写真de俳句の結果発表

第66回「お台場の桜」《地》

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評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

第66回「お台場の桜」

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鉄錆のにほひまじりて花朧

千葉水路

なんの「鉄錆」であるのかは書いていませんが、読者である私たちの脳は、紛れもない鉄錆の匂いを追体験します。その虚の嗅覚に混じりこんでくるのが、季語「花朧」です。香りともいえないような夜の桜の気配と朧の温度と湿度。こんな言葉にしにくい感覚をキャッチするのが、俳人たちの嗅覚であり皮膚感なのだと改めて認識させられる見事な作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

釉薬はさくらの灰ぞ百千鳥

巴里乃嬬

「釉薬」の一語で、陶芸の現場だということが分かります。「さくらの灰」で作ったとっておきの釉薬を、いよいよ試す時がきたのでしょうか。助詞「~ぞ」の強さに、それが読み取れます。

焼き上げる前ならば、期待。焼き上がった後ならば、達成感。下五「百千鳥」という季語の美しさが、それらの感情を支える格調高い作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

屋上を当社比倍の春夕焼

幸田梓弓

昼休みに、休憩時間に、何かある度に、この屋上にやってくるのでしょう。「当社比倍」などという宣伝文句が詩語として使われている面白さもさることながら、夕暮れ時に折々ここから夕日を観ている人でないと生まれない言葉だったのでしょう。

刻々と移り行く「春夕焼」の陰影を味わうささやかな時間。「屋上を」の「を」という助詞の選択も巧いですね。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

水影はすべて残像ゆふざくら

葦屋蛙城

水面に映っているさまざまな影は、すべて何かの「残像」なのだという気づきが一句の眼目です。

私たちの生きている世界も、ひょっとすると「すべて残像」なのかもしれないという思いも過ります。「ゆふざくら」の幽玄な世界が、その思いを一層深くするようでもあります。表記の上でも心遣いの効いた作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

芸をする猿の手小さし芝桜

日々の茶めし

「芸をする猿」を眺めています。小賢しいまでに人間っぽいその芸に感心もし、拍手もし、笑いもしているのでしょう。ふと、猿の手に目がいきます。その手の「小さし」というささやかな発見が、猿に対する憐憫めいた気持ちに繋がったのかもしれません。

地面に咲き広がる「芝桜」の明るさが、その気持ちを対比的に搔き立てるのかもしれません。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

もう花の時期かと煙草ひねり消す

赤坂みずか

街の所々に設置されている喫煙所を思いました。いつもせかせかと気忙しく暮らしていて、桜が咲きだしたことにも気づかないままだった。煙草を吸うためにやってきたここで、「もう花の時期か」と気づいたのです。が、その呟きは、「ひねり消す」煙草と共に消えていきます。最後の複合動詞の使い方が効果的な一句です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

川面へとしなう桜のつづく土手

天風さと

当たり前のことですが、俳句は上五から順に言葉が眼球に映り込み、それが脳に届き、意味として解釈されます。「川面」という場所、「へ」という方向、更に「~へと」と繋がったあとの「しなう」という動詞。何が撓うのかと思えば「桜」だと分かる。その「しなう桜」が一本ではなく、何本も並んでいる「土手」であると。

俳句は言葉のスケッチだと折々お伝えしていますが、この句などは、作者が観た光景がそのまま読者の脳に百パーセント再現される、まさに描写に徹した作品です。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

永き日の路地なき人工島に迷う

鳥乎

「人工島」は、小さな路地や抜け道が無くて、整然と作られています。自分の住んでいる街の一区画と、この島の一区画は長さ・広さが違うものですから、距離感がつかめず、いつまでたっても目的の場所にたどり着けない。そんな経験が私にもあります。

時間と空間の違和感を抱きつつ、人工島を彷徨う。そんな「永き日」を作者とともに迷い続けているような読後感があります。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

桜蘂降る人口はいつも約

百瀬一兎

桜が散り果てた後に、桜の蘂の部分が落ちる。それが「桜蘂降る」という美しい季語です。「人口」とは人間の数。それはいつも「約」という概数で語られるよ、というのです。

開花の時は、一輪咲いた二輪咲いたと数えられる桜ですが、桜蘂ともなれば数えられることもありません。それはまるで、おおよその「人口」の一人として生きている私たちのようでもあります。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき

しやぼん玉こころに非常口はない

岡根喬平

ひたすら吹くと「しやぼん玉」は、きらきらひかりに弾けていきます。中七下五「こころに非常口はない」という口語の呟きは、声なき叫びにも聞こえます。が、自分の鬱々たる心から、この一句を切り離すことで、心は一瞬の浮力を得るのかもしれません。俳句というアイテムが、こころの非常口を探すための杖となることを心から願います。

おうちの中にもタネがいっぱい 夏井いつき