲の過程で「流木」を外したことによって、(作者の中には「流木」が確固たるものとして存在しているにもかかわらず)読者には「海辺の田に立てられた案山子」という程度の認識しか与えないものになってしまいました。作者の意図にとって、「流木の案山子」という詩語は、外しがたいものではないかと推測するのですが、いかがでしょう。


流木のかけら手に載せ秋に入る
希凛咲女
「流木のかけら手に」と書けば、「載せ」ていることはわかりますね。


参勤の休場はるけき大卯波
茅々
「私の住所は『休み場』。町内名は『休場町内会』。町内のキャッチコピーは『殿さまも休まれた休場町内会』です。坂道が多く遠く海が一望できます。苦難の参勤交代で休まれたお殿様への思いが浮かんできます」と作者のコメント。
住所の名が「休み場」とは、面白いですね。俳句にしてみたいと思う気持ちに、共感します。ただ、「参勤の休場(きゅうじょう)」と読んでしまうと、意味が掴みにくくなります。固有名詞の場合は、その知名度が作品の成否に深く関わったりもいたします。悩ましいところです。


通夜明けの家族は朝餉百日紅
オアズマン
「第56回『百日紅の名所』〈通夜明けに燃ゆるよ庭の百日紅〉を推敲しました。再考のポイントは中七で季語を活かせることとし、具体的事例をもって『家族は朝餉』としました。この時こそ家族は『故人と共に』が願いです」と作者のコメント。
良い方向に推敲が進んでいます。「通夜開けの朝餉」で状況は十分に伝わりますので、「朝餉」を具体的に描写するか、残りの音数を「百日紅」の描写に使うか。二択で考えてみましょう。


磯嘆き乳母と穴場へ飛ぶ飛沫
早霧ふう
「第46回『深夜のドライブイン』〈磯嘆きお尻を叩くばあやかな〉を推敲しました。お世話した網元のいとはんが失恋。ばあやとして出来ることは、身体を動かすことで気が晴れるかも、という妄想です。先生の『絶滅危急季語辞典』で見つけ、使ってみたかったのです」と作者のコメント。
俳句も文学ですから、妄想という名のフィクションを一句にしても、勿論よいのです。ただ、中途半端なフィクションには、リアリティが欠ける嫌いがあります。中七下五の描写がやはり弱いかと。私が、体験を俳句にすることを推奨するのは、実体験はその土台にリアリティがあるからです。


夏暁の浜に流木そつと蹴る
二城ひかる
「そつと」は一考の余地があります。


不登校!?家族みんなで初キャンプ
りっこう
「次男が小五の時、いきなり学校に行けなくなりました。その頃は、登校拒否と言われていました。どんどん表情が暗く、乏しくなってくるのを見て、とりあえず自然の力を借りようと思いつきました。テントにゴムボート、飯盒などなど、一気に揃えて、夏休みは毎週のように山や海や川に出かけました」と作者のコメント。
家族にとってのこの大きな出来事を、掲出句のようにざっくりとまとめてしまうのではなく、「どんどん表情が暗く、乏しくなってくる」様子、「テント」を張った時の様子、「ゴムボート」を膨らませる、運ぶ時の表情等々、その一瞬一瞬を切り取るのが俳句なのです。


胸からの鎖骨のくぼみ白芙蓉
折田巡
「胸からの」は必要でしょうか。中七と季語の取り合わせだけで、俳句になるだけの要素は十分揃っています。


凧丿乀鳶丿乀船丿乀
かときち
「さすがにやりすぎかな? と投句を迷いましたが、兼題写真の流木の形を見て『丿乀(へつほつ)』という言葉を思い出したので(文字化けしていないか不安です)……。『たこへつほつ とんびへつほつ ふねへつほつ』と読んでいただきたい句です。元日に地元の海岸を散歩するのですが、凧揚げをする人が必ずいて、大抵トンビも飛んでいて、港には船があり、すべてが穏やかにたゆたっている……という実景です」と作者のコメント。
この機知を喜ぶ読者も一定数おられると思います。例えば、作者ご自身が、句集にこれを是非載せたいということならば、反対はしません。ただ、季語がどこまで季語として機能し、詩が生まれているか……という点については、懐疑的。機知と詩を相乗効果で表現するのは、なかなかハードルの高いことですね。


日傘よりをのこ眼差し出しけり
あおい
「日傘」から出る? 「をのこ」を目指して? 句意が少々解読しにくく……。


夏の川身をまかせ得た幸福感
星の砂
「幸福感」という抽象的な言葉は、読者にとって少々曖昧な気分を残します。「夏の川」以外に、具体的な映像がないのも、損をしている点です。


剥がす毎年輪中へ百日紅
ヒロヒ
「第56回『百日紅の名所』《並》⑥<剥がす毎年輪中に百日紅>の推敲句です。樹皮は毎年剝がれ落ちる、という百日紅の性質を詠んだところは良かったと思いますので、助詞を『に』から『へ』へ変えました。『はがすごとねんりんなかへさるすべり』と読みます。『毎年』『年輪』『輪中』という漢字しりとりを思いつき、『輪中』で有名な長良川沿いに『サルスベリ街道』があると知りました」と作者のコメント。
うーむ……「毎年輪中」の漢字しりとりのアイデアは、確かに面白いのですが、如何せん、俳句としては意味が読み取り難くなってしまいました。これを読んだ人は、「剥がす毎年」? と、ここから混乱し始めます。俳句は、事柄を述べるのではなく、描写であると考えてみましょう。


今年もか我カナヅチや海開き
文心美
「毎年の海開きを子供達は楽しみにしていましたが、泳げない私は水が苦手な愛犬と、ひたすら子供達の監視役でした」と作者のコメント。
俳句というよりは感想。むしろ、作者コメントにある「泳げない私は水が苦手な愛犬と」の部分が良き句材です。


ビーナスの欠けたる部分として真夏
那乃コタス
「〈ビーナスの欠けの真夏とならんこと〉と迷いましたが、『ビーナスの欠け』が欠けている部分なのか、本体のほうなのか、読者に迷いが生じるかと思いました。『真夏とならん』を使いたい場合に難しかったです」と作者のコメント。
表現したいことには共感します。ただ、この書き方で伝わるかと問われると、まだ不十分。


星凉し翠の尾引くペルセウス
安久愛 海
「種子島に旅行して、砂浜で満天の星を観たことがあります。街中で観る星と全く違う無数の星の輝きに圧倒されました」と作者のコメント。
作品としては成立していますが、季語との関係がちょっと近いので、季語を一工夫すると佳句になります。


日向ぼこ無理矢理出土木の根っこ
笑道心文
「出土」した「木の根」と「日向ぼこ」の取り合わせは、いけそうです。「無理矢理」を外して、推敲してみましょう。


流木や夏の浜辺に着地かな
もっさん
一句に「や」「かな」と二つの切字が入ると、感動の焦点がぶれるので嫌われます。どちらかを外しましょう。ついでにいうと、下五「着地かな」は説明です。

