第66回「お台場の桜」《ハシ坊と学ぼう!⑫》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
花はいふビルこゑて空へ空へと
大切千年たいせつせんねん
夏井いつき先生より
「なるべく擬人化はしない方が……と思いましたが、花を主人公にしたくて、動詞に漢字を使わず、あえて歴史的仮名遣いにしてみました」と作者のコメント。
口語「越える」の文語体は「越ゆ」で、ヤ行下二段活用になります。なので、「こゑ」ではなく、「こえ」ですね。
「なるべく擬人化はしない方が……と思いましたが、花を主人公にしたくて、動詞に漢字を使わず、あえて歴史的仮名遣いにしてみました」と作者のコメント。
口語「越える」の文語体は「越ゆ」で、ヤ行下二段活用になります。なので、「こゑ」ではなく、「こえ」ですね。


山城や和らげる夜が飛花を食ふ
うくちゃんま
夏井いつき先生より
「山城」と「飛花を食ふ」という表現の取り合わせに惹かれます。「和らげる夜」というのは、どういうニュアンスなのでしょうか?
「山城」と「飛花を食ふ」という表現の取り合わせに惹かれます。「和らげる夜」というのは、どういうニュアンスなのでしょうか?


20年経ちて花見の屋形船
はま木蓮
夏井いつき先生より
俳句では、特別な意図がないかぎり漢数字を使うのが定石です。


老梅にポプコーンのごとさりながら
宙朔
夏井いつき先生より
「散歩道に、目立たぬ梅の老木があります。普段あまり目に留めることもない、その古びたすべての枝に、ある日白い小さな花が開いていました。その様子はまるで乾ききったポプコーンを撒き散らしたかのようで、あまり興を引かれることなく通り過ぎようとしたとき、本当にささやかながら、あの凛とした香りが立ってきて、『吾ここに!』という、『ポプコーン』などと切り捨てられない、老梅の矜持を感じたものです」と作者のコメント。
老梅の花のさまを、「ポプコーン」のようだと感じたのはよいのです。が、全体の調べがもたもたしているので、せっかくの明るい発見が損をしています。上五「に」も散文的な使い方ですから、「老梅の」あるいは「老梅は」として推敲してみましょう。
「散歩道に、目立たぬ梅の老木があります。普段あまり目に留めることもない、その古びたすべての枝に、ある日白い小さな花が開いていました。その様子はまるで乾ききったポプコーンを撒き散らしたかのようで、あまり興を引かれることなく通り過ぎようとしたとき、本当にささやかながら、あの凛とした香りが立ってきて、『吾ここに!』という、『ポプコーン』などと切り捨てられない、老梅の矜持を感じたものです」と作者のコメント。
老梅の花のさまを、「ポプコーン」のようだと感じたのはよいのです。が、全体の調べがもたもたしているので、せっかくの明るい発見が損をしています。上五「に」も散文的な使い方ですから、「老梅の」あるいは「老梅は」として推敲してみましょう。


地芝居や首なる鉢を抱へ泣く
うーみん
夏井いつき先生より
「兼題写真から、芸能系の季語『地芝居』に挑戦しようと思いました。植木鉢を敵に討たれた首に見立てて、歌舞伎の練習をしている場面です」と作者のコメント。
練習だとすれば、上五で「地芝居や」と詠嘆するのは、ちょっと損かもしれません。「首なる鉢を抱へ泣く」が、芝居の舞台の上の様子だと読み取ってしまいます。
「兼題写真から、芸能系の季語『地芝居』に挑戦しようと思いました。植木鉢を敵に討たれた首に見立てて、歌舞伎の練習をしている場面です」と作者のコメント。
練習だとすれば、上五で「地芝居や」と詠嘆するのは、ちょっと損かもしれません。「首なる鉢を抱へ泣く」が、芝居の舞台の上の様子だと読み取ってしまいます。


町は皆桜づくしの東京ぞ
みえこ
夏井いつき先生より
「三月末に東京を訪れた際、街じゅうが桜に包まれていて、まさに桜づくしの東京だと感じ、感動しました」と作者のコメント。
「東京」があとに出てきますから、上五で「町は皆」と意味を重ねる必要はありません。例えば「東京は桜づくしぞ」と詠嘆すれば、この句の言いたいことはそのまま書けていることになります。残りの音数をどう使うか、それが最後の推敲です。
「三月末に東京を訪れた際、街じゅうが桜に包まれていて、まさに桜づくしの東京だと感じ、感動しました」と作者のコメント。
「東京」があとに出てきますから、上五で「町は皆」と意味を重ねる必要はありません。例えば「東京は桜づくしぞ」と詠嘆すれば、この句の言いたいことはそのまま書けていることになります。残りの音数をどう使うか、それが最後の推敲です。


天守より桜絨毯見渡せり
秀翁
夏井いつき先生より
何かが咲き広がっている様子を「絨毯」と表現するのは、ありがちな比喩です。ここの部分こそ一句の肝になりますので、その様子を描写する方向に頭をひねってみてください。
何かが咲き広がっている様子を「絨毯」と表現するのは、ありがちな比喩です。ここの部分こそ一句の肝になりますので、その様子を描写する方向に頭をひねってみてください。


朽ち折れし幹に1輪花見宴
雪割草
夏井いつき先生より
俳句では、特別な意図がない限り、漢数字を使うのが定石です。
俳句では、特別な意図がない限り、漢数字を使うのが定石です。


満開の花解体待つ観覧車
鈴木 リク
夏井いつき先生より
調べを工夫してみましょう。俳句においては、内容と調べは緊密に連動する必要があります。
調べを工夫してみましょう。俳句においては、内容と調べは緊密に連動する必要があります。


桜蕊降る離婚届へまた署名
清桜人
夏井いつき先生より
「離婚届」に対して「桜蕊降る」との取り合わせが少し近いかと。更に念押しですが、「また」というのは二度目の離婚(?)という読みでよいのでしょうか。
「離婚届」に対して「桜蕊降る」との取り合わせが少し近いかと。更に念押しですが、「また」というのは二度目の離婚(?)という読みでよいのでしょうか。



